大変お待たせしましたが、やっとその PART 1 を投稿いたします。いいわけですが、やはりあの日から私の頭の中でそのことを何度反芻したことか、そして今日までまだそのことを整理し続けています。まとめるのがことのほか時間かかりましたし、後日談などを聞けば聞くほど、本当に私がとんでもなく光の存在たちにサポートされていたことが分かり、鳥肌が立つくらい感謝の気持ちで一杯です。
タレントT君に出会った11月18日まで起き続けた私の奇跡
ここまで至りつくまでの心の動きこそ、自分を受けとめる、自分を大切にしてあげる、自分の美しさに目覚め、自分をもっと受けとめ愛すというプロセスの結果でした。何度もこのT君に出会うことをあきらめ、私の話を「妄想」にすることもできましたが、今回はいつもと違うことをして、新しい自分になりたいと気張りました。最後の最後まで起きていないことは五分五分の可能性があるに賭け、そして宇宙にゆだねてみました。あまりに神さま、光の存在にサポートされていることが強く感じられ、信じられないの一言で、彼に会う最後の1時間半は「奇跡」としか言いようがありませんでした。
10月20日 T君出演のドラマに出会う。
そのドラマ以降、彼のほかのドラマを見始めました。この人の中に若いのにどこか静かなゆっくりした時間が流れていると感じました。アドリブができる、きっちり完ぺき主義なタイプではないらしいと感じ、引きつけられていきました。
10月31日 彼のソロ曲を歌う姿を見る。
正直、昔の歌謡曲と言う感じで、全く興味を持ちませんでした。今時まだこんな曲を歌ってるの?と自分が思ったほど。でもそこから、どうして自分が歌謡曲を嫌ってきたのかが分かってきました。私の家族は、基本的に芸能界をバカにする風潮がありました。それも恋愛物の歌謡曲に歌われる惨めなくらい相手に対して思っている気持ちとか、生々しい気持ちとかを聞いていて心地悪いと思っていたんじゃないかと思います。うちの父は特に人が「感情的」になっていることを良しとしない人でしたから。そういう歌を歌うことが恥ずかしいことと思っていたんだと思います。そして曲調が単調で物悲しいと言うのも好きじゃなかったんだと思います。そんな環境の中、自分にも歌謡曲は「よくないもの」と言って否定していたんだと思います。しかし、今の私は、自分のどんな感情も受けとめる事により、流してしまうことが一番の感情との付き合い方だということを学んでいますから、改めて、この曲を聞きながら、私が植え付けられた歌謡曲に対する偏見に気づき、「なんだ、歌謡曲って悪いもんじゃないんじゃない。むしろ、これでいいんじゃない。」と思ったんです。
そしてその曲をずっと聞いているうちに、その振り付けにとっても身体がゾクゾクし、かっこいいしセクシーだと思ってきたんです。そして「私もこんな風に踊りたい」と思い始めました。繰り返し見ているうちにその彼の姿に強く引き込まれ、釘付けになり、気がつくと泣いていたんです。私の前生20世紀初めに日本の歌劇団にいたと言われていたせいか、この踊り歌にとっても刺激を受けたんだと思いますが、この涙の原因はなんなんだと不思議に思ってました。すると「この人知ってる」と言う感覚がやってきました。どうやら同じ歌劇団にいたらしく、どうも恋人同士だったんではと感じました。その後数日、その前生を思うだけで涙があふれてきました。かなりの悲恋だったようです。そして、「彼に会いたい」という強い欲求を感じました。会ってどうするなんてことは分かりませんが、ただひたすら会ってみたいという気持ちがありました。
そして彼の努力している姿にうらやましさを感じました。ニューエイジを生きたい私はともすると「努力」「がんばる」をオールドエイジの生き方といって避けたいと思ってしまうところがありましたが、要は「静」「動」をその時々にどうやって使い分けるかということだと改めて考えさせられました。
彼に出会ったことにより、どんどん気づきがやってきました。
11月1日 友人Hに何気にT君のことを話す。
「すごい若いタレントさんに今やられちゃって」と世間話のつもりですると、彼のグループABCD結構ハワイに来てるらしいわよ、と情報が入ってきました。
11月3日 彼に会いたいと思った3日後、友人のメディア関連のコーディネータから、彼のグループが2週間後にハワイへ来ることを聞く。同時に歌劇団にいた時の記憶が蘇える。
久々に私の職場に現れたコーディネータの友人Xさんに、普段なら聞きもしない「最近おもしろい芸能人きてる? Aプロダクション系来たら教えてね!」と半ば冗談に聞いたんです。すると「来るよ」「誰が?」「ABCDグループ」「ええっー!」と言う展開になり、自分の耳を疑いましたが、同時に、心の中のどこかで「そう言ったりして」と思っている自分もいたんです! どうにか会えないかと焦る気持ちが走りました。でも仕事してる彼女に「会わせろ」とは言えないし、一人パニクリました。それにあまりのことの進み方にビビッている自分もいました。これってどういうこと?会えってこと? 世の中で一応イケメンと言われている若い男性です。その彼に会いに行くというのはやっぱり容姿に劣等感を持っている私にはとってもこわい話でした。(正直、若い頃は外タレを追っかけていた私でしたが、あの頃は今思えば若さのエネルギーでイケイケ状態だったのかもしれません。笑 そして日本の芸能界はよくないけど、外タレだったら許されるんじゃという、わけの分からない理論をもっていたのかもしれませんね。要はミーハーに変わりはなかったのですが。それと日本の男性は私を好きになってくれないと思っていたというのもあって、外国人の彼らに会うのは日本の男性に会うよりこわくなかったのかもしれません。)とにかくビビッてる自分に、自分が幸せになることが私の周り、そして世界への、地球への一番のギフトなんだって、もう一度話してみました。
そして、歌劇団にいた私の記憶が蘇えり、自分と彼の名前を思い出しました。そして、私の過去生Mが「T君は今生の人生に『特別出演』しにきます。今は待っていればいい。動く時は知らせるから。」と言ってきました。もうこうなると、うれしいのとこわいのとで私の心の中は上がったり下がったり!
つづく
タレントT君に出会った11月18日まで起き続けた私の奇跡
ここまで至りつくまでの心の動きこそ、自分を受けとめる、自分を大切にしてあげる、自分の美しさに目覚め、自分をもっと受けとめ愛すというプロセスの結果でした。何度もこのT君に出会うことをあきらめ、私の話を「妄想」にすることもできましたが、今回はいつもと違うことをして、新しい自分になりたいと気張りました。最後の最後まで起きていないことは五分五分の可能性があるに賭け、そして宇宙にゆだねてみました。あまりに神さま、光の存在にサポートされていることが強く感じられ、信じられないの一言で、彼に会う最後の1時間半は「奇跡」としか言いようがありませんでした。
10月20日 T君出演のドラマに出会う。
そのドラマ以降、彼のほかのドラマを見始めました。この人の中に若いのにどこか静かなゆっくりした時間が流れていると感じました。アドリブができる、きっちり完ぺき主義なタイプではないらしいと感じ、引きつけられていきました。
10月31日 彼のソロ曲を歌う姿を見る。
正直、昔の歌謡曲と言う感じで、全く興味を持ちませんでした。今時まだこんな曲を歌ってるの?と自分が思ったほど。でもそこから、どうして自分が歌謡曲を嫌ってきたのかが分かってきました。私の家族は、基本的に芸能界をバカにする風潮がありました。それも恋愛物の歌謡曲に歌われる惨めなくらい相手に対して思っている気持ちとか、生々しい気持ちとかを聞いていて心地悪いと思っていたんじゃないかと思います。うちの父は特に人が「感情的」になっていることを良しとしない人でしたから。そういう歌を歌うことが恥ずかしいことと思っていたんだと思います。そして曲調が単調で物悲しいと言うのも好きじゃなかったんだと思います。そんな環境の中、自分にも歌謡曲は「よくないもの」と言って否定していたんだと思います。しかし、今の私は、自分のどんな感情も受けとめる事により、流してしまうことが一番の感情との付き合い方だということを学んでいますから、改めて、この曲を聞きながら、私が植え付けられた歌謡曲に対する偏見に気づき、「なんだ、歌謡曲って悪いもんじゃないんじゃない。むしろ、これでいいんじゃない。」と思ったんです。
そしてその曲をずっと聞いているうちに、その振り付けにとっても身体がゾクゾクし、かっこいいしセクシーだと思ってきたんです。そして「私もこんな風に踊りたい」と思い始めました。繰り返し見ているうちにその彼の姿に強く引き込まれ、釘付けになり、気がつくと泣いていたんです。私の前生20世紀初めに日本の歌劇団にいたと言われていたせいか、この踊り歌にとっても刺激を受けたんだと思いますが、この涙の原因はなんなんだと不思議に思ってました。すると「この人知ってる」と言う感覚がやってきました。どうやら同じ歌劇団にいたらしく、どうも恋人同士だったんではと感じました。その後数日、その前生を思うだけで涙があふれてきました。かなりの悲恋だったようです。そして、「彼に会いたい」という強い欲求を感じました。会ってどうするなんてことは分かりませんが、ただひたすら会ってみたいという気持ちがありました。
そして彼の努力している姿にうらやましさを感じました。ニューエイジを生きたい私はともすると「努力」「がんばる」をオールドエイジの生き方といって避けたいと思ってしまうところがありましたが、要は「静」「動」をその時々にどうやって使い分けるかということだと改めて考えさせられました。
彼に出会ったことにより、どんどん気づきがやってきました。
11月1日 友人Hに何気にT君のことを話す。
「すごい若いタレントさんに今やられちゃって」と世間話のつもりですると、彼のグループABCD結構ハワイに来てるらしいわよ、と情報が入ってきました。
11月3日 彼に会いたいと思った3日後、友人のメディア関連のコーディネータから、彼のグループが2週間後にハワイへ来ることを聞く。同時に歌劇団にいた時の記憶が蘇える。
久々に私の職場に現れたコーディネータの友人Xさんに、普段なら聞きもしない「最近おもしろい芸能人きてる? Aプロダクション系来たら教えてね!」と半ば冗談に聞いたんです。すると「来るよ」「誰が?」「ABCDグループ」「ええっー!」と言う展開になり、自分の耳を疑いましたが、同時に、心の中のどこかで「そう言ったりして」と思っている自分もいたんです! どうにか会えないかと焦る気持ちが走りました。でも仕事してる彼女に「会わせろ」とは言えないし、一人パニクリました。それにあまりのことの進み方にビビッている自分もいました。これってどういうこと?会えってこと? 世の中で一応イケメンと言われている若い男性です。その彼に会いに行くというのはやっぱり容姿に劣等感を持っている私にはとってもこわい話でした。(正直、若い頃は外タレを追っかけていた私でしたが、あの頃は今思えば若さのエネルギーでイケイケ状態だったのかもしれません。笑 そして日本の芸能界はよくないけど、外タレだったら許されるんじゃという、わけの分からない理論をもっていたのかもしれませんね。要はミーハーに変わりはなかったのですが。それと日本の男性は私を好きになってくれないと思っていたというのもあって、外国人の彼らに会うのは日本の男性に会うよりこわくなかったのかもしれません。)とにかくビビッてる自分に、自分が幸せになることが私の周り、そして世界への、地球への一番のギフトなんだって、もう一度話してみました。
そして、歌劇団にいた私の記憶が蘇えり、自分と彼の名前を思い出しました。そして、私の過去生Mが「T君は今生の人生に『特別出演』しにきます。今は待っていればいい。動く時は知らせるから。」と言ってきました。もうこうなると、うれしいのとこわいのとで私の心の中は上がったり下がったり!
つづく
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