昔からDIYには興味があったものの、マンション暮らしだったのでなかなか実行できませんでした。
マンションというのは、恐ろしいくらい収納場所がないのです。
それに作業する時間は、土日・祝日くらいしかないので木材を買い置きする場所も限られてしまいます。
そんな感じだったので、千葉の田舎に移住して在宅勤務ができるようになって、時間的・空間的な余裕ができると、DIY魂?でうずうずしました。
まず最初に頭にあったのは、憧れのウッドデッキ。
まず、余計な庭木を整理しました。
これは、隣の方からも雨どいに枯葉が詰まって困っているとのこともありましたので、すぐに撤去。
庭がきれいになったものの、どこからどう初めていいのかわかりません。
ウッドデッキはちょっとした棚を作るのとはわけが違いました。
広々とした庭を前にして、ちょっと怖気づいてしまったのです。
雨が降るとぬかるむ庭で、「あーでもない」「こーでもない」と逡巡する毎日でした。
それに他の方が行っているように「設計図」が必要だと思ったのです。
無料のCADソフトをダウンロードして、一から勉強したりしました。
だけど、そちらの方はまるで上達せず。
結局手書きの、それも極めてラフな設計図とも言えないようなメモ程度のものでウッドデッキ制作をスタートしたのでした。
一軒家に住んだらやりたいことがたくさんあって、それに押しつぶされそうになっていましたので、焦りに蹴っ飛ばされてスタートした、とうう感じです。
これがメモ程度の設計図です。
追い詰められていた(追い詰めた本人は自分なのですが)ので、もし手に負えなくなったらプロに頼もう、という感じでしたね。
こう決めてからは気が楽になりました。
材料はとなる木はWRC(ウエスタンレッドシダー)をチョイス。
悩んでいた時はウリンも選択肢にあったりして、でも堅い木で水にも沈むくらい重くて、だけど経年変化が少ない。
こんなことをネットで仕入れていました。
だから、他の木材ですぐに腐ってしまったらどうしよう、と考えて時間が経過してしまったということもありました。
WRCは幸いにも茂原に「ウッディロバート」というお店がありましたので、ここで買いました。
電動工具類にも悩んでいて、ウッドデッキを作れなかった原因の一つでした。
今ではもっと簡単に考えらるようになりました、というより考えるより先に体が動くようになりました。
2階からの図
パラソルを広げるとこんな感じ
毎日風呂上がりのビールを夢見ていたウッドデッキですが、東京にいたころは浴びるように飲んでいたお酒も、こちらに移住して少しずつ量が減って、今では全くアルコールを必要としない生活になってしまいました。
今ではウッドデッキは洗濯物の物干し専用。
基礎を頑丈に作ったので、いまだに水平は保たれているし、最盛期の小錦関が縄跳びをしても大丈夫なくらいを保っています。
ウッドデッキは一つの通過点でしたね。
何しろまだまだやりたいことがあるので、それに押しつぶされそうな日々です。
今の歳で東京にいたとしたらどうなっていたか、時々考えるときがあります。
たぶん、いまだに緑の多いところに行きたくてうずうずしていたと思います。
だけど出かけるには東京は渋滞が多すぎ。
池袋に車で行くとき、首都高を使って早ければ20分程度でつきます。
だけど事故かなんかで渋滞すると2時間もかかった時があります。
東京はクルマで移動するには、無駄な時間を使わないといけないのです。
こちらはどうか。
クルマの移動でも、時間が読めます。
しかも駐車場はほとんど無料。
夏場などは国道は少し混雑しますが、一つ内陸側の道を使えば渋滞知らずです。
無駄な時間を過ごさないので、その分色々なことができます。
よく、田舎は時間がゆっくり進むなんて言い方をされますが、時間当たりの内容が濃いんだと思います。
クルマで里山風景を眺めながら走っていて、藁ぶき屋根の家があって、そこに柿の実がなってたりする風景に偶然出会うと、もう涙が出そうです。
そんな時、改めて田舎に移住してきてよかったとしみじみ感じます。
マンションというのは、恐ろしいくらい収納場所がないのです。
それに作業する時間は、土日・祝日くらいしかないので木材を買い置きする場所も限られてしまいます。
そんな感じだったので、千葉の田舎に移住して在宅勤務ができるようになって、時間的・空間的な余裕ができると、DIY魂?でうずうずしました。
まず最初に頭にあったのは、憧れのウッドデッキ。
まず、余計な庭木を整理しました。
これは、隣の方からも雨どいに枯葉が詰まって困っているとのこともありましたので、すぐに撤去。
庭がきれいになったものの、どこからどう初めていいのかわかりません。
ウッドデッキはちょっとした棚を作るのとはわけが違いました。
広々とした庭を前にして、ちょっと怖気づいてしまったのです。
雨が降るとぬかるむ庭で、「あーでもない」「こーでもない」と逡巡する毎日でした。
それに他の方が行っているように「設計図」が必要だと思ったのです。
無料のCADソフトをダウンロードして、一から勉強したりしました。
だけど、そちらの方はまるで上達せず。
結局手書きの、それも極めてラフな設計図とも言えないようなメモ程度のものでウッドデッキ制作をスタートしたのでした。
一軒家に住んだらやりたいことがたくさんあって、それに押しつぶされそうになっていましたので、焦りに蹴っ飛ばされてスタートした、とうう感じです。
これがメモ程度の設計図です。
追い詰められていた(追い詰めた本人は自分なのですが)ので、もし手に負えなくなったらプロに頼もう、という感じでしたね。
こう決めてからは気が楽になりました。
材料はとなる木はWRC(ウエスタンレッドシダー)をチョイス。
悩んでいた時はウリンも選択肢にあったりして、でも堅い木で水にも沈むくらい重くて、だけど経年変化が少ない。
こんなことをネットで仕入れていました。
だから、他の木材ですぐに腐ってしまったらどうしよう、と考えて時間が経過してしまったということもありました。
WRCは幸いにも茂原に「ウッディロバート」というお店がありましたので、ここで買いました。
電動工具類にも悩んでいて、ウッドデッキを作れなかった原因の一つでした。
今ではもっと簡単に考えらるようになりました、というより考えるより先に体が動くようになりました。
2階からの図
パラソルを広げるとこんな感じ
毎日風呂上がりのビールを夢見ていたウッドデッキですが、東京にいたころは浴びるように飲んでいたお酒も、こちらに移住して少しずつ量が減って、今では全くアルコールを必要としない生活になってしまいました。
今ではウッドデッキは洗濯物の物干し専用。
基礎を頑丈に作ったので、いまだに水平は保たれているし、最盛期の小錦関が縄跳びをしても大丈夫なくらいを保っています。
ウッドデッキは一つの通過点でしたね。
何しろまだまだやりたいことがあるので、それに押しつぶされそうな日々です。
今の歳で東京にいたとしたらどうなっていたか、時々考えるときがあります。
たぶん、いまだに緑の多いところに行きたくてうずうずしていたと思います。
だけど出かけるには東京は渋滞が多すぎ。
池袋に車で行くとき、首都高を使って早ければ20分程度でつきます。
だけど事故かなんかで渋滞すると2時間もかかった時があります。
東京はクルマで移動するには、無駄な時間を使わないといけないのです。
こちらはどうか。
クルマの移動でも、時間が読めます。
しかも駐車場はほとんど無料。
夏場などは国道は少し混雑しますが、一つ内陸側の道を使えば渋滞知らずです。
無駄な時間を過ごさないので、その分色々なことができます。
よく、田舎は時間がゆっくり進むなんて言い方をされますが、時間当たりの内容が濃いんだと思います。
クルマで里山風景を眺めながら走っていて、藁ぶき屋根の家があって、そこに柿の実がなってたりする風景に偶然出会うと、もう涙が出そうです。
そんな時、改めて田舎に移住してきてよかったとしみじみ感じます。