初めて飲んだウイスキーはなんだったろう?
自宅で晩酌していた親父が角瓶を飲んでいて、その琥珀色がなぜかニッキ飴に思えて、親の目を盗んでこっそり舐めてみてその強烈なアルコールと苦さに涙を流してむせた。
たしか小学5、6年生の頃。
それで懲りれりゃ殊勝なものだか、売れない洋画家だった祖父は「先生、せんせい」とおだてられ、金もないのに大酒くらってトラ箱へ入れられたと聞いたし、親父もまた何が悲しくて大酒くらって暴れたのか、これまたトラ箱入り。
そんな酔っ払いの馬鹿野郎DNAを受け継ぐ昭和の良い子だから、一度や二度痛い目にあったとて酒への好奇心は治らない。
引き続き親父の晩酌用のホワイト、オールド、レッド、ジョニ黒などをちょこまかして、その都度ヒーヒー言って顔をしかめたものだ。
そんな昭和の良い子は19歳になり、たまたま入選したシナリオ作家協会のコンクールで貰った賞金10万円を元手にアパートを借り、そこではじめて自前のウイスキー「サントリーオールド」を買った。
もちろん家を出る行きがけの駄賃に、サイドボードの奥に仕舞われていた「BELL'S/ベル」をちゃっかり頂いたのは言うまでもない。
一人暮らしのアパートには毎日悪友たちが押しかけてきて、麻雀&酒で夜が更けた。
その頃毎日のように飲んでいたことが、図らずも先日DVD化した8ミリフィルムにしっかり空き瓶の山として記録されていた🤣
ただその頃もほんとうにウイスキーの味がわかって飲んでいたかというと、まあただの意気がりだったと思う。
ウイスキーを本当に美味いと感じたのは、それから2年以上も経った六本木のBARでのこと。
六本木の交差点から溜池方面へ坂を下っていくと、フランスベッドのショールームがありジャニーズ事務所があったりして、小さなビルの二階にBAR「Twin」があった。
二十歳そこそこのガキがそんなBARへ通えたのも、その頃の六本木の素敵な大人の方々のお陰だ。
BAR「Twin」のマスターは独立前ホテルオークラのBARのチーフだということだったから、カクテルやお酒に関しては一流だったと今でこそ思う。
丁稚小僧のように連れて行ってもらった好奇心旺盛な酔っ払い予備軍のガキは、静かなBARに繰り広げられる大人たちの会話を耳をダンボにして聞き入り、六本木の裏事情や酒のウンチクを学んだのだ。
そうこうするうちになぜかマスターに気に入られ独りでも通うようになり、暇な時は様ざまな洋酒にまつわる話を聞き、飲み方を教わった。
当時まだ洋酒は高く、とても寮住まいのガキがパカパカ飲めるようなお値段ではなかったのに、残り僅かのウイスキーやお客さんのボトルからほんの僅かおすそ分けしてもらい、その都度ウンチクを聞かせてもらい琥珀の酒に酔った。
そのとき確実に美味いと口に出して言ったのがジャックダニエルと、ロイヤルサルートの21年だ。
どちらもガキがヒョロッと飲めるような安酒ではなかったから、マスターのご厚意でショットを一杯頂き、他の店で意気がってオーダーするとえらいことになるよ、と注意付で味わった。
それから幾星霜😑 酒での失敗は数々あれど、幸いにもトラ箱へ入れられることもなく、肝臓ちゃんもまだ元気。
今後あと何年旨酒を飲めるだろうか?
記憶を無くしてアルツの里へ行っちまうまで呑んだくれることは一頃より減ったと思うが、アルツハイマーより先にアル中ハイマーにならないでねと、かあちゃんからひと言。
オープン20年の時と還暦の時に頂いたロイヤルサルートやバランタインの30年はおいそれとは飲めないし、普段飲みの酒はちょこちょこ買っていたけれど、先日富士宮へ行った際に「シゲちゃん」のご両親からまたまた頂いてしまった。
どちらもお目にかかるのはお初です😄
一緒に行った「ホリちゃん」「ハマちゃん」よ、例によっていつまであるかはわからんけど初ものは店にありまっせ👍
今夜もアル中ハイマーまっしぐら⁉
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酔どれ天使
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