

















今は家の中で木の節穴を見ることはなくなりました
2×4工法もありますが、断熱材をいれて壁紙を貼るので覆い隠されているので
わたしが、留守番をしていたお家は1950年に建てられたもので当時でも30年ぐらい経っていました
場所は鎌倉山といわるところで、モノレールから少し上がったところにありました
当時から生意気に車にのっていましたが、鎌倉は道が狭くもっぱらの足はヤマハ発動機のミニトレ80というオートバイ
もう時効ですが、北鎌倉から近道するために某公園の中を夜中走り抜けていました
ぜったいだめだよね
お家の話にもどります
どの部屋を使ってもいいのですが、寝ていたのは今でいうリビング
板の間に大きな編んだラグがおいてあってそこに革の大きなソファがあり、そこで寝ていました
和室に布団でもいいのですが、3月ということもあったのですがとなかく寒い・・・
窓のほうをむいて暗い庭を眺めながら寝ることが多かったてのすがたまたま上を向いたところ天井に3つの節目をみつけました
なんてことのない節目でしたが、
あるときに目と口に見えてきたんです
なにか話しかけてくるような感じがして
でも、節目の並びでそんなふうに見えたりするのであまり気にしていませんでした
留守番のバイトもあと4日となった日のことでした
19時すぎに大船でラーメン食べて、そのお家に向かいました、手広の交差点を抜けて、かまくらみちから右折して鎌倉山の方へ今は住宅街になっていますが、当時はけっこう鬱蒼とした木々に包まれていました
もう20時過ぎると歩行者はほぽゼロ、車もあまり通っていませんでした。その日は晴れていましたがとても寒い日でした
当時ダウンコートなどいうものもなく、綿入りで表面がポリエステルのジャンパーを着て、ライダーグローブを二重にして寒さをしのぐ感じでした
まっすぐな坂道をあがって、手広からきているモノレールの下道にぶつかるところまできてバイクのエンジンが止まってしまいました
ガス欠、燃料コックをリザーブにして車体をゆすってからスターターキックをするとエンジンは生き返りました
そのまま帰ると明日の朝の移動のときに困るので鎌倉山を抜けて藤沢側へ降りたところのガソリンスタンドまでいくことにしました
10分もかからずガソリンスタンドへもうすぐ閉店というところへ滑り込んでガソリンを給油してアルバイト宅へ引き返すことに
モノレールの下の道は有料道路なんですが、夜になると徴収員がいなくなって無料になるのでそのままモノレールの下を通っていきました
モノレールの道から曲がったところで黒っぽい服を着た女性がライトの中に
ちょっとビッくりしてブレーキをかけたけど、その人は動じることなくゆっくりと道路の左側を歩いていました
そのままその人の右側を抜けたときになにげなく顔を確認しようと横をみると
顔が・・・・あの天井の三つの節目・・・
動揺しながらもスロットルをあけてシフトダウンして加速して家へ
バイクのエンジンを切ることもなくあわててドアをあけてリビングへ
天井を見ると・・・節目がない
それから3日間はリビングで寝るのやめました