4冊12日
高良山は耳納連山の最西端に位置し、肥前の山地や筑後平野・市街地が一望に眺められ、晴天の日には有明海・雲仙等も遠望できる山である。
この高良山の歴史は大変古く、「肥前風土記」に景行天皇が酉狩の際、高良の行宮にまして四隣を経営され、また「日本書記」には筑紫君磐井の乱の最後の舞台となり、さらに南北朝時代には征西将軍宮懐良親王がこの山を本陣として敵を筑後川畔に破り、後ここに征酉府を移されたこともあった。各時代、筑後の人々にとって愛された山であった。
高良大社の境内には、天保年間(1830~1844)、久留米藩土坂本元蔵(1786~1854)が品種改良をした、世界に広くその名を知られる「久留米つつじ」の原木群(市指定天然記念物:推定樹齢約300年)約200株があり、鮮やかな朱色の花を咲かせる。この花は、江戸時代の人々を楽しませたものであった。
周辺には自然遊歩道等が整備され、更には神龍石(国指定史跡)・孟宗金明竹林(国指定天然記念物)などの文化遺産・史跡・自然が多く遺され、家族連れのだんらんや遠足・森林浴等、週末レクリエーションの一大拠点となっている。(現地案内板より)
高良山は耳納連山の最西端に位置し、肥前の山地や筑後平野・市街地が一望に眺められ、晴天の日には有明海・雲仙等も遠望できる山である。
この高良山の歴史は大変古く、「肥前風土記」に景行天皇が酉狩の際、高良の行宮にまして四隣を経営され、また「日本書記」には筑紫君磐井の乱の最後の舞台となり、さらに南北朝時代には征西将軍宮懐良親王がこの山を本陣として敵を筑後川畔に破り、後ここに征酉府を移されたこともあった。各時代、筑後の人々にとって愛された山であった。
高良大社の境内には、天保年間(1830~1844)、久留米藩土坂本元蔵(1786~1854)が品種改良をした、世界に広くその名を知られる「久留米つつじ」の原木群(市指定天然記念物:推定樹齢約300年)約200株があり、鮮やかな朱色の花を咲かせる。この花は、江戸時代の人々を楽しませたものであった。
周辺には自然遊歩道等が整備され、更には神龍石(国指定史跡)・孟宗金明竹林(国指定天然記念物)などの文化遺産・史跡・自然が多く遺され、家族連れのだんらんや遠足・森林浴等、週末レクリエーションの一大拠点となっている。(現地案内板より)