スピリチュアル大学自愛学ニューエイジ教室

「自分への愛」とは魔法の鍵です。自分を幸せにするばかりでなく、自分以外のたくさんの方々を幸せにする、すばらしい愛です✨💖

第六回スピ大ニューエイジ教室: 自分を愛して起こした私の奇跡 PART 4

2008-01-10 20:56:38 | 自愛で起こした奇跡
11月14日 叔母曰く「さっちゃん、サプライズが待ってるわよ!」

朝、少しエネルギーの低迷を感じ、「やっぱりだめなんだ」とあきらめようとしている自分を感じました。ネガティブ・シンキングは深く深く根づいています。でも今はすべては白紙だと言うことを思い出し、まだ何も起きていないんだから、五分五分を信じようと自分に言い聞かせました。

エンジェルカードは「TRUST 信頼、SURRENDER ゆだねる、HOPE 希望、VALIDATION (思っていることが正しいと言う)確認」が出ました。圧倒的に私の望みを叶えてくれるよと言っているとしか思えませんでした。可能性を捨てない、でも気持ちが落ちていることも受けとる(=その気持ちを感じてすばやく流す)をすると、また気持ちが上がってきて復活しました。そして、彼は芸能人で有名人かもしれないけれども、私と同じ人間だから、自分を彼よりも下に思って過小評価したりすることはしちゃいけないと強く思いました。それをやったら、まず出会えたとしても楽しい思いをしないだろうと想像がつきました。私の光の存在の中には2年前亡くなった叔母がいるのですが、彼女にこの一件が始まった時から、毎晩相談をしていました。T君に会えるのかなと聞く度「さっちゃんの懐のサジ加減次第よ!」と満面笑みで答えてくれてました。(要は、私がそれをどれだけ信じられるか、どれだけ私がプラスを選ぶことができるかと言うことと理解できました。)それがこの日を境に出会う日まで叔母が毎日「さっちゃん、サプライズが待ってるわよ!」と言い始めたんです。おそらくこの状況、ネガティブ思考すれば簡単にあきらめられるけれど、それがくつがえされると言うことかな?とは思いつつ、う~ん?と思っていました。

(ここできっと、私がサイキック力が強いから、光の存在と話ができると思った方は結構いるのではと思いますが、そういうことではないです。誰かのことを考えた時、目に見える存在でも見えない存在でもかまいませんが、その存在の姿を想像する、感じてみると言うことをして、自分が話しかけたのならば、どういう答をするだろうかと想像してみるんです。それがコミュニケーション法です。想像できた時、その想像したものはそういう事実が存在するからこそ想像できると、バシャールと言う存在が言っています。それにたくさんのことを想像できるはずなのに、なぜその時たまたまそういう言葉を自分が想像したんだと言うほうが不思議なことなんです。偶然はないと言います。その際、一番大切なことは、自分ができる限り、恐れ不安を手放し、ポジティブな方向へ開くことができる自分になれているかということです。光の存在からのメッセージは決して自分に恐れを呼び起こすようなものではないと言うこと。自分の心が温まることだと私は信じています。そして、もちろん、すべての人はサイキックです。自分を受けとめ愛し、光の存在たちと一緒に生きていると言うことを信じ始めた時、自然とそちらからメッセージが流れ、彼らとつながって行きます。そういう流れてくるものを信じるということをするだけでたくさんのサポートを受けることができるようになる、それだけだと思います。サイキック力というのは流れてくるものを信じるという力なのかもしれませんね。)

11月15日 ABCDグループ到着前夜。

自分を受けとめる、認める、愛するは本当に努力がいることです。T君のことを思う度、自分がまた「大した存在じゃない」と言う気持ちに引っ張られそうになります。自分をもっと受けとめ、大切に思うがなければ、欲しいものを手にすることができないことは明白。自分の美しさに目覚めることが私にとっては自分を受けとめ愛することの中で比重が大きいと思っていました。自分の美しさに目覚めるというのは、自分の前に現れるすてきな人を見て、そのすてきさは自分の中にあるからこそ胸がドキドキするんだということを理解すること。じゃぁ、一体私はT君の持っている何を持っているのか? 踊ること歌うこと、そして、それをやっている時に見せるあのセクシーさやかっこよさを出すことができるエネルギーを持っていると言うこと。彼の「美しさ」を持っているということ。

外見の「美しさ」と言うのは、人の目の中にあると英語で言いますが、美の定義は人それぞれで、現代社会ではメディアで見せられる姿だけを「美しい」とインプットされています。しかし、美しさと言うのはその本人が自分を「私はそのままの自分を美しいと受けとめます。」と宣言することで開花し光り輝くものだと思います。過去そういう方を何人も見ていますし、実際にメディアにいらっしゃる方々にもそういう方がたくさんいると見受けられます。メディアの「美しさ」はある意味分かりやすい「美しさ」だと思います。でもそんな中、好みも反映され、私の好み(やメディアに思い込まされた美を信じる私)から言うといわゆる美人美男だと私は呼ばないかもしれないという方も確かにいらっしゃいますし。それはただの好みであるだけですが。でも事実は、地球上にいる66億人すべての方は自分を受けとめ、微笑んだ時に美人と美男になる、それだけだと思うんです。だから、T君が見せている分かりやすい外見の美は、私の中にあるまだまだ発掘されていない美を、そしていろんな形の美を思い出させてくれていると言えるんじゃないかと思うんです。彼が見せてくれるものとは、私ってもっとすてきなものを持った存在なんだよってことを思い出させてくれてるんだと思います。

同時にT君の魂が私に語りかけてくれ、「もっと自分を信じ、自分の美しさに目覚めていいんだよ。神さまが創った芸術品なんだから」とたくさんの励ましの言葉をもらい、涙しました。そして「できるだけ会いに行くから」と言ってくれました。
 
芸能人の方と言うのは露出が多い分、こういう風にたくさんの人達の心の中にあるものを見せてあげるという役割を担っているんだと思います。以前、長瀬智也君がやっていた「ムコ殿」にはまった時に、彼を見ていると天使のような気がすると思ったんです。私の光のお助け隊の中に彼の持つエネルギーを持った天使がいると言うことじゃないかとあの時は思ったんです。それ以来私はその天使君のことを「智天」と呼んで助けてもらっています。何か自分が持っているもの、または自分を助けてくれている存在のことを思い出させてくれているのが、芸能人の方の一つの役割なんじゃないでしょうか。

その夜、私は翌日空港に行く気はないけど、どうなってるのかなと思いながら、いつものように光の存在たちと話をしながら寝ました。


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