今回はいきなり画像からスタート。VWビートル1303S、空冷フラットフォーのリアエンジンで、ポルシェ博士の思想がまだかすかに残っていたクルマです。年式は忘れました。このマルサンエスの最大の特徴はフロントガラスが曲面になっていることです。湘南の海もずいぶん行きましたが、当時大流行のスキーにも大活躍でした。リアヘビーのため、ちょっとした雪の坂道はチェーンなどつけずにバリバリ走行できましたね。このころは千葉は道路事情が悪く、タイヤの汚れからナンバーを見ずとも千葉ナンバーと見破られてしまってました。今の「ださい」と同じく「千葉だからしょうがないねー」って感じです。
それにしても、なんとも誤解を招くタイトルですな。
夏の終わりから、秋風が吹き始める今の時期になると聞きたくなる曲が何曲かあります。
その中の一つ。
サザンの「ホテルパシフィック」です。
いとしのエリーズのホテルパシフィックです。メンバーが頻繁に入れ替わるけど、動画で残っているホテルパシフィックではこれが一番。動きがシャープで体幹もしっかりしています。
思い起こせばだいぶ前。
運転免許を取って、湘南へよくドライブしに行ってました。
その頃はまだ独身で千葉県民でした。
そうです、千葉ナンバーを引っ提げて湘南に行くものだから「お前のところにも海があるだろ」なんて嫌味も言われましたね。
なんせあの頃はクルマにはブランドナンバーというのがあって、横浜と品川がダントでツトップ。
それ以外は「イモ」とされていた嫌な時代でした。
わざわざ住民票を移して、品川ナンバーを取得した千葉県人、埼玉県人もいました。
それに品川・横浜ナンバーを取得してくれる業者もいたり。
のちに捕まりましたが。
ワイルドワンズ、サザンオールスターズ、チューブ、ユーミン、古くは加山雄三・・・。
いわゆる湘南サウンドとなんとも心地よい名前の付いた音楽を聞いていると、どうしても江の島が見える海に行きたくなるんですね。
これは千葉の海ではダメでした。
今でこそ一の宮あたりでは瀟洒なお店が増えましたが、当時は皆無。
そればかりか、九十九里のある海水浴場に行った時のことです。
スピーカーから流れている曲は「にぃげたー、にょーぼーにはみれんはないがー、おちちほしがるこのこがかわいいー」と、そう浪曲子守唄、そしてピンカラトリオなどが流れていました。←これは実際の話です。
実家にあったクルマは別として、自分のお金で最初に買ったのがVWビートルでした。
これを買うに当たって千葉の海辺を走ることは想定していませんでした。
もっぱら妄想は江の島の見える海岸線です。
サザンの曲を、流れる順番に考慮しながらカセットテープ!に録音して準備完了。
ようやく誘うことのできた女の子を助手席に乗せて、湘南へGO!です。
当時は流行っていたクルマなのでこれはOK。
でも話題に千葉ナンバーが出てこないよう、冷や冷やしたものです。
もう身も心も下心でパンパンです。
だけども、指1本も触れることなく帰って来てしまった夜、自宅でどれだけ自己嫌悪に陥ったでしよう。
今はなくなってしまった逗子デニーズの交差点を曲がった時、草が風で左右に激しく揺れている姿だけが、今でも鮮明に頭に残っています。
昨年8月半ば。
メルカリで個人から購入した今の軽自動車。
小田原の手前、国府津まで引き取りに行きました。
帰路、138号線を通って逗子まで、そこから逗葉道路、首都高速、アクアライン、圏央道と帰ってきました。
何十年ぶりかの茅ケ崎、そして江の島。
そして今回は「湘南ナンバー」。
ワーゲンと同じくリアエンジン車。
138号線はお約束の渋滞。
そのおかげで、周りがよく観察できました。
懐かしさでいっぱいでした。
ヨットハーバーもあればウィンドサーフィンもしてる。
道路の下は海。
穏やかな波。
象徴的な江の島。
漁港はあるんだけど、その存在感があまりない。
(漁港・漁村というのは、それはそれでまた味があります。念のため)
南仏を彷彿とさせるリゾート感。
やっぱりこれが湘南なんですね。
茅ケ崎あたりを走行中、そういえばここら辺りにパシフィックホテル(正確にはパシフィックパークホテル)があったな、と。
湘南に繰り出していた当時はその姿はまだありました。象徴的な建物で、かなり目立ちました。
サザンの「ホテルパシフィック」はまさにこのホテルのことで「夏をあきらめて」の歌詞の中にも出てきますね。
ここで「熱めのお茶を飲んで、意味深なシャワーを浴びた」んですね。
このホテルは加山雄三とその父上原謙が役員に名前を連ねていましたが、1980年の後半経営が破綻。
名前を貸したはずだけの加山雄三に、多額な負債がのしかかってきました。
その負債を知って「私が支えなければ」と結婚した奥さんや、時間をかけてすっかり完済したのは美談として残っています。
で、ようやく本日のタイトルの話。
当時このホテルの中でお店(マージャン荘?)を開いていたのが、桑田佳祐の父上。
彼が幼少のころよくここに遊びに行っていて、その時たまたま居合わせた加山雄三に膝の上に抱かれたそうです。
桑田佳祐自身も、学生時代にこのホテルでアルバイトをしたそうです。
だから彼にとってパシフィックホテルというのは特別だったんですね。
他の歌にもホテルが歌詞として出てくるのがありますが、いつもこのホテルのことだと思ってしまいます。
湘南サウンドか~。
これに対抗できる房総サウンドというのは間違ってもできないでしょうね。