犬は飼い主の褒め言葉を理解、しかも人間に似た処理方法
脳の最新研究、「どう言うか」と「何を言うか」を段階的に処理
「いい子だね!」と明るく高い声で言われると、イヌはうれしそうに尻尾を振るものだ。イヌを飼っている人なら誰でも知っている。 ギャラリー:犬と世界を旅する 写真39点 しかし、科学者たちは不思議に思った。褒め言葉を聞いたイヌの脳では、何が起こっているのだろう? ヒトの場合と同じように、音情報を階層的に処理しているのだろうか? ヒトが称賛の言葉を耳にしたときにはまず、脳の原始的な部位である皮質下の聴覚野がイントネーション(抑揚や音調)に反応する。音声言語がもつ、感情面に働きかける力だ。その後、進化的により新しい大脳皮質の聴覚野が反応し、言葉の意味をとらえようとする。こちらは後天的な学習が必要なものだ。 ハンガリー、エトベシュ・ロラーンド大学の神経科学者アッティラ・アンディクス氏は、2016年の研究で、イヌの脳ではヒトと同じように言葉のイントネーションと意味とが別々に処理されていることを示した。ただ、謎はまだ残っていた。イヌの脳とヒトの脳は、情報を処理するのに同じような段階を踏んでいるのだろうか? 「イヌは言葉を持たないにも関わらず、私たちの言葉に正確に反応するのですから、これは重要な問いでした」と、アンディクス氏は話す。イヌの中にはたとえば、何千個もの物体の名を正しく理解し結びつけることのできる個体がいる。 そこで、アンディクス氏らはペットのイヌの脳活動をさらに調査、イヌの脳は私たちの脳と同じように話し言葉の音を階層的に処理していることを明らかにした。原始的な部位である皮質下で音声言語の情動的な部分を分析し、その後、新しい部位、すなわち大脳で言葉の意味を分析する。研究成果は2020年8月3日付の「Scientific Reports」誌に掲載された。 この発見は私たち人間の言語がどのように進化してきたのかについての理解を深めてくれると、著者らは考えている。イヌとヒトの共通祖先がいたのは1億年ほど前だったことから考えると、「多くの哺乳類の脳が似たような形で音声に反応しているのではないかと考えられます」と、アンディクス氏は言う。
聞き上手のイヌたち
実験にはハンガリー、ブダペスト市近郊の12匹の飼い犬が参加した。ボーダーコリー6匹、ゴールデンレトリーバー5匹、そしてジャーマンシェパード1匹だ。イヌたちはまず、fMRI(機能的磁気共鳴画像)装置の中に自ら入り、静かに寝そべっているよう訓練された。実験では「賢いね」「よくできたね」など、イヌがすでに知っている褒め言葉に加え、「もし」や「それでも」など、未知の中立的な言葉をドッグトレーナーが発するのを聞かせた。 トレーナーはハンガリー語で話し、熱っぽく褒めるようなイントネーションを用いたり、中立的なトーンを用いたりした。また、同じ言葉を同じイントネーションで何度も繰り返した。その間、fMRIでイヌの脳活動を測定した。 初めに言葉を聞かされたとき、イヌの脳では皮質下、大脳皮質ともに活動が活発になった。 しかし、褒める口調であれ中立的な口調であれ、同じイントネーションを何度も繰り返されると、その言葉を知っているかどうかに関わらず、皮質下における脳活動のレベルが急速に低下した。この事実は、イントネーションがイヌの脳のより古い部位で処理されていることを示唆する。 また、知っている言葉が繰り返されたときには、脳の新しい部位での活動レベルがゆっくりと低下した。しかし、知らない言葉を聞いた時には低下しなかった。知っている言葉に対するゆっくりとした活動レベルの低下は、脳の新しい部位が言葉の意味の処理に関わっていることを示唆する。 この研究は「イヌにとって、私たちが何を言うかが大事であるのと同じように、どのように言うかも重要であることを示しています」。英サセックス大学の動物行動学者、デビッド・レビー氏はメールでそう語った。 「それは、イヌと接していれば推察できることかもしれません。しかし、イヌが言葉を話さず、そのコミュニケーションシステム(吠え声)に意味とイントネーションとの明確な区別がないことを考えると、この結果はそれなりに驚くべきものなのです」
人の情動を読み取るべく進化
過去の研究から、鳴き鳥やイルカを含む多くの動物が、感情の手がかりを皮質下で、より複雑で学習を要する情報を大脳皮質で処理していることがわかっている。言葉を話すことができないにもかかわらず、である。たとえばシマウマは、他の草食動物の警戒声を「盗み聞き」して情動を読み取り、捕食者が近くにいるかどうかを知ることができる。 ヒトの言語はそうした手がかりから進化し、そこで使われるのと同じ神経系を用いて発話も進化してきたのかもしれないと、米カリフォルニア大学バークレー校の神経人類学者、テレンス・ディーコン氏は述べる。 1万年にわたりヒトに伴いながら進化してきたイヌたちは、そうした旧来の能力をヒトの情動を読み取るために使うようになったと、アンディクス氏は付け加える。 「イヌがなぜこうも私たちのパートナーとして優れているのか」――そして時には、なぜこうも愛らしい目で私たちを手玉に取ってしまうのか――「それを説明する手がかりになります」
文= Virginia Morell/訳=桜木敬子