Woodのぼやき

大阪府枚方市の宇山サッカークラブでコーチをしてます。失礼な発言も多々ありますが、ご容赦ください。

蹴球再建(Numberから)

2006年09月24日 | サッカー日記
昨日はクロちゃんの送別会で、まずフットサル大会がありました。私は一応サッカーが出来る格好で行きましたが、まだ病み上がりなので本でも読もうかと駅の売店でNumberという雑誌を買いました。表紙を飾るオシムの写真と蹴球再建との表紙の文字につられてのことです。その記事の中で、子供たちに伝えたい言葉があります。

Numberで紹介されていた記事には、オシムのインタビューのほかに、オシムが言っていることをリトバルスキーが解説している記事、また日本同様ドイツで挫折したブラジル代表の新監督ドゥンガの取り組みがありました。
オシムの記事で是非子供たちに伝えたいのは、次の2つです。
まず1つ目。
「もっと走ることだ。走れないなら、話をする必要はない。走る気があるかどうかなど、話題にするのも悲しい。サッカーが出来るかどうか、という問いと同じだ。
考えるかどうかも、同じ問題だ。考えることが出来なくて、どうやってサッカーが出来る?」
2つ目
「基礎は常に繰り返すべきものだ。食事のようなものさ。朝食、昼食、夕食のようにね。残念なことに、日本人は最後のアイデアだけが唯一と思っている。例えば5つのコンビネーションについて話している。彼らには、ただ最後のものだけが大切でその前の4つを忘れている。日本のチームのどこでもそうだ。基礎が出来ていないこと、これが日本人の問題だ。彼らはいまだにサーカスのテクニックでやっていこうとしている。」

昨日の朝、録画していたサッカーアースという番組を見たのですが、その中で遠藤選手が、ジーコとオシムの大きな違いは?との質問に、以下のように答えていました。「ジーコは、見せるプレーにこだわりを持っていたが、オシムは必要ないと言っている。オシムの方が、より現代的だ。」

代表監督の発言は常に注目され、あたかもオシムが言っている「考えて走るサッカー」というのが新しいもののように取り上げられる場合があります。しかし、それは昔から言われていることです。例えば、Jリーグが開幕したころ、サンフレッチェが優勝したときなども、バクスター監督が言っていたディシプリン(チームの戦術的規律)という言葉が注目されました。多分、今のオシムが言っていることと同じようなことです。それから、汗っかき、中盤のダイナモと呼ばれる選手の重要性も昔から言われています。オシムが言う「水を運ぶ選手」と同じでしょう。

ドゥンガが代表監督になって、いいスタートを切ったブラジル代表については、
・ドゥンガが叩き込んだ闘志と忠誠心
・「個」より「グループ」、個人偏重主義の終焉
ということが書かれていました。

華麗なプレーや見ていて楽しいプレーは確かに面白いですが、サッカーはそれだけではありません。むしろ、それはサッカーのほんの一部です。しかし、そのほんの一部が目立ち、メディアなどでも露出が高いため、注目されがちです。しかし、サッカーで本当に大事なものはなにかを子供たちに伝え、きちんと指導していかなければ...。

オシムが言うように基礎は常に繰り返すべきものです。今出来ると思っていても、パススピードが上がり、相手のプレッシャーがきつくなると、とたんに出来ていると思っていたことが出来なくなります。最近、試合数が多くなり、この基礎の部分をきちんと練習できているかなと若干の不安を感じる今日この頃です。


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