大人数の講義の授業では、なかなか学生さんに直接話したり、質問されることはないんですが、英語の授業は少人数で、一年生でもあるせいか、結構質問してくれます。
ほんとは分からないことはたくさんあるはずなので、どんどん質問してくれるとうれしいんですけどねぇ。
で、一人の学生が、英語の質問ついでに、なぜ私が大学の講師になったのかと聞いてきました。というのも、その授業は一時間目で、その日はまだ眠いのか、半分寝てるような男の子が一人おったんです。おきてても、やる気なさそうに、聞いてるんだか、聞いてないんだか、という人もいて、彼女曰く、高校の方がまだみんなまじめに聞いてるでしょと…
そういえば、非常勤始めたばかりのときは、寝てたり、つまらなさそうな顔をされるとまずい!!とあせってたけど、最近はそういう状況にも慣れてしまったというか、やる気のない人は授業のじゃまさえしなけれ放って置くようになってたんですよね。
いや、どちらかというと見ないようにしてる、の方が正しいですな。
で、質問されたときは、先生になりたいと思っていたわけではなくて、いつの間にかこうなってたんよねぇ、と答えてしまいました。大学は高校や中学とは違って教員免許もいらないし、自由に授業できるしねぇ、とも。
突然だったので、思わず本音が出てしまいましたよ。
仕事の機会を与えられていることにもちろん感謝はしてますが、この仕事をずっと続けていきたいのか?!と聞かれると、続けていいんだろうかと思う自分がいます。
それなりに授業をがんばっているつもりではいるけれど、まだまだうまくできなくて、授業のあとは大抵凹んでます。まだまだ努力が必要なようです。
きっとその努力不足は、先生になりたくてなったわけではない、という所からきてるんでしょうねぇ。どっかで、自分はこの仕事に向いてないのかも、とか、できれば研究したいんだという気持ちの方が大きいからなんだなぁと、痛い質問をされて思ったわけです。
最近は生活のために働いてるという意識強かったけど、どうせするならがんばって楽しいと思えるようになった方がいいんですよね。
もうちょっとがんばろうと思います。
ほんとは分からないことはたくさんあるはずなので、どんどん質問してくれるとうれしいんですけどねぇ。
で、一人の学生が、英語の質問ついでに、なぜ私が大学の講師になったのかと聞いてきました。というのも、その授業は一時間目で、その日はまだ眠いのか、半分寝てるような男の子が一人おったんです。おきてても、やる気なさそうに、聞いてるんだか、聞いてないんだか、という人もいて、彼女曰く、高校の方がまだみんなまじめに聞いてるでしょと…
そういえば、非常勤始めたばかりのときは、寝てたり、つまらなさそうな顔をされるとまずい!!とあせってたけど、最近はそういう状況にも慣れてしまったというか、やる気のない人は授業のじゃまさえしなけれ放って置くようになってたんですよね。
いや、どちらかというと見ないようにしてる、の方が正しいですな。
で、質問されたときは、先生になりたいと思っていたわけではなくて、いつの間にかこうなってたんよねぇ、と答えてしまいました。大学は高校や中学とは違って教員免許もいらないし、自由に授業できるしねぇ、とも。
突然だったので、思わず本音が出てしまいましたよ。
仕事の機会を与えられていることにもちろん感謝はしてますが、この仕事をずっと続けていきたいのか?!と聞かれると、続けていいんだろうかと思う自分がいます。
それなりに授業をがんばっているつもりではいるけれど、まだまだうまくできなくて、授業のあとは大抵凹んでます。まだまだ努力が必要なようです。
きっとその努力不足は、先生になりたくてなったわけではない、という所からきてるんでしょうねぇ。どっかで、自分はこの仕事に向いてないのかも、とか、できれば研究したいんだという気持ちの方が大きいからなんだなぁと、痛い質問をされて思ったわけです。
最近は生活のために働いてるという意識強かったけど、どうせするならがんばって楽しいと思えるようになった方がいいんですよね。
もうちょっとがんばろうと思います。
たぶん、学生さんは「大学の講師の先生なんて、すごい人がなっているんだろう」って思いこんでいるのではないでしょうか?
私は「なぜ、今の職業に?」と聞かれれば
「生活のため」と答えています。事実なので。
私の場合は「好きなこと」を仕事にしているより
「生活のため」に仕事をしているほうが長続きしますね(苦笑)。
「生活のため」の仕事は楽しくなくて当然、我慢して当然って思えるので・・・歳とって情熱がなくなった証拠ですかね~
幸い、向いていたので割りと楽しく仕事はしています。
8割生活のため、2割自分のため、でしょうか?
研究とか、自分で自分をコントロールしないといけないので精神力がすごいなあと思います。
やろうと思えば、どこまでも深く掘り下げていけますものね・・・
こらえ性がないので、ついつい表面的な部分しか見ることができず、教養があったり知識をもっている人に憧れます。
unboundfeetさんはいっぱいいろんなことを知っているからやっぱ研究に向いている人なんだと思います。すごい!
この言葉を聞いた当時、まだ大学で授業をしたことがなかったので、ポカンと聞いてましたが、最近はなるほどね、と思う部分もあります。
授業で教壇に立つときにはいつも、できるだけ自分がまずは楽しむようにしよう、と思いながら、はじめます。実際にはいつも、思い通りにいく、というわけにはいきませんが・・・。
一度、授業中、学生の反応がイマイチだったとき、一瞬言葉が出てこなくなる、という経験をしまして。
それ以来、自衛策のようになってます。
向いていないのか?と思うとき、私も、あります。
学期が始まる前など、世界で今、一番授業をしたくないと思っているのはもしかして私じゃないだろうか、と思うくらい、気分が重くなります(苦笑)。仕事がもらえて、ほんとうにありがたいし、ラッキーだということも分かっているのですが。それに、いったん授業が始まれば、そこまでイヤなわけでもないのですが・・・。
ちなみに先程の「授業は『売春』」のあとには「研究は・・・」というフレーズが続きますが、とりあえず、こちらは自主規制します(笑)。
仕事って、好きなことを仕事にしてても、
つらいこともあるし、本当に向いてるのかって悩んだりすること、ありますよねー。
働くことって、生活資金を稼ぐためっていうことも大きいけど、色んな人の話なんかを聞くと、
働くこと、仕事があることは、幸せなこと、自分の存在意義を確認できることなんだなって思います。
「好き」な職業が適職とは限らないし、
環境が整わないと仕事って出来ないし。
なんというか…。
好きなこと、目指してるものを仕事にできるってやっぱり幸せなことだと思いますよ。
美輪明宏さんが、「給料は、がまん料」と言ってました。
自分の時間を提供して、給料をもらってる。
そう考えると、少しくらいの我慢はしてみるか、と思えます。
大学の先生=すごい人、なんですかねぇ。自分なんか思いっきり負け組みだと思うんですけど…
あちゃさんは仕事は生活のためですか。「我慢して当然」そこまで割り切れるのか、根性のない自分にはあんまり自信はないんですけど、今は惰性というか、これしかないと思ってる部分もあります。これも歳のせいなんでしょうか…とほほ。
ゆんさま
私も他には資格も経験もないので、今の仕事しかないんですよね。コンビニの店員での生活は難しいだろうし、現実的にも今の状況がいいんだろうと思うようにしてます。
確かに研究って誰かにしろ、といわれてするものではないので、自分で意識しないといけませんよね。でも自分はおおざっぱで、単純なので、研究職には向いてないんです。まだまだ半人前です。
自分も楽しめるように、なんてあまり思ったことありませんでした。大抵今日は上手にできるだろうか、と考えながら教室に行って、終わった後はやっぱり今日もだめだった…という感じです。明日は楽しむことを意識してやってみようと思います。
授業は売春、研究は…なんとなく、あれかしら?と思うのはあるんだけど、もしそうだとしたら、そんな風に考えて研究しているの?!とちょっとドキドキしてしまいます。
みかんさま
確かに仕事をしてると社会と繋がってるというか、一応貢献しているような気がしますね。事実税金きっちり取られてるし…
私も今の仕事をしていることに感謝してます。むしろきちんと授業をできない自分に苛立ちを感じて、申し訳ないと思うくらい。だからこそもっと努力しないといけないんですよね。
コメントありがとうございました