たまには漆のお話も。
ということで今回は浅沓(あさぐつ)についてです。
なぜわざわざ漆関連の話の中でも〝浅沓〟なんて聞き慣れないものを取り上げるのかというと、それは私が三重に移り住んでからの一時、浅沓づくりに携わっていたからです。
【浅沓】公卿や殿上人などが用いた浅い沓。最初は革製だったが、平安時代から桐の木をくりぬいた黒漆塗りとなる。内部に布を貼り、足の甲の部分に絹製の綿入れがついている。
この説明はネットから拾ってきたものをまとめたものですが、現在神職さんが履いている浅沓とは少し違うようです。
とはいえ私も伊勢で浅沓づくりを手伝っていただけなので、他所の浅沓の制作工程はわかりません。
偏った知識であるということを念頭に置いた上で聞いていただけると助かります。
私がお世話になった西澤浅沓調進所ではその名の通り浅沓の制作、修繕を行なっていました。
きっかけは一枚の新聞。
三重に移り住んだばかりで漆に関する情報を探している時でした。
記事は「浅沓職人の元に春から弟子が入ることが決まった」という内容で、浅沓をつくる西澤さんの写真が大きく載っていました。
12月のことでした。
浅沓は県指定の伝統工芸品でしたが、浅沓職人として残っていたのは西澤さんだけでした。
なので弟子が入ることが決まったというのは県としてもとても嬉しいニュースだったのです。
しかし工芸技術の継承という素晴らしい内容よりも
ーー漆のクツ??
と私はそこに強く惹かれていました。
なぜなら〝靴〟が好きだったから。
単純な理由です。
服飾の勉強をしていた学生の頃、靴もつくってみたくて学校見学に行った思い出が蘇りました。
あの頃、ファッションアイテムの中でも服や鞄より惹かれるのは靴でした。
なんだかとても魅力的で可愛いと感じるのが靴だったのです。
雑誌も靴ばかりスクラップしていたり、靴売り場に行ってはトキメキを探したりしていました。
その懐かしい気持ちが記事を目にした瞬間、噴出すように溢れてきたのです。
紆余曲折あって進んだ漆芸の学校では、美術品としての漆器の在り方を学びました。
いつの間にか漆器は飾って置いて眺めるものという認識でいたのです。
それが地面を歩く靴として存在していることに驚きました。
しかも〝漆〟と〝靴〟というどちらも大好きなものが組み合わされている!
これは見に行くしかないと思いました。
次の日電話をしました。
ただ電話をするまでに心の葛藤はありました。
弟子入りを志願しているわけでもないのにそんな気楽な感じで尋ねてしまっていいものかどうか。
一日悩んだ末、やっぱりどうしても興味の方が優ったので番号を押しました。
新聞記事を見たのですがーーと、とても緊張しましたが、西澤さんは面倒くさがる素振りも見せず快く見学を受け入れてくれました。
数日後だったと思います。
工房に伺って作業を見せてもらいながらお話しをさせていただきました。
柔らかい物腰の方で、私が漆の学校に通っていたと話すと色々と質問をしてくれました。
私も全く知らない浅沓について質問を重ね、今度入るお弟子さんの話も聞いて、気づけば2時間が経っていました。
そんなに長居をするつもりがなかったのでびっくりしたのを覚えています。
けれど何より驚いたのはただ見せてもらうだけと思っていた浅沓を、つくってみたいと思っていたことでした。
もう帰るという頃、私は思わず訊いていました。
「浅沓づくりをお手伝いさせていただけませんか?」
西澤さんは驚いたようでもあり、困ったようでもありました。
もうすでに弟子入りは決まっていて、ふたりも抱えられないという気持ちだったのでしょう。
それは重々承知の上でした。
それに私自身もつくってみたいという気持ちは強いものの、弟子入りして後を継ぐというところまでの覚悟は全くありませんでした。
「お弟子さんが来るまでの間、通わせてはもらえないでしょうか?」
西澤さんはひとしきり悩んだ末に「お給料は払えないよ?」と言いました。
「もちろんです」
私は被せるように返事をしました。
「それならば…」
大きく頷いてくれた西澤さんに、私は「ありがとうございます」と頭を下げました。
こうして年明けから私は、西澤浅沓調進所に通うこととなりました。
その後、春までのはずが伊勢神宮の第62回式年遷宮の年までお世話になり携わることとなった浅沓づくり。
その内容はまた次回にでも。
今回は漆の話というよりもきっかけのお話になってしまいましたが、何回かに渡ってあまり知られていない浅沓というものに触れていきたいなと思っています。
よろしければ引き続きお付き合いくださいませ。