うた。の消したい備忘録。

思い出供養の為に始めました。
思い出話や何か思ったことを書きます。

私が、確かに愛した廃村。

2022-03-05 13:15:00 | 日記
私の故郷はもうない。
とはいっても、家そのものはある。
ただ村名が合併でなくなった。

そんな村を故郷に持つ私のお話。

(固い口調→説明
です.ます口調→心情)


名前ががなくとも。
「村名がなくても家があれば良いじゃない?」と言う人がいる。

まぁ間違ってはない。
村名がなくなっても土地そのものはある。
見た目の上では合併後と前で変わったことを探す方が難しい。

でも、よく考えてほしい。

村としての名前がなくなると言うことは「廃村一歩手前」という状態にあるということ。
そして残りの一歩は確実に踏み出すことになる。
もしかしたら、もう踏み出していて足が地面に付く寸前かもしれない。

どちらにせよ私の故郷は「死んではないが新陳代謝が行われない状態」なのだ。


それは確かに悲劇だ。
だが、喜劇でもある。




村が衰退した理由
簡単な話、時代に乗り遅れたのが主な理由。

農業以外の仕事は殆ど無く、お店の店員になるか長距離の配送をするか公務員になるかぐらいしか選択肢がない。

都会ではWebの仕事やテレビだなんだって言ってるときにこの様。

私が生まれた時点で、若者の流出を止められないどころか生産人口の流出を止められていない状態だった。

あくまで経済的な面だけで言えば衰退するのは当然。

それに対して対抗策もなく死んでいったのは、住民にとっては悲劇。
しかし、遠くからみれば死んだことも知らない地域だから「元から生きていたのかも知らない地域が死んだ」というのは、やはり何処か喜劇的。

ある意味では死んで当然だったのかもしれない。



ここからは個人の心情。

私は「衰退し無くなっていくあの村」を愛していました。





私が愛していた死に向かう村
私が物心付く頃には村は死にかけていました。
同級生は五人程度、夏休みのラジオ体操はおばあちゃんと二人きり、お盆の時ですら帰郷する人は疎らでやがて来なくなった。

村から石油や金が出土しない限り息を吹き返す可能性は殆どありませんでした。

そういった状況だからかもしれませんが、たくさんの愛情を注いでもらえました。


常に誰かが居てくれた。
何かあれば構ってもらえた。
泣けば優しく慰めてもらえた。
私の話を聞いてくれた。


私が受けた愛情は、どれもこれも特別なものではありません。
何処にでもある、ある意味普遍的なもの。

当時の私はそれにありがたみを感じず「あって当然のもの」
たくさんの愛情に対して、あんまりな感想を持っていました。
その程度に恵まれていました。


私がその普遍的なものの価値を知ったのは私と両親の引っ越しが終わってから。

核家族となった私は孤独を知りました。


家に誰もいない。
構ってくれる人も、泣けば慰めてくれる人も、話を聞いてくれる人も。


死にかけていた村でしか味わえない愛情をようやく知ったのです。





郷愁の念を知る
引っ越してからの私は、家にいるのに「家に帰りたい」と思う不思議な状態。

でも、村に帰ることが実現不可能だともわかっていました。

あの環境は、もう二度と戻らない環境であることは子供の私でも理解していて、だからこそより強く「帰りたい」と思うようになり事態は悪化の一途。

失った「私だけに向けられていた愛情」を知ったのと同時に「私が愛していた村が消えた」ことを知ったのです。
消えたのは私たちの方なのに。


結局、そのまま今の年齢になってしまいました。


現在、私が愛した故郷はもうありません。

地名を無くし、今や残された人々も少なくない。
見る影はあるものの、影ばかりで実体の無いあの村。
家屋ばかり残された、新陳代謝の止まった村。
帰ってもあのときはもう戻らない。


なのに、未だ帰郷の念を感じるのはおかしいことでしょうか?
それとも、帰郷の念とはそういうものなのでしょうか?






読んでくれてありがとうございます。
あなたにも幸せと帰る場所がありますように。

(あの村では手に入らない情報端末から、帰郷の念を込めて。)


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2 コメント

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Unknown (macaronteaparty)
2022-03-06 07:50:11
今日は。素晴らしい記事でした。

最初は失礼ながら、さびれた地域かぁ、ふーん、
どんな人でも生まれた場所は恋しいよねー、
くらいに読んでいました(ごめんなさい😣💦)。

でも、そうした過疎地だからこそ、いっぱいに構われたということ、
そしてそこから離れた後になってみると、
それがどれだけ恋しく、また幻のように思えるか・・・

消えたのは自分たちの方なのに、
「村が消えた」という感覚が生まれるというのも不思議で、
でもすごく分かりました。

>地名を無くし、今や残された人々も少なくない。
>見る影はあるものの、影ばかりで実体の無いあの村。
>家屋ばかり残された、新陳代謝の止まった村。
>帰ってもあのときはもう戻らない。

この描写も実に見事で、
詩を書かれる人だからこその、的確かつ情緒あふれる記述かと
思いました。

こちらをフォローしていて良かったです。

また、思うところを書かれた記事を楽しみにしています。
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Unknown (utalanlala)
2022-03-06 10:09:30
@macaronteaparty あぁ!
大変嬉しいコメント!!

ありがとうございます!!
しかも一番頭を悩ませて考えた部分を誉めてくださるなんて本当に嬉しいです!!

まだまだ若輩者ですが頑張ってブログを書いていこうと思います!
本当にコメントありがとうございます!
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