独りの老人が町中を歩いておりました。
この老人のいでたちは、黄緑色のカーディガンに、グレーのコールテンパンツ、鳶色のベレー帽を頭にちょこっとのせたものでした。
蔭から覗くのは少し気が引けましたが、観察するほどに (U) 老人らしくないのです。
横断歩道を渡るときも、普通の老人なら車との距離を考えて、最悪でも車が避けてくれる距離で横断を始めます。でも、この老人はそうではありません。最悪の場合、車に轢かれてしまう距離で渡ってしまうのです。(T)
老人の歩き方は、そう、一言で言ってしまっていいモノか、まあ言うなればスキップなのです。言うなればと言って、別に他に形容の仕様があるわけではないのですが、見も知らぬ御老人の歩き方を「スキップ」等という単純な言葉で言い表しても良いものでしょうか? もしかしたら、そこには大変深い訳があるのかもしれません。でもとにかく、老人はスキップで道を渡って行くのです。
歩道橋の上からじっと観察し続けていた私は、あわてて彼を追いかけました。まるで不思議の国のアリスです。老人をよく見ると (S) 胸には一輪の黄色い薔薇の花が刺してあります。カーディガンの緑に程よく映えたその薔薇は瑞々しさを失ってはおらず、その老人に対しては失礼にあたるのでしょうが、彼とは対照的な若々しさを発散しておりました。私の記憶が確かならば、黄色い薔薇イエローゴールディナと言えばかの有名なパラケルススが銀隗を黄金に昇華させるのに用いたとされる貴重な逸品で街角の花屋さんではちょっとお目にかかれないモノなのです。この老人が何故この薔薇を胸に刺しているのかは私には分かりません。(U)
しかし、この黄色の薔薇を売った花屋は知っています。花屋の名前は「フラワーショップ・桑田」といいます。店主の桑田和夫とアルバイトの鈴本かなの二人で店を営んでいます。老人はここの常連で、花を買わないときでも立ち話を交わすのです。
黄色の薔薇を買った老人は六日市高校の裏山へ登って行きました。しばらくすると大きな樫の木がありました。樹齢は八百年ほどのしっかりした木です。(T) 他を圧倒するほどのその枝ぶりは南へ西へ張り出し、(U) この山の主を連想させます。老人は木に触れて大きなため息をつきました。(T)
「ああ愛しのアンヌよ。我が青春の幻影、大満国よ」
私の耳には、彼の呟きはそこまでしか届かず、老人もまたそのまま黙ってしまいました。興味半分についてきてしまった私はいくらか落胆し、そのまま私は立ち去りました。
かつてこの国が貧しかった頃新天地を大陸に求め、多くの人民が開拓団として派遣されました。そこに建国されたのが大満国であります。この老人のお話はここで一時中断し、皆さんにはしばらく大満国についてお話しましょう。(U)
大満国はこの国の西に位置する農業国です。国の中央に南北に長い大きな楕円形の湖があり、この湖の水が畑を潤しています。元々この国の一部であったのですが、あの年を境に独立し、大満国を打ち立てたのです。
大満国が成立する直前のことです。開拓団長ケール・アタチュルク・ナグールには弟がいました。弟の名をホーク・ト・ナグールといいました。ケールとホークはひとりの女性を奪い合っていました。その女性の名はアンクテーヌ・ダマン・如月と云いました。二人の諍いは長くは続きませんでした。どちらかが独立したばかりの名もない国をまとめなければなりませんでした。弟ホークはこう提案しました。
「国は兄貴のものでいいから、アンヌを僕に頂けないですか」
兄ケールはその提案に乗り、初代皇帝に即位し、大満国と命名したのでした。(T)
光りあるところに蔭があります。まこと栄光の蔭には人知れずスパイの姿がありました。されど問うてはなりません。闇に生まれ闇に消える、それがスパイの定めなのです。かく云うこの国の建国に際しても人知れず暗躍した七人の人間がおりました。今となっては知る人もなく、資料といえる物は全て残ってはいません。歴史の裏側を垣間見た者は容赦なく暗殺され、偶然にも関わってしまった者は以後生きる屍としての生活を余儀無くされました。彼等の時代には銃器と云う物は存在せず、もっぱら暗殺には毒薬が用いられました。
この国の首都クレスタールは、緑の多い温暖湿潤な環境にあります。(U) ちなみに「この国」とは大満国のことではありません。温暖な環境でなぜコールテンのズボンやカーディガンをきる必要があるのか・・・などと無粋な質問をする方はたぶん居ないと思いますが、温暖でも寒い日はありますし、クレスタールは科学が発展した都市なので立派に車も排気ガスも歩道橋もあるのです。・・・納得していただければ幸いです。
さて、老人の話に戻りましょう。私はとぼとぼと六日市高校の裏山を下っていき、もと来た道を戻って行きました。
目の前の横断歩道を軽やかに渡っていく (S) 金色の兔。
この星は我々人類が何千年も前に入植した星なのですが、以前に多く居た先住生物であるこの兔も今では少なくなってしまいました。
遠い昔に 母星を発ってやっと辿り着いた惑星には、遠い母星で見かけた兔そっくりの生き物がいたのでした。
なんら害もなかった金色の兔は虐殺される事もなく人類と共存を始めましたが、いつの間にか人里近くには近寄らなくなりました。
大満国の旗の兔は今ではなかなか目にかけることの出来ない動物になっていたのでした。(N)
私は訳もなくぶらぶらと国道沿いの道を歩いていきました。そしてふと思い当たったのです。
「そうだ、さっきの老人の歩き方、あれは」(U)
突然の大声に道を歩いていた人々は振り返ります。思わず口をつぐんで、私はキョロキョロと辺りを見回しました。そうです、あれは確かに金色兔の歩き方だったのです。そのことに気づくと同時に私はなぜあれほど老人が気にかかっていたのかわかったのでした。少し前に見かけた小説に「兔族」と言う言葉があったのです。(S)
この小説を読んだ方は御存知のことと思いますが、この小説では兔族はふさふさとした白毛を体中に生やし耳は長く、紅玉の眼球を持った獰猛な生物として描かれております。主食としては餅を喰らい、満月の夜には人類と同じ姿に変身するのです。主人公のファミーは兔族の中でも人一倍(兔一倍)好奇心の強い子供兔で、仲間の和を乱すことも度々でした。ある日、ファミーは家族のもとを離れ単独で人里へ下りていきました。人という生き物は、か弱い生き物で (U) すが、平気で兔族と接触します。そのために兔族と人類は比較的簡単に共存できたのかもしれません。(T) そうして人類は兎族に迎え入れられる形でこの星に定住するようになった、そういった兎族と人類の出会いの、脳の片隅にかろうじて残されているかすかな超古代の、記憶を小説の形で主人公ファミーを通して描いたものなのです。これはあくまでファンタジーなので、現実には兎が人間の姿になるなどとは思いませんが、この星の普通の金色兎の生態についても現在に至って解明されない数多くの謎があることは確かなのです。
その「兎族」という言葉も恐らくはこの小説の作者の造語でしょうが、実際に貴少種の幸運の金色兎を見ていると、もしかしたら彼らは我々の言葉を理解しているのかなと、そんな想いを抱いてしまいます。
とにかく老人は、兎と同じステップを踏んで歩いていたのでした。
あの老人は金色兎の変身した姿では無いのだろうか? 今日は満月の日じゃないか。
いやいやそんなはずはない。それは小説の中の話でしかない。いかにも老人離れした格好をしていたけれども、確かに彼は人間だった。私はどうかしている。今日は早く帰って休んだ方がいいかもしれない。
私はそのまま近所のストアーに寄って買い物をした足でまっすぐ家へ帰りました。まだ午後五時をまわっていない時刻でした。(U)
電気の節約と、自然との共存を目的とした政策により、夜の八時を過ぎると街の明かりはぐんと少なくなります。
食事の後で、ほのかな明かりの下、山と積み重なった雑誌の中から彼の小説を探し始めた私の心は、老人のスキップと黄色い薔薇で埋まっていきました。小説を探しながら、私はしだいに老人が触れていた樫の木が気になってきました。なぜかあの木の下に行かなければならないように思えてきたのです。少しでも気になると、思いは強くなる一方です。時計は九時近くなっていました。暗い夜道を歩く者はいない時刻です。私は窓を開けて裏山がある方向を眺めましたが、そんなことで気持ちが収まりはしませんでした。そのときです。いらいらしながら溜息を継ぎ、ふと見上げたその先に何か白い丸いモノが過ったのは。信じられないことに、見開く私の目には今はっきりと大きな満月が映っていました。(S)
惑星モーナット暦六二八七年一二八日(一年は三六〇日、自転周期は地球と同じで二四時間制を採用)早朝。
六日市高校の裏山で身元不明の焼死体が発見された。発見人は地元の高校性で、その日も早朝トレーニングに山を登って行き、その帰りに遭遇したのである。その高校生はその足で麓の駐在所にかけ込み、連絡を受けたクレスタール市警が直ちに出動した。
「山さん、この仏さんの死亡推定時刻はおそらく一〇時よりも前ですね。」
痩せぎすのインテリ眼鏡を掛けた若い刑事が、年輩の刑事に話しかけた。若い刑事は (U) 加藤一郎、年輩の刑事は山口宗一郎警部補である。
加藤は続けた。
「肺の中の方は煤を吸っている様子はなく、死亡した後から焼かれたようです。また、被害者の胸にある黄色の薔薇は死体が焼けた後に置かれたと思われます」
「この黄色の薔薇は重要な手がかりだ。良く調べてくれ。」
山口は運ばれていく担架に担がれた防水袋から目を反らし、山の木々を見つめた。
「店長、聞きました? 六日市高校の裏山で焼死体が見つかったんですって」
かなは植木鉢を店の中に片付けながら云った。
「ああ、実は昼頃市警から電話があったんだ。だから、薔薇の花を二人の客に売ったことを言っておいたんだ。」
桑田は事も無げに云った。
「ホークさんも金さんもこの事件とは関係ないと思うよ」
かなもそれに同意するようにうなづいた。(T)
「二人ともうちの常連さんですもんね。そういえば今日はホークさんはまだいらっしゃいませんね・・・。いつも午前中には来られるのに」
「そうだな、まああの人も年だから辛い日もあるだろう。」
「店長、あの薔薇って珍しいんですよね」
かなはアメリアダイヤモンドという花を切りそろえている。
「そうらしいな、僕はただ仕入れてくれって頼まれただけだから・・・。」
桑田はそう呟いて、かながそれに答えようとしたとき、奥から女性の声が響いた。
「ちょっとあなた! かなちゃん! これこれ、このテレビでやってるのホークさんじゃない?」
二人が駆けつけた居間では、テレビが独りの老人の姿を映し出していた。行方不明者で、例の事件の焼死体の人物である可能性もあるとのアナウンサーのコメントの下で勝浦庄一とあった。
「ホークさんてあんな名前だったんですね」
「焼死体って、もしかしてあの事件の・・・」
「行方不明者ってことは、まだ別人の可能性もある訳よね」
桑田の妻の優子はかなよりも十才年上だが、まだ二十代前半でも通じそうである。
「勝浦さん、だったわよねホークさん。やっぱりあの薔薇がなんか関係しているのかしら」
「どういうことですか?」
「焼死体で自殺じゃ無い。しかも警察が薔薇について聞き込みしてるってことは関連することで何か怪しい事があったってことじゃないの? あたし、あの花にはなんかあるって思ってたのよね」
「優子さん何か心当たりでもあるんですか?」
かなが活き込んで訊ねると、優子はフッと笑って云う。
「女のカンってやつかしら」
「なぁんだ、優子さんったら~」
「なによう。女のカンを馬鹿にしたなー」
さっきまでのシリアスな場はどこ吹く風と騒ぐ女性群を見て、花屋の主人は複雑な笑いを浮かべたのだった。(S)
焼死体発見のニュースをテレビでやっている。あの焼死体はガソリンをかけてつくられたものだ。ぱちぱちと音がして、あたりに肉のこげる臭いがしていた。その間私は男の顔から目が離せなかった。男は燃えている死体の横で膝を抱えてじっとしていた。(T)
「先ほどはどうもお忙しいところをお電話差し上げてすいませんでした。例の黄色い薔薇について詳しくお聞きしたいことが出来ましてね。我々も仕事ですからね。」
山口警部補は、弁解がましく話を切りだした。刑事の質問の仕方にはふたとおりあり、ざっくばらんに話を切りだし、腹の内を全部さらけ出してしまう方法と、相手の出方次第で質問の仕方を変えていく方法とがある。山口はどちらかと言うと前者の方を用いる事が多かった。どうしても後者だと相手に不信感を与えてしまいがちで些細な事に対して口を噤ませてしまう結果になる。ましてや今回は一般市民が相手である。ここは誠実なところを見せておく事が得策であると判断した。
加藤と山口の二人組の刑事は、その夕方暗くなってから六日市高校からそう遠くない花屋「フラワーショップ・桑田」を訪れた。ちょうどその時かなが今日一日の仕事を終えて自宅に帰ろうとしたときであった。
加藤二郎刑事は手帳から数枚の写真を取り出し、店主桑田に示しながら尋ねた。
「この黄色い薔薇ですがね。これはなんちゅう品種の薔薇でしょう。」
桑田は傍らの優子とかなにもその写真を見せながら応えた。
「これはピースだね。どこでも手に入る。それほど珍しい薔薇じゃない。」
「じゃあ、昼間話しておられたイエローゴールディナというものではないんですね。」
「そのとおり。」
少し気落ちしながらも、一体それが何を意味しているのかを思案するふたりの刑事。
目で確認し合い、山口が話を続けた。
「今日近所で焼死体の発見されたことはご存知ですか。」
「ええ、まあ。テレビでやっているのを見ました。」
「それで焼死体がホークさんの可能性があるって。」
とかな。
「確か本名は兼田さんとか。」
と優子。
「ちがうちがう、勝浦。勝浦庄一。」
「そうそう、ホークさんてのはうちの常連さんなんですがね。本名が勝浦っていうことは今日まで知らなかったんですが。」
「確かホークさんていう方ともうひとりのお客さんに売られた薔薇はイエローゴールディナだったとか。」
「ええ、そうです。ホークさんがどうしても手に入れてくれって。」
「それで焼死体の人物であると目されている勝浦庄一という人物は、そのホークさんであると?」
「そうです、テレビに行方不明者として映っていたのはホークさんでした。」
「実はこの写真の花、焼死体の胸に添えられていた物なのです。」
「ということは、焼死体の人物はホークさんではないということになりますか?」
「それはまだ何ともいえませんがね。」
「犯人が勝浦さんの買った薔薇は持ち去り、代わりにこの薔薇を残していった、ということも考えられます。」
加藤が鷹揚な口調で口を挟む。
すでに日は落ちて、はるか遠くに見える超高層ビルも闇に溶け込んでいく。
西の空には、すでに月が輝いている。
上空の温度の低い空気の塊が凸レンズの役割を果たしているのかもしれない。その大きすぎる姿は私を押しつぶすかのように感じられた。
死亡推定時刻 一二七日午後九時三〇分から十時の間。
死因 外傷性ショック死。
身元 現在不明。
性別 男性。
年齢 六十代後半から七十代前半。
所持品 小銭入れ、煙草、老眼鏡、ハンカチーフ、ポケットティシュー、鍵三種、数珠、ハーモニカ。
服装 ベレー帽、カーディガン、綿シャツ、パンツ、革靴。
「やまさん、どう思いますか?」
「なにが?」
「何がってって。この事件、何をどのように進めるべきでしょう。」
「捜査方針か? そりゃ、まず身元確認だな。」
「勝浦庄一でしょ。通称ホーク。」
「そりゃ、まだわからん。」
二人は暑の刑事部屋でお茶を飲みながら会話を交わしている。デスクの上には事件のメモが載せてある。
「もう一度、現場見に行くか。現場百遍だかんな。」
二人は、すでに今日三回も同様のやりとりを繰り返している。
やっとのことで腰を浮かせた山口はひとつ伸びをしてから、自分の上着に袖を通す。戸に向かいながらステップを踏んだ。
「るんるん。おっと、年甲斐もないな。」
「山さん、陽気ですね。」
「今のは身体が勝手に動いたんだよ。舞踏病ってやつの初期症状かもしれないな。」
舞踏病というのは、この大都市クレスタールの風土病である。最近では、自然消滅したと思われている。原因としてはある種の有機化合物が人体の諸器官に作用して恒常性を狂わせると考えられている。
この星では石油というものはまず発掘されることはない。化石燃料などは環境を悪化させる要因として、例え埋蔵されていることが解ってもそのまま埋め戻すことにしている。
私は、高校の授業でガソリン合成の方法をマスターした。家には父親の実験室があるから簡単に合成できるのだ。ガソリンなど容易に手に入れることができるのだ。しかし、衣服に付着したガソリンのシミはどうやってもとれない。お気に入りのジャージだが処分するしかないだろう。けれどいったいどうやって処分しようか。仕方がないから裏山へ捨てに行こう。無くなった言い訳は、それはまた後で考えよう。
私はタコです。
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