お好み夜話-Ver2

冷やしオシッコ

アルバム「今はまだ人生を語らず」を「よしだたくろう(当時)がリリースしたのは1974年。

「たくろう」この時28歳。

28歳の小僧が「人生を語らず」なんてイキガッテんじゃねぇ、なんて当時の大人たちは思っていた。

最新アルバム「AGAIN」の中で


「理由なんてなかった
  自由の意味すらわからなかった
   何となくこじつけながら生きていた
    今思うのは
     なんて年老いた若さだったのか
      なんて面倒な若者だったのか
       もう間に合わない」

と書いている。

ポータブルレコードプレイヤーで繰り返し聴いていると、父親にうるさいと怒鳴られよくケンカしたものだ。

オヤジはその時16歳、面倒で年老いた若者だった。

アルバム「今はまだ人生を語らず」は今も大切にしているし、大好きなLPだ。

その歌の数々を胸に入れ、翌年17歳の時、親にも誰にも告げす自転車で四国へ旅立った。

もう帰らないつもりだった。

家出のつもりだったが、四国でお遍路さんとともに旅を続ければ何かがわかるかもしれないと思った。

ずっと片想いの女の子に、旅先からラブレターを書いた。

ほとんどが「たくろう」の歌詞で、何枚も何枚も書いた。

もらった方は何だコレ ? って感じで、迷惑だったろう。

室戸岬のキャンプ場のテントの中で書き、高知のはりまや橋の近くの宿で書いて出した。

足摺岬の売店のラジオから「シンシア」が流れてきたとき、思わず目頭が潤んだ。


遠い、遠いむかしのこと・・・・。

2年ぶりのLIVEで「拓郎」は、オープニングで「人生を語らず」をやった。

一発目からオジサン・オバサン・オジイチャン・オバアチャン総立ち。

昔よりスローテンポで、声も違うが、それでも68歳の「吉田拓郎」の「人生を語らず」が聴けて感無量。

あっけなく涙腺はユルユルになり、間髪を入れずに2曲目の「今日までそして明日から」でダムは決壊、追い打ちをかけるように3曲目の「落陽」で止めどなく滂沱。

だって、サビのところで2006年の「つま恋」と同じような花火の映像がバックに流れちまうんだもの、会場はどよめくしわずか3曲で興奮の坩堝さ。

しかし3曲を歌い終え「拓郎」が挨拶し、アンコール曲みたいなのを3曲やっちゃったんで精も根も尽きました、ではみなさんサヨウナラ、なんていつもの「拓郎」調で笑わした。


なんとか涙も乾いた中盤、「夏休み」に続き「シンシァ」でまたもダムは決壊。

水分出しすぎで喉がカラカラ、アンコールではたぶん40年ぶりくらいに聴くギターソロの「こうき心」ではなんとか堪えて、観衆総立ちの中お開きになった。

良かった。

メイドの土産じゃなくて、冥土の土産になったような人達と共に会場を後にした。



祭りの後の寂しさが、ただひたすらにビールやウイスキーを求めていたが、有楽町に背を向けて家路についた。

この興奮を、この思いを誰かと共有したかったが、いいのだ。

「今はまだ人生を語らず」、もはやポンコツになったオヤジに残された道は、蓄尿なのだ。

このタイミングで翌日に蓄尿なんて最初は考えなかったが、医者へもっていく数日前に蓄尿したら、それは冷蔵庫で保管しなければならなくなり、今さら冷やしオシッコなんてどうよということであえて辛い選択をした。

だから明日の朝は新鮮な ? オシッコを持って医者に行く。

その結果が出るまでは「人生を語らず」で、「おそすぎる事はない 早すぎる冬よりも」なのだ。

明日の夜は店で、「ちち」に頂いたゼットンを適量やってやるけんね、それまでガマン。

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