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お好み夜話-Ver2

人斬り以蔵の道理

「岡田以蔵」と聞いて思い出すのは、昭和44年(1969年)公開の「勝新太郎」が以蔵を演じた「人斬り」。
 
「司馬遼太郎」の小説をもとに「橋本忍」がシナリオを書きフジテレビの「五社英雄」が監督をし、「石原裕次郎」の龍馬、「仲代達矢」の武市半平太、そして薩摩の田中新兵衛役に「三島由紀夫」というキャスティングで迫力の殺陣と演技をみせる。(コント55号の欽ちゃんと二郎さんはご愛嬌)
 
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「勝新太郎」の狂気の眼、天真爛漫な凄み、二日酔いでも走る、駆ける、駆ける、斬る!!
 
そして「三島由紀夫」の殺気、本気の切腹シーン、この映画の1年後に三島が市ヶ谷で自決したことで再び注目されたことを強烈に記憶している。
 
 
まあこのポンコツおんちゃんは龍馬好きだから、「岡田以蔵」ものにもアンテナ張ってたぜよ。
 
ほいたら本屋さんでみ〜つけた↓

著者の「吉川永青」という人はまったく知らなかったが、人斬り以蔵の道理(ルール)とはなんぞや❓とお買い上げして読んだ。
 
「岡田以蔵」の生きていた幕末のこの時期、勤王や攘夷と称し討幕の妨げになる人物を「天誅」と斬り捨てるテロが横行した。
 
なかでも4大人斬りと恐れられたのは薩摩の「田中新兵衛」と「中村半次郎」(のちの桐野利秋)、熊本の「河上彦斎」、そしてひときわ異彩を放っていたように思うのが土佐の「岡田以蔵」。
 
 
小説は、師と仰ぐ「武市半平太」の命ずるままに躊躇なく人を斬った以蔵の尋常ならざる「道理」に、尋問していくにつれ侵されてゆく幼馴染みの土佐藩の獄卒「小田切聡介」の恐怖を通して幕末史を描く。
 
『岡田以蔵が人斬るのは、命を奪うためではない。 嘘で腐らせた生を終わらせ、命を清めてやることに喜びを見出すからだ。 ゆえに、刃に躊躇いがない』
 
と、謀略家「武市半平太」は嗅ぎ取り、勤王の名の下に暗殺を指令する。
 
慶応元年(1865年)5月「死んだら助かるろう? 幸せになれるがよ」と笑顔で言い切った以蔵は打ち首、獄門となる、享年28。
 
 
文久2年(1862年)〜元治元年(1864年)のわずか2年間に暗殺が横行し「岡田以蔵」が関わったとされる暗殺は最低でも9件という説があるが、若者たちを狂気に駆り立てた勤皇・攘夷は今となっては無知・情報不足・勘違いという人も多い。
 
初代総理大臣になった「伊藤博文」(伊藤俊輔のころ)も攘夷に傾倒してイギリス公使殺害を企て謹慎をくらい、それにもかかわらずイギリス公使館を焼き討ちしてしまい、さらに国学者も暗殺したその手も乾かぬうちにイギリスへ留学し、その近代化を目の当たりにしてすっかり感化されて攘夷思想を綺麗さっぱり捨て去ったのだ。
 
そういった脛に傷持つ人たちが作った維新政府が昭和になってもちっとも変わらず、日本を戦争に巻き込み塗炭の苦しみの中から立ち上がって反映を築いたのに、なんじゃあの総裁選のポスターは💢キャッチコピーのところに「全員悪人」と書き換えたほうがいいぜよ‼️
 
以蔵が黄泉の国から蘇って斬り捨てられるぜよ、ほたえなっ‼️

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