![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/0c/1b3615713c2eab4955af346ed4b6cf77.png)
私たちは基本的に、熱意だけで物事を成すのは難しい。
「私はこれがやりたい」の一点張りは、やりたいことの中に潜むやりたくないことに直面した時にすぐに折れる可能性があるからだ。
また、環境の変化により選り好みが変わり、熱意の対象も変わってしまうことが考えられる。
「好きなことで、生きていく」と意気込み動画配信者を目指すのは結構だが、企画・撮影・編集などの裏作業にも熱意が働くかは不明瞭であり、その熱意がずっと続くかの保証はどこにもない。
一朝一夕で物事を成すのが難しい現代の場合、熱意だけで物事を始めるのは少々リスキーかもしれない。
仮に、熱意がきちんと続き事をある程度成せてきたか、あるいは熱意以外の拠り所ができたとしよう。
その場合、次に直面するのは競争である。
つまり、数字などの外的指標ではかられる、その指標で他人と競い合う現場に身を置くということになる。
動画投稿者で言えば、ファンの総数や動画の視聴回数、あるいは広告収益などか。
行動を続ける以上目に入る指標に、次第に私たちは駆り立てられていく。
あまりにも指標に傾倒した場合、健康被害などの実害を伴いかねない。
一日何本も動画を作るために睡眠も食事も削っていくような状況もありうる。
これは非常にまずい。続けるどころの話じゃない。
しかし彼らは、それを意図的にやっているようにも見えるのだ。
理由を聞けば、陥った彼らはこう弁解し始めるだろう。
「相手が頑張っている以上、俺は休むことはできない」
「しなければならない、やらなければならない。なにもしない俺は無価値なのだから」
「いやだ、休みたくない。もっと頑張らなくちゃ、もっと数字を取らなきゃ」
抱いていた熱意はどこへやら。
体が壊れでもしたら、弁解する熱意もなく燃え尽きてしまうだろう。
行動の軸を熱意や数字などの要素1つに傾倒するのは好ましくなく、要素を複数個採用するのが続けるうえで適当であると、筆者は考える。
「最近の動画あんま伸びないけど、あれは自己満動画だからなぁ」
「あんまやる気でないなぁ……。せや、通帳の数字でも眺めようかしら」
「熱意を軸に投稿を続ける。再生数や収益も糧にする。両方、見失っちゃいけないのが難しいところだ。覚悟はいいか、俺はできてる。」
参考文献
Evan J. Douglas,Robyn J. Morris (2006) Workaholic, or just hard worker?
Ilona van Beek,Qiao Hu et al. (2011) For Fun, Love, or Money What Drives Workaholic, Engaged, and Burned-Out Employees at Work.
Marisa Salanova,Mario Del Líbano et al. (2013) Engaged, Workaholic, Burned-Out or Just 9-to-5 Toward a Typology of Employee Well-being.
Matt R. Huml,Elizabeth A. Taylor et al. (2019) From engaged worker to workaholic :a mediated model of athletic department employees.]
Van Beek, I., Taris, T. W., & Schaufeli, W. B. (2011). Workaholic and work engaged employees Dead ringers or worlds apart.
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます