ついこの間、恐らく人生最後の生理が終わった。
ぴったり四日間。
今までになくごくごく普通の生理だった。
初日と二日目は痛みがあったが、三日目から軽くなり、四日目に少なくなり、いつしか消えた。【一回だけロキソニンを服用】
代わりに透明なオリモノがまたしても出てくる。
これがきっと体がんの症状。
まるで何かを排出するかのように出る。
不愉快だが仕方ない。
この生理は子宮最後の足掻きのように感じる。
切り取られたくないと泣き叫んでいるように感じる。
体がそう訴えている気がするのだ。
私は元々子供が欲しかったわけではない。
ただ30代前半に望んだこともあった。
分家とはいえ長男の嫁なったのだから、跡取りのことは考えざるを得ない。
しかしそうこうしているうちに、義父がアルツハイマーを発症。
子供のことなど二の次になった。
いや、ただ単にそうしたかっただけなのかもしれない。
母も義母も居ない私は、子を産み育てることの不安から逃げたかったのかもしれない。
主人も基本、私と同じスタンスで子作りに積極的でなく、自然妊娠したらその時産めばいいと考えている人だった。
精子チェックをしたのも確か三十代前半だったように思う。
自然妊娠の可能性はゼロではないけれど、私の卵子の状態から考えると厳しい状況だった。
そこで前向きに治療すれば、今頃子育てに奔走していたかもしれない。
違った未来を手に入れ、体がんという病魔に冒されることもなく………。
そしてつい先日、父が亡くなり、なにを思ったのか、不意に子供のことを考えた。
肩の荷が下りたからか、子宮の状態を確かめ、もし、もし、すっかり綺麗になったら最後のチャレンジをしてみようか、という気になったのだ。
ま、結果は散々で、私はその考えを木っ端みじんに砕かれたわけだが。
むしろ父が他界しなかったら、私はしばらく婦人科に通うこともしないで、変なオリモノと変な生理周期に煩わされながら生きていたと思う。
より手遅れになるほどの放置を───
だからこれは父の最後のプレゼントなのだ。
「健康に気ぃつけや」
「僕より、はよ死んだらあかんで?」
「毎日一緒に散歩しよか。」
「もっとご飯、よー噛んでゆっくり食べな。」
などなど。
父は本当に健康マニアで、真面目で、ルーチンをしっかり守る人だった。
自分に厳しく、私に甘い親だった。
私の後悔は…………それらをすべてスルーしたこと。
良いと知っていて、行動しなかったこと。
模範となる人間があんなにも側にいたのに。
健康な体は決して一朝一夕で築くことはできない。
しかし不健康な体もまた、長い時間をかけて作り上げられていくのだ。
今のこの事態は父の愛の鞭だと信じ、必ず乗り越えたいと思う。
きっと今頃あの世で「やっとか」と笑っているだろうけど。