楽善な日々

新社会人となった楽と、大学生善、おとん、そしておかんの日々を綴ります。新しい街に引っ越して、新しいスタートを切りました。

芸術は爆発だ

2022年06月18日 | 2022年日記
時々、善の芸術が爆発する。
ふとした瞬間に物づくりの魂が呼び起され、
集中力がマックスとなり、
あっという間に作品を仕上げる。

今回は、2種類の青い針金と、ペンチを持ち出した。
善がペンチを操り、くねくねと針金を捻っていく。
みるみる何かが出来上がっていく。
いったい何が出来るのだろう。

作品づくりに熱中する善の後ろ姿を眺める。
広すぎる肩、丸めた背中。
こんなにごつい体つきではなかったものの、
小さい頃も、同じように背中を丸めて、
急に何かを作り始めることがあったっけ。
善の芸術は急に爆発するのだ。

今回出来上がった作品は、
頭の小さな人間が、両手で、強大なチューリップを掲げているオブジェ。
脚を踏ん張り立っている。

私の誕生日のプレゼントだそうだ。
ありがとう。

家には今まで善が作った数々の作品たちが飾られている。
小学生の夏休みに作った大王グソクムシは、古株だ。

浪人生となって、勉強勉強の日々の善。
時には芸術を爆発させて、ストレス解消してもいいのかな。
そう思って、善が作品を作るに任せていた。

全然点数が取れなかった善だけれど、
この間の予備校の数学テストでは100点中94点も取れたそうな。
嬉しかったようで、家族lineにテストの写真を送ってきた。
成功の体験は、これからのモチベーションにもなる。
よくがんばったね、善。
おとんとおかんは、うれしくて、ほっほっほと笑っていたよ。

昨日は、高校時代の友達の家に泊まりにいった善。
高校時代の友達が大学生になった今も善を誘ってくれるなんて、
嬉しい。
なんだか息抜きが多すぎるとも思いつつも
おとんとおかんは、ほっほっほと笑ってしまった。

今日も明日も勉強勉強の善。
この体験はきっと何かを君に残してくれるね。
応援しているよ。

チューリップマンの作品、
ありがとう。

6月18日  おかん





3年日記

2022年06月17日 | 2022年日記
数年前の母の日にプレゼントしてもらった多肉植物に
最近変化があった。
つくしのような芽がひょろひょろと真ん中から伸びてきたのだ。
これは、もしや花が咲くのでは?
ちむどんどんな出来事だ。

数年間、階段のわきの窓辺にちょこんと座っている多肉植物。
葉がどんどん大きく育っていくわけでもなく、
茎がどんどん伸びて変化していくわけでもなく、
いつも変わらず、そのままの姿で、ちょこんと座っていた。
他の植物たちは騒々しく変化している。
あれ伸びすぎた、それ枯れちゃった、あら花が咲いた。
その間も多肉植物は、いつも変わらず、そのままの姿で、窓辺にいた。
だけど、実は変化していたのだね。
その中身ではぐんぐんと変化が進んでいて、
ある日突然、つくし状の芽となって、その変化が外へ出現して、
私を驚かせてくれた。

よっちゃんじいじ(父)が亡くなり、
としこばあば(母)の介護の心配もあり仕事を辞めた時、
3年日記を買ってみた。
書き始めて6カ月目。
長年続けてきた仕事を辞めてどうなっていくのだろうかと漠然と不安を感じていたとき、何か記録をしてみようと思いついたのだ。
日々の何気ないことを小さな枠に書き込んで一日を終える。
元気だったり、意気消沈していたり、うれしそうだったり、悲しそうだったりの、何の変哲もない日々。
読み返しても特に変化を感じない普通の日々だ。
そんな普通の日々が一日また一日と続いていく。

突然芽を伸ばし始めた多肉植物を見て思った。
こんな変化のない日々だけど、
何かが目に見えないところで変化をしているのかもしれない。
数年後に読み返してみて、
「えー!!この頃ってこんな風だったっけ?」
と驚くことになるのかもしれない。
何の変哲のない日々の連なりは、
意外と遠くへと私を連れて行くのかもしれない。
そう考えると、3年日記もちむどんどんだ。
ちむどんどんとは、沖縄の言葉でどきどきするという意味らしい。

最近は階段を上り下りするときは、
いつも立ち止まって、多肉植物の芽を観察する。
楽しい変化。
わくわくどきどき、ちむどんどん。

6月17日 おかん




心に空間を

2022年06月16日 | 2022年日記
昨日は友達に誘われて紫陽花を見に出かけた。
雨の中、ちょっとドライブで遠出して、小旅行。

先日母に
「たかぼう(私の弟)がいるから、おかんちゃん(私)は来なくてもいい」
と言われて、傷つき、なかなか心が前向きにならない日々。
友達の紫陽花ツアーのお誘いも、どうしようかな、行く元気がでないなあと悩んでいた。

それでもおとんにプレゼントしてもらったカメラを携えて出かけることに。

紫陽花の庭園に到着。
門をくぐって、石畳に導かれるままに入っていくと、
目に飛び込んできた。
青、紫、ピンク、赤、白、緑、色の洪水が目に飛び込んできた。
思わず大きな声で「すてき~!!」って叫んでしまったくらいの景色。
心の中に渦巻いていた悲しみ、失望、怒り、その他もろもろの負の感情が心から少し追い出されていって、空いた隙間に、たくさんの色と雨の音が入り込んできた。

早速カメラを取り出して、撮ってみる。
あれ?スマホと違ってなんだか難しい。
思ったようには撮れないものだ。
傘をさすことも忘れて、一心不乱に撮るも首をひねってばかり。
友達には「宝の持ち腐れという言葉があるそうな」とからかわれる始末。
思わず、大きなカメラを慣れた様子で構えている年配の男性に声をかけてしまった。
「すみません。これで紫陽花を撮ってもらえませんか?」
おじいさんは、決め台詞なのか、こんなことを言いつつ引き受けてくれた。
「60肩なもので、これ以上腕があがらないのだけれど」
そして、撮ってみせてくれた写真のなんて素敵だったこと!!
白い紫陽花の真ん中に赤い紫陽花がぽつんと一つ浮かんでいる写真。
沢山の色が躍る景色から、魔法のように、ひとつの絵を切り取って見せてくれた。これがカメラの面白さなのか!楽しいなあ!
良い出会いと良い学びがあった。

谷川俊太郎さんのエッセイ集「ひとり暮らし」にこんな文があった。
「ゆとりはまず何よりも空間のことである。ラッシュアワーの満員電車のように、心がぎゅうづめになっていてはゆとりはもてないだろう。心にぎゅうづめになっているものが何であるかは関係ない。それが欲であろうと、感情であろうと、思考であろうと、信仰であろうと、動かすことのできる空間が残っていなければ、息がつまる。そして、動かずにこり固まってしまうと心はいきいきしない。他の心と交流できない。」

紫陽花の色の洪水に流されて、
私の心に空間ができた。
そうすると、カメラおじいさんとの交流も生まれて、写真という楽しい世界を学ぶこともできた。

帰り道、なぜか突然母から電話があった。
車の中だったけれど、友達に断って電話に出てみる。
「この間はごめんね。おかんちゃん、いつでも来てね。おかんちゃんも私の大事な子供だからね」

きっと、おじさん(母の弟)に怒られたりしたのだろう。
おじさんに言われたから電話してきたのだろうけど、ちょっとほっとした。

NHKの連続テレビ小説「ちむどんどん」を見ていたらこんな台詞があった。
「がんばってもどうにもならないことが人生。それでも、明日はきっと良い日になると思うことが大事」

紫陽花の旅。
ちょっと良いことがありました。

6月16日 おかん




感謝すること

2022年06月14日 | 2022年日記
先日52歳の誕生日だった。
善は予備校があったので不参加だったけれど、
楽とおとんが葉山散策を計画してくれた。
実家のことでがっくり元気をなくしているおかんを外に連れ出そうと
二人で計画してくれたらしい。

葉山美術館に併設されている展望レストランを予約してくれていた。
3人でコース料理を食べた。きれいな盛り付けに心が躍る。
デザートはテラス席で。テラスに出たとたん、海の音が聞こえてきた。
3人で海を見ながら食後のケーキを食べてコーヒー飲んで、たくさん話した。

食後は美術館の庭に点在する彫刻を見つけながら散策。
小さな箱根彫刻の森美術館みたい。
おとんは彫刻の周りに咲いている小さな小さな野の花の写真を這いつくばるようにして撮っていて、楽は恥ずかしくて「やめなさい。やめなさい。子供が見てるでしょ!!」って言っていた。

海辺を歩いて、喫茶店で休憩して、歩き疲れて帰ってきた。
とても充実した散歩だった。

夜、善も予備校から帰ってきて、全員そろってケーキを食べた。
毎年そうなのだけど、みんなで「ハッピーバースデー」って歌ってくれる。
肩幅の広すぎる善も、のっぽの楽も、
子供みたいに歌ってくれて、パチパチ拍手してくれて・・・
なんだかもう、一日感謝の気持ちでいっぱいだった。

美輪明宏さんがYOUTUBEで、
「ずっと幸せを感じていくにはどうしたらよい?」と問うていた。
答えは、あらゆることに感謝をすること、だそうだ。
人は感謝をすると、ふっと幸せになる。
日々感謝して暮らしていくと、ずっと幸せを感じて生きていける。
ありがとう、ありがとうって、心で思うことがたくさんあるということが、
幸せということなのかな。

悲しいこと、なんでこんな風になってしまうんだろうともどかしいこと、
がっかりすること、憤慨すること、たくさんある。
けれど、ありがたいことに、
ありがとう、ありがとうって思うこともたくさんある。
ありがとうの連なりが、幸せを作るのだね。
そんなことに気づいたよ。

みんな、ありがとう。

6月14日 おかん

虐待されて育った子供

2022年06月08日 | 2022年日記
実母は昔からよく精神的にぶれる人だった。
ヒステリックに怒ってばかりいたイメージがある。
私が小さいときは、ちょっと宿題がわからないとぼやくものなら、さあ大変。長い定規を持ってきて、頭をたたくたたく。頭皮が切れて、つつーっと血が垂れてきてもお構いなし。あまりの痛さに定規を手で受け止めたら、もっとひどいことが待っていた。定規をぐるぐると私の手の中で回転させて、手の皮がむけるまで、延々と。「ほら避けようなんてするからだ」。なんという鬼のような・・・

母が今の私と同じくらいの年頃は、来る日も来る日も母の周りには暗黒の雲が覆いかぶさっている雰囲気があった。楽と同じ年ごろだった私は、母に気を使いながら生活していたっけ。母の夫、亡きよっちゃんじいじは、大阪で単身赴任。弟は遠くの大学の寮で生活。私はおとんとお付き合いしていた頃なので、遅くまで一緒にいたいけれど、がんばって毎日早く帰宅した。すると部屋の中は母から発生する黒い黒い雲で覆われていて、その雲が毒ガスを発生させているような光景が。あの頃の母と同じ年ごろになったけれど、母の気持ちがまだ分からない。考えてみると、よっちゃんじいじはずっと外国で働いていたり、国内でも単身赴任をしていたり、母と離れ離れの生活が長かった。家族全員一緒に暮らしているときは、暴力かあさんにはなっていなかったから、きっと旦那さんのいない生活でストレスを溜めているときに、はけ口が私だったのだと思う。

はけ口は私ひとりだけで、私の弟「たかぼう」は大事に大事に育てられた。たかぼうは、天才的な頭脳の持ち主で、よく「たかは、勉強だけしていればいいんだからね」なんて声を掛けられていたっけ。たかぼうは、手を挙げられたことなど皆無だった。そんな大事に大事に育てられた弟は、「勉強ばかりしていればよかった」から、勉強以外の責任が発生すると逃げてしまう。母のまわりに暗雲が垂れ込め始めた時期から家から逃げるようになっていた。高校時代は朝早くからでかけ、夜中遅くに帰ってくる日々。そして、大学は寮のある所へ進学し、実家へはまったく帰ることがなかった。たかぼうが高校生だった頃から大学卒業するまで、あまり顔を見かけなかったっけ。

なので、ばらばらの家族を必死でつなごうとしていたのが私だった。暗雲を引き連れて歩く母のためにせっせと早く帰宅して、猫と一緒に暮らすよっちゃんじいじの単身赴任先を訪ねていって掃除をしたり。なぜなのか、母は一切父のもとを訪ねようとはしなかったっけ。

母に笑顔が戻ってきたのは、よっちゃんじいじが会社を退職して、実家に戻ってきてから。父が新しい仕事を始めて、実家から通うようになってから、母はがらっと変わった。毎日上機嫌でよく笑って。ほっとした。よっちゃんじいじが亡くなるまでの一緒に暮らした日々は、母にとって、幸せな日々だったのではないかな。

たかぼうはいつしか実家で暮らすようになっていた。結婚もせず、貯金もあまりないので、実家に戻ってきたのだ。よっちゃんじいじとたかぼうは昔から気が合わず、一緒に実家で暮らしていても、顔を合わせたりはしなかったようだった。それでも、よっちゃんじいじの最期は看取ってくれた。ただ、私によっちゃんじいじの体調の変化を一切連絡してくれず、報告が来たのは、よっちゃんじいじが危篤になってからだったのは、今でも心の傷になっていて、考えると涙が出てしまうけれど。

周りからよく、おかんちゃん(私)は昔から天真爛漫でにっこにこ育ってきたんでしょ、と言われる。

実は、なんでこんな家族なんだろうって泣いて泣いて育ってきた。そして、自分の子供を持つことに恐怖を感じていた。私もいつしか周囲に黒い雲をたなびかせ、子供たちにひどいことをしてしまうのではないかと恐怖を感じていた。

なかなか子供を授からなかった。5年くらい子供ができなかった。病院で不妊治療を始めようとおとんに勧められ、一緒に検査に向かったら、なんとそこで「ご懐妊していますよ」って言われたのだっけ。もしかすると、何人もお腹にやってきてくれていたのに、私の恐怖が強すぎて、いつしか消えてなくなってしまっていたのかな。お腹に恐怖がありすぎて、居心地が悪かったのかな。

奇跡的に見つかったその子は、お腹の中ですくすく育ち、楽という元気な大学生へと育ってくれた。その後に、お気楽甘えん坊の善を授かった。子供を持つことがこわくてこわくて仕方なかったのだけど、二人を心から大事に思えている。普通のことなのかもしれないけれど、私にはありがたくてありがたくて、奇跡のようなことに思えている。

そんな私の家族の歴史があるからか、母の介護のことではいつも心が痛いことを経験して帰ってくる。母と同居をしている弟は、私に何も連絡をくれなくなってしまった。「ねえちゃんが色々としているのがうざい」ということを暗に伝えているのだと思うけど、私も家族の一員なのに。確定申告も、介護認定も、お墓の継承手続きや、相続手続きも、私がしたのに。

こちらの家族、おとん、楽、善は、みんな各自の場所へと出動していった。
「おかん元気だせ」って言いながら。

実家の家族のことは、すごく傷にはなっているけれど、すごく気になる。やっかいだけど、大事にしたい何かであるような。それでも、大事にする方法がまだ分からない。関わらせてもらえるのかも分からない。もやもやとした何かだ。
これから、どうなっていくのかな。
よっちゃんじいじが教えてくれるといいんだけど・・。
ヨガの瞑想中によっちゃんじいじが出てきて指南してくれるといいなあ。

6月9日  おかん