何事も起こらなくて良かったとニュースを見ながら、37年前の1979年(昭和54年)の「第5回先進国首脳会議」通称「東京サミット」の頃のことを思い出さずにはいられなかった。
その頃、六本木コーポ505号室に住みだし、かあちゃんと半同棲し始めた。
熊本に帰る予定で東京に仕事に来ていたかあちゃんを引き止め、双方の親から反対されながらも職場の寮としてマンションの一室に住まい、ママゴトみたいな暮らし。
日本で最初に開催された「東京サミット」の警備で街は物々しい警戒で、六本木あたりは警官でウジャウジャ、職場に向かう時もマンションに帰る時も、何かというと職質された記憶がある。
あれからはや37年・・・・・。
最近読んだ、
「信長・本願寺 十年戦争」
「信長が最も苦戦した戦い」というサブタイトルが付いている本の中で、サミットの舞台、伊勢・志摩からはちょっと離れているのに、伊勢・長島の大虐殺がどうしてもサミットとかぶってしまい、グルメ番組で伊勢のアワビやエビが焼かれていると、信長によって焼き殺された一向一揆の宗徒とかぶってしまう。
信長がそれほど凄まじく徹底した「根切り」を行い、石山本願寺勢力の壊滅を図ったおかげで、後の秀吉・家康へと続く武家社会が維持されたということがわかるのだが、戦国の合戦の中でもとくに長い10年という時日に、いかに信長が武装宗教集団に手こずったかということはこの本を読むまであまり実感がなかった。
「信長最大の強敵は信玄、謙信ではなく、顕如 ( 本願寺十一代宗主 ) であった‼︎」という帯の文言は、けっしてオーバーではないということが本を読むと分かる。
現在なぜ本願寺が東と西に分かれているかという起因も理解でき、「津本陽」著の「信長影絵」と同時進行で読んだので、覇王・信長側と本願寺側とのズレや駆け引きも興味深く知ることができた。
宣教師「ルイス・フロイス」のような目で不思議の国ニッポンを見て、自国に伝える首長がいるのだろうか❓
ともあれテロもなく、洞爺湖のように「ギララ」も襲ってこなくてなによりだ🙄
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