物語にもならない

へたくそな物語を書く主の部屋

カサンドラの子供 2

2021-01-04 10:05:25 | 物語

次は、姉の話です。

姉は幼い私から見ても、少し変わった言動をする人間でした。

ただ私が3歳の時に姉が7歳です。変だなと感じても指摘するようなことはありませんでした。

第一、何が変なのか どこがおかしいのかを分析して言葉にできるほどの能力は、3歳の子供にはないでしょうし、姉を怒らせても怖いですし、姉の歳に追いつくことはないのでその年齢を経験してから目撃することはなかったからです。

 

ここに、姉の奇行を書き連ねます。

私が3歳の頃、姉はご近所に配達されている牛乳を勝手に手に取り、私の目の前で道路にぶちまけていました。

さすがに他人の家に配達されたものにそんな事するのは良くないと思って指摘したのですが、姉は大丈夫だよと言ってまったく動じず、私にもやれと勧めました。

私が4歳くらいのこと、よく一緒にぬいぐるみごっこをしたのですが、姉は自分のぬいぐるみをハサミで切ったり、わざと汚したりしていました。そんな風景を見る度に、心が暗くなったのを覚えています。

そういうのは予期せず急に始まります。私は姉の奇行を一々全部母に言ったりしませんでしたが、1回や2回は報告したと思います。

ただ、母も発達障害だとすると、注意の仕方がわからなかったのかもしれません。

それどころか母親にとってみれば、妹の私が姉のいい子守りになっていたのだろうと、今は感じるのです。

私は引っ込み思案ということもあり、殆どの時間を姉との遊びに費やしていて外では友達ができませんでした。誰かと友達になりたいと母に言うと、「あの子と友達になりなさい」と言って知らない子を指さすだけでした。

 

姉は数回、斜め向かいにある私の同級生の男の子の家に黙って侵入しました。男の子の妹の服を盗みに入ったのです。

全く見慣れない服を大きくてピンク色したウサギのぬいぐるみに着せて、「アヤコ、アヤコ」と勝手に名前をつけて呼んでいました。「その服どうしたの?」といくら聴いても、姉は質問には答えません。

その服は斜め向かいに住む私の同級生の男子の家の妹、アヤコさんの服でした。

そのことが母に発覚したとき、姉は泣きじゃくっていました。

姉と母は一緒に私の同級生の男の子の家に謝りに行ったのを、私はこっそりベランダから複雑な気持ちで見ていたのを覚えています。情けなく、恥ずかしい気持ちでした。でもこれで母も姉をきちんとしてくれるだろうと思っていました。

しかし、姉はその後も何度かそれを繰り返し、私は恥ずかしい思いをしました。『反省する』という言葉は、姉にはなかったようです。

 

また姉には、私にくれた物をしばらく後になって返せと言われたり、意味不明な酷い嘘などをよくつかれました。私は姉が嘘をつく理由をしりたくて真似をしてみたことがありますが、嘘には嘘を重ねなければならず毎日がつまらなくなったので、小学校2年生の一年間して止めました。

 

姉とは一緒にお風呂に入っていたのですが、私が体を洗った後姉はいつも二つの洗面器に冷たい水と熱いお湯のどちらかしか用意してくれなくて、そのどちらかを選べと言うのです。

私がお湯は怖いから水がいいと仕方なく選ぶと、冷たい水を頭からかけられました。

それが嫌で熱いお湯を選ぶと、火傷しそうなほど熱いお湯を、私の頭からかけました。

ある日、姉が私の同級生のお父さんは悪い事をしている。だから一緒に殺そうと言ってきました。それを二人で遊び半分に計画を立てた日も一緒にお風呂に入りましたが、私は全く悪びれていない姉を見て、なんとなく気持ちが悪くなって凄く嫌な気持ちになったのを覚えています。

 

ここに書いたのは、全て姉が小学校4年生~5年生のことです。私の小学校4~5年生の時と比べると、かなり人間的にも精神的にも幼いというか‥‥明らかに”おかしい”のが分かります。

 

姉は兄弟で何か選ぶ時、いつも私より先に好きな色に手を出し選びました。私が選びたい色はいつも選べませんでした。母はそれを見ていましたが、私が我慢することで家族の平和は保たれました。

その割に、母親と姉の喧嘩がはじまると、姉は私をひどく侮辱しました。「私という存在がいるから、自分が愛されないし苦しいんだんだ!」ということを永遠と母に訴えるのですが、勿論、私の耳にも届いています。私は酷く傷つけられたまま彼女たちの喧嘩は続くのです。

私は否が応でも、自分の存在を否定せざるを得ない状況でした。頭では「姉はわざと私の聞こえるように言っている、自分は悪くない」と分かっていても姉の吐く言葉は、知らず知らずのうちに私の深層心理を傷つけてゆきました。

姉は、人間的には幼かったのですが、私の嫌がることをみつける能力にはかなり長けていました。

そして、母も姉と一緒になって喧嘩するだけで、私の心のケアはしてくれませんでした。

第一章を読んでいていただいている方には、私の母親が幼い私の心のケアをするはずがない事はお分かりいただけるでしょう。

(私の母は、私の大切なぬいぐるみを勝手に全て捨ててから事後報告をしたり、私の寝ている間に普段から嫌がっている前髪切りを、勝手にしようとした人です。

もしかしたら母は、私には自分の考えや意思などないと考えていたのかもしれません。こういう事は、言葉にせずとも普段からの態度で出るものです。伝わってくるものです。

このように毎回、私の意思は母親の屈託のない笑顔によって、ことごとく崩されてきたのです。)

ただ、母には悪気がないように思われましたが、姉には明らかに私に対する攻撃的悪気があったように思います。

また、姉と私は2階の同じ部屋でしたが、小学校3年生のある日突然、追い出されました。しぶしぶ1階おふすまだけで仕切られた仏壇のある部屋が私の部屋になりました。母親が布団を敷いて寝る部屋です。

そして、姉は部屋が自分一人のものになると、いよいよ本領を発揮し始めました。

ある日突然、奇声を発しながら2階の床が壊れるんじゃないかと思う程暴れました。そんな事が何度もありました。急に始まるのでなぜ怒っているのかは誰にも分かりません。

「床が抜けるんじゃないか?!」という親の言葉に、私はただただ家が壊れる心配と、訳がわからない恐怖心を抱いたのを覚えています。

一番怖いのは、その勢いのまま1階に降りて来た時です。その時は、間違いなく私がやられるでしょう。

 

家族旅行も、姉が行きたがらないという理由で自動的にしなくなりました。よって私には殆ど家族旅行の記憶がありません。

私が家に友達を連れてきても、姉がいつ暴れるか分からずハラハラしなければなりません。

いつのころからか、「この家に姉さえいなければなぁ…」と思うようになっていました。

理解できない言動、嘘、奇行や奇声‥‥私にとって、姉はただただ人の良心や常識が通用しない”悪魔”のような存在でした。

それでも私は、

夕飯を家族と一緒にとらず母が姉だけのために買ってきた別メニューを一人で食べ、私が後ろから見えないくらいTV画面に上着で覆いかぶさって観ている姉   をみて、”たまには運動した方がいい”と考えて、無邪気なフリをして風船でバレーごっこをしようと誘ったら少しだけ乗ったのを覚えています。(私小5姉中3)

しかしその後も、姉の行動は何一つ変わりませんでした。

 

姉は高校受験の時には、自らが全く勉強をしなかったくせに、どの学校にも入れない現状にとてもガッカリしていました。

仕方なしに定時制の高校へ行くことになったというのに、「バカと一緒に勉強したくない」と言って1週間で辞めました。

自分の蒔いた種で咲いた気に入らない花を、結局最後に踏み潰す姉の行動は、全く理解しがたいものでした。

”なら、そうならないように過ごそう”という気持ちは最初から持ち合わせていないように見えました。

 

ちなみに余談ですが、姉は 小学校6年生の時には「目指せ東大!」という目標を書いた紙を自室ではない家族に見える場所に貼り付けて、長時間 自室の机にかじりついていました。

私はそれを異常行動だと感じたのですが、母にとっては”手がかからない子はいい子”です。私が「ちょっと変じゃない?」と指摘しても、母はなんとも思っていない様子でした。

また姉は子供の頃から、特殊学級などの知的障害の児童を執拗にバカにしました。

そのため、40歳になって自分が発達障害だと診断された時、認めたくないがゆえに非常に暴れたそうです。その後、発達障害に関する救いの手を差しのべる人が家に訪れるのですが、その人に対しても いきなり飛び蹴りをしたり、罵声を浴びせて帰らすなどして追い返したそうです。

ちなみにその時母は70代。25年以上働いていましたが加入期間が十分ではなく、老後の年金は月に6万ちょっとだそうです。本来なら2倍はもらえていたと思うのですが・・・。

姉はその母に「あの時愛してくれなかったから」という理由を掲げて、そんな母にお金をせびっているそうです。母は、電話では困っているような声でそのことを話しますが、心の奥底ではそれが生きる糧になっているかのように生き生きしています。

私の母は、子育て中は手のかかる子を嫌がりましたが、今になっては手のかかる子供が好きなようです。

母は、いつも意味不明なことで心配し自分の中だけで考え、行動は他人に任せます。

本当に心配するべきこと(例えば女の子を育てる為の躾や 気を付けるべき点、また一人ぼっちにされる幼児の寂しさや、子供が訴えるいじめ等)には気にもかけませんでした。

こちらから見ていると、まるで好みで心配事を選び、それを糧にして生きているように見えます。

このことは、母の周りを取り囲む友人もそのように言っているそうなので、私の偏見ではないと思われます。

(母には友人が多いです。屈託のない人は他人に好かれるものです。それが家族であるか他人であるかでは、全く逆なのです。

私には友人が一人もいないので、自分が自閉症とか発達障害なのかと悩んだこともありましたが。)

 

そして、私の父もまた父親の資格のない人間でした。”資格がない”とハッキリ書くには理由があります。

それは父が最初から姉妹の教育を放棄していること、私が小5の時には殆ど家に帰らなくなったこと、まだ母と婚姻関係にあるのに外に家族を作った事です。

また、姉妹を叱る時にはわざと嫌がることをして裏声で笑う癖がありました。姉は悪いことをしたので叱られていましたが、私に至っては悪い事をしていないのに1度だけ閉じ込められた記憶があります。

また、職場をすぐやめては転々とした(母親はそのことを包み隠さず愚痴を吐いたり夫婦喧嘩する)ので、子供たちにとっては心配がつきませんでした。

これは十分親失格と言っていいでしょう。

兄は成績が良く優秀で、自室で自分の趣味に没頭していました。一見家の中でいちばん質の良い人間に見えましたので、母親は兄の為なら正しく悩みましたし、進学の時なんて頼まなくても悩んだり、兄が反抗期で「ワン(はい)」「ニャー(いいえ)」という返事以外全く話さなくなっても、母は兄に言われる通りにしていました。(滑稽な風景でした。)

そんな兄の実態は、嘘みたいに冷たくドライで人間味に欠けた人なのです。。。。

 

 

続きます。