のほほんぷろぐ

音楽のことを中心に書いてます
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4月のことですが・・2

2012年08月02日 09時32分28秒 | Weblog
年が明けると・・すぐに私の誕生日がやってきます。

ついに30歳になりました。

30歳になってしまった・・か・・

今後の色々な衰えを考えて・・とりあえずヤマハピアノ演奏グレード2級を受けることを決めました。

だから、今年は手話に挑戦するのを見送ることも決めました。

グレードに向けて5曲練習し始め、自作曲を仕上げています。

曲はバッハ:平均律、ベートーヴェン:田園ソナタ一楽章、ショパン:ソナタ2番一楽章、スクリャービン:エチュード、ガーシュイン:ラプソディーインブルー。

それに加え、自作曲を以前作った「祈り」を「祈り~新しい朝へ」と題して10分近くの曲を仕上げています。

この自作曲は楽譜にも起こさないといけないから・・早く作り上げないと・・大変!

そんなこんな・・練習していたら・・

じいちゃんの体調が悪くなり・・度々祖父母の家、そして病院に行くようになりました。

とりあえず入院して、少しづつ良くなるかな~っと思っていた矢先・・突然亡くなり・・

なんだかまだ信じられない、ウソのようです。

でも確かにもうじいちゃんの顔を見ることもできないし、じいちゃんの九州弁も聞けない・・

今日はばあちゃん一人になってしまった家へ家族で行って、お線香をあげてきました。

確かに亡くなったんだ・・そうだ・・病院で水を欲しがっていたり、苦しそうな顔が懐かしい・・

最後はそんな顔しかできなかった・・それをどうにかできなかった悔しさがのこります。

それと・・改めて考えると・・

じいちゃんは孫の結婚式には一度も出席できなかったんだな・・申し訳ない・・寂しかっただろうな・・と考えました。

3人の姉妹を持ち、私は真ん中の娘の子供。
長女の子供は男。そして身体障害者。差別するわけではないが、やはり難しいようだ。

一番下の妹の子供は男2人の28歳と26歳の警察官。

年齢的にもそろそろいい私も結婚せず花嫁姿とやらを見せてあげることができなかった。

これは本当に可愛そうなことをしたと思っています。

ごめんね、じいちゃん。

そして、やっぱり最後に支えてくれるのはやっぱり家族、肉親なんだな~と思いました。

4月のことですが・・

2012年08月02日 09時26分43秒 | Weblog
私のじいちゃんは88歳。

前々から体調悪かったけど…

いよいよ歩いても転んでしまい自分で起き上がれなくなったので

一昨日から入院しています。

こうなったのは、以前から末端に血液が循環せず、冷たくなり、できものができ、それが悪くなる一方で…

手、足、舌がぐちゃぐちゃです

だから歩くにも足(足の裏まで)が痛くて、かばいながらなので歩くのも困難。

舌にできものがあるので
固形物が食べられず、栄養が十分にとれない。

そういう理由でどうにか入院できました。

ずっと入院を嫌がっていたじいちゃん、先週あたりから入院したいといいだしました。

それはじいちゃんの優しいだと思います

まず、ばあちゃんに「楽になるな」と言っていました。

私は今日と一昨日、16日にも行ったけど、日に日に
悪くなっているのがわかります。

今日行ったら、手は包帯がぐるぐる巻かれていて、
鼻から栄養のチューブ、手からも栄養の点滴、尿通にも管が入っていて完全オムツ、寝たきりです。

舌にまでできものができているから、水も飲ませてもらえず、口の中がカラカラで
「水を含ませて!」と騒ぎましたが、その願いも叶わず、舌に保湿の薬を塗っただけで可哀相でした

私と母の願いは、いよいよになった時にはチューブを外して水を飲ませたいです

私はじいちゃんが発する
力の無い声を口に近づくくらい傾けてやっと聞き取っています。

いつ言葉がわからなくなるかわかりません。

今日でも通じないと、途中でくたびれて寝てしまいます

先生からは、いつ心臓が止まってもおかしくないと言われました

悲しいけど、私は満足して見送れます

入院当日は、私がずっとそばにいて色々と介助しました。
できることをやっただけだけど、それをとても喜んでくれて、感謝してくれました

ばあちゃんに「よーつぐみがやってくれた」(九州弁) と何回も言ってくれました。

私は幸せです

最期に大好きな小倉アイスを食べさせたかった

でもせめて水だけは!