
初市もの ~
に 
知りませんでしたね。。。
- 数万拾(すまんじゅう)-

- もっち!お味噌もありました。

付き
開けてみますと

数万拾(すまんじゅう) 献饌(けんせん)の由来
明けましてお目出度う御座います
幕末、生糸の取引が殷盛を極めましたが、前橋藩では文久元年本町の本陣(松井家)へ「生糸改所」(きいとあらためじょ)を設けました。
其の翌年正月の初市に是れが披露の盛宴を催し、横浜の取引の商人を招待致しましたが、席上弊店の「すまんじゅう」が茶菓として饗されました処、
餡のはいらない饅頭に不審を抱いた貿易商連は、祭典役員から「すまんじゅう」の名を聞いて、是は縁起がよい、ひと市毎に「数萬両」儲かると称し、
早速初市の市神八坂神社に献じ、商売繁盛を祈願し以来百余年後の今日に至る迄祭典後の「直会」(なをらい)には必ず冷酒に肴は「すまんじゅう」と云う変わった行事が連綿と続くに至りました。
大正四年電話架設以来、毎年初市の朝に電話で「すまんじゅう」の注文があるので漸くその由来に就いて探求を思い立ち、当時の本町の役員、石崎藤太郎氏外数氏にその謂れを質しましたが、之を詳らかにすることができませんでした。
昭和二十年正月当時統制下にある食糧は極度に不足を告げて居りましたが、
軍に関係を持った弊店は自由に原料を得られましたので全力を挙げて
代用品として之を生産中、出荷の交渉にこられた本町の役員で、県の菓子商組合の専務「青柳」の先代社長長谷川政太郎氏の円熟せる懇請に軍を説き遂に継続して献饌する許可を取りました。
この時同氏の談話から図らずも前記の由来を聞き、初めて幾十年間の謎が解けるに至りました。
依って爾後原嶋屋の「のれん」の続く限りに永代市神様へ奉納献饌する事を約し今日に及ぶに至りました。
ついで昭和三十八年には宮元十ヶ町氏壮大本町区長石田重利氏より感謝状を受け弊店の歴史に更に輝かしい一頁を飾り感激に堪えません。
初市はまた「達磨市」とも称され七転び八起きのそれも花の春に魁けて、当日の福だるまは「何百万両」「何千万両」の呼び声凄まじく、躍進大前橋の発展を象徴するかの如く景気よく売れていきます。
近年は神棚に生きた鮒をつるして、一年中の無難を祈る「寒鮒:売りの店が少なくなりましたが是も前橋地方だけに行われた一ツの奇習であります。
またこの日「青柳」で売出す吉例の「福おこし」は身を起こし家を興こすと云い伝えられ、昔ながらの売れ行きを続けて居ります。
本年も茲に初市を迎え、ほほえましき縁起を想い起こして、市神様献饌の「数万拾」をお勧め致し、皆様方の商売御繁盛と御家門の御隆盛を御祈念申し上げます。
正月九日
原嶋屋総本家 主人敬白
- とのこと -
日本酒は やっぱり 清口(せいりょう)でしょうね。
原嶋屋総本家
住所:前橋市平和町2-5-20
電話:027-231-2439
営業時間:9:00~18:00
定休日:火曜日


知りませんでしたね。。。
- 数万拾(すまんじゅう)-

- もっち!お味噌もありました。

付き


数万拾(すまんじゅう) 献饌(けんせん)の由来
明けましてお目出度う御座います
幕末、生糸の取引が殷盛を極めましたが、前橋藩では文久元年本町の本陣(松井家)へ「生糸改所」(きいとあらためじょ)を設けました。
其の翌年正月の初市に是れが披露の盛宴を催し、横浜の取引の商人を招待致しましたが、席上弊店の「すまんじゅう」が茶菓として饗されました処、
餡のはいらない饅頭に不審を抱いた貿易商連は、祭典役員から「すまんじゅう」の名を聞いて、是は縁起がよい、ひと市毎に「数萬両」儲かると称し、
早速初市の市神八坂神社に献じ、商売繁盛を祈願し以来百余年後の今日に至る迄祭典後の「直会」(なをらい)には必ず冷酒に肴は「すまんじゅう」と云う変わった行事が連綿と続くに至りました。
大正四年電話架設以来、毎年初市の朝に電話で「すまんじゅう」の注文があるので漸くその由来に就いて探求を思い立ち、当時の本町の役員、石崎藤太郎氏外数氏にその謂れを質しましたが、之を詳らかにすることができませんでした。
昭和二十年正月当時統制下にある食糧は極度に不足を告げて居りましたが、
軍に関係を持った弊店は自由に原料を得られましたので全力を挙げて
代用品として之を生産中、出荷の交渉にこられた本町の役員で、県の菓子商組合の専務「青柳」の先代社長長谷川政太郎氏の円熟せる懇請に軍を説き遂に継続して献饌する許可を取りました。
この時同氏の談話から図らずも前記の由来を聞き、初めて幾十年間の謎が解けるに至りました。
依って爾後原嶋屋の「のれん」の続く限りに永代市神様へ奉納献饌する事を約し今日に及ぶに至りました。
ついで昭和三十八年には宮元十ヶ町氏壮大本町区長石田重利氏より感謝状を受け弊店の歴史に更に輝かしい一頁を飾り感激に堪えません。
初市はまた「達磨市」とも称され七転び八起きのそれも花の春に魁けて、当日の福だるまは「何百万両」「何千万両」の呼び声凄まじく、躍進大前橋の発展を象徴するかの如く景気よく売れていきます。
近年は神棚に生きた鮒をつるして、一年中の無難を祈る「寒鮒:売りの店が少なくなりましたが是も前橋地方だけに行われた一ツの奇習であります。
またこの日「青柳」で売出す吉例の「福おこし」は身を起こし家を興こすと云い伝えられ、昔ながらの売れ行きを続けて居ります。
本年も茲に初市を迎え、ほほえましき縁起を想い起こして、市神様献饌の「数万拾」をお勧め致し、皆様方の商売御繁盛と御家門の御隆盛を御祈念申し上げます。
正月九日
原嶋屋総本家 主人敬白
- とのこと -
日本酒は やっぱり 清口(せいりょう)でしょうね。

原嶋屋総本家
住所:前橋市平和町2-5-20
電話:027-231-2439
営業時間:9:00~18:00
定休日:火曜日