泣きたい
泣きたい
泣きたい
ガンと宣告されてから、常に涙腺が緩い気がする。
もちろん目の前に『ガン』という死に近いものが存在するからであるが、何よりも主人の気持ちを考えると、本当に辛くて仕方ない。
私の為だけに生きている人が、
万が一私が病に倒れてしまったら、
一体どうしたらいいのか。
キチ◎イ並みの猫好きだから、好きなだけ飼って、ハッピーな生活をすればいい。
もしいい出会いがあるなら再婚すればいい。
そうは思うが、やはり彼の支えは無くなってしまう。
そして私もまた、そんな未来を望んではいない。
だから頑張るしかない。
不安に押しつぶされていたら免疫が落ちる。
今出来る事を・・・
”精神“というものは、本当に健康の要だとおもう。
私はここ数年、父(認知症)の介護に疲れていた。
出来るだけ楽になりたいと望みながら、そうすることに罪悪感を感じていた。
優しい父を疎ましく思うことに、多大なストレスがかかっていたのだ。
四年も検査を受けなかったのは、私の怠惰からくるもので、間違いなく父のせいではない。
ただ、その時頭を過っていたのは「もし私に何かあって、入院や手術をする羽目になったら、父の介護はどうしたらいいんだ?」という、今から考えればとても愚かな思考だった。
父は晩年、「子供、一人くらい産んでおけばよかったのに」とよく話していた。
私自身、高齢出産の末、産まれた一人娘で、父は私達の行く末の寂しさを考えて、そう本音を洩らしたのだと思う。
その時、少しでも前向きに取り合っていたら、私は婦人科の扉をもっと早くに開けていたに違いない。
そして病巣は発見され、もっと早くに処置出来はずなのだ。
子宮とお別れすることは、ガンが見つかった今となってはもう何も思わない。
むしろ早く体から切り離したいとすら。
もちろん子宮に罪があるわけじゃなく、メンテナンスを怠ったのは私自身。
折角健康に産んでくれた母へ、申し訳なく感じる。
────今更、何を言ってるやら
自己分析しても愚かさだけが浮き彫りになるだけ。
100%、私の責任。
これからのリスクをしっかり見据えて、生きていかなくてはならない。
たとえ寿命が短くなっても、それも自分が蒔いた種だと、自覚しなくてはならない。
そういえば周りの人の声が、いつもよりクリアに聞こえる気がする。
優しく聞こえる。
病というものは、色んな意味で変化をもたらしてくれるのだな、とつくづく思った。