今年の初め、
20年以上、
音信不通だった知り合いから電話が来た。
友達とも呼べない相手の口調が妙にフランクで、
僕にアプローチをかけてくるから、
かなり驚いたし、戸惑った。
彼女は、
そんな僕の不信感を察したのか、
猫なで声(←出ました慣用句w)で言う。
「ロットン、ロットン。
なんにも心配しないで。
私ね…
ネズミ講とかマルチやってるわけじゃないから。
そうそう、
もちろん宗教もね。
嘘は、
神の前では、大罪だから」
だってよ。
これって、
フルコースじゃん(笑笑笑)
まぜるな危険だし、
完全にまざってるよな。
イカれてる。
けど、
日本人は『無宗教』を謳うことが、
カッコいい的なスタンスがあるよな?
でも、それは嘘だ。
日本人ほど、多宗教的な民族はいない。
例えばだけど、
ちょっとしたお願いを神様や仏様に祈ったりしない?
例えば、宝くじを買った時とかさ。笑
それ以外にも、
初詣は神式、あるいは、仏式。
結婚式はキリスト教式。
葬式も、いろんな宗教が混ざってるよね。
普段、神道や仏教や、キリスト教を『あまり』信仰してないくせにさ。
これが日本人の不思議であり、
面白い、宗教観じゃん。
それでも、『私は無宗教』といるあなたは、
仏像や地蔵さんを足蹴にできますか?
多分、できないよね?
僕にはできない。
ただの木や石なのに。
なぜか?
それはやっぱり、
目に見えない『なにか』を感じてるからだし。
あるいは、信じてる、って、
ことじゃないのかな?
もちろん、
僕にも、そんな気持ちはある。
ジョニー・ロットンに対して恥ずかしい生き方をしたくない。
そう思うと、
『ロック』と『宗教』は似てるかもしれない。
ただ『ロック』のそれは、自分を律するものであり、
家族、友達、
ましてや、
他人に対して押しつけたり、強要するものじゃない。
みんながハッピーになるものなわけだ。
改めていうけど、
ロックは自分、
そして、
自分以外のすべての人の人生の自由を尊重し、
金儲けとは無縁に生きてる。
そこが、
ロックと、
宗教とかカルトはちがうよな。
『宗教は、クソみたいな戯言を、あたかも事実のように語り
恐怖感を与え、枠にハメて、信心するもの以外は破滅が訪れる』
と、不安の煽って、弱い者から金をむしり取ってるもんね。
僕は、
『信教の自由』は認めるけど、
『他人の信教を否定したり、不幸にする自由』、
は、絶対に認めないし、
糾弾する。
宮本武蔵が五輪書で言ってるとおり、
『神仏を尊んで、頼まず』。
それが僕のスタンスだね。
本当に困ったとき、
神仏は助けてくれないぜ。
信じるのは、
自分が積み重ねてきた努力だけだ。
自分を信じられない奴は、死ぬほど努力してみろや。
努力が必ず報われる。とは、言わないけど…
神や仏にうつつを抜かしてるよりは、
自信になるよ。かならず。
でも、カルトがさせるような、
そんなに神様や仏様が好きなら勝手にやればいい。
死後の世界なんてものは絶対にないけどな。
だからこそ、
年端もいかなくて、分別のつかない子供たちを引きずり込んだりするのはやめてほしい。
だって、それっれ、虐待でしかないじゃん。
そこが『カルト』と『ロック』の違いなんだよ。
ロックは『愛』しかないいからね。
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