としちゃん&VTR250

のんびり、ドキドキ、ブランク10年のリターンライダーの日記

宇和島東高校の同窓会 2003年

2018-11-10 01:00:00 | 特別
宇和島東高校同窓会の日記

2003年 8月16日 土曜日 曇り時々雨

★同窓会の流れ

午後5時  JR宇和島駅で受付開始
午後5時半 宇和島駅出発
午後6時半 江川崎駅到着、集合写真撮影(停車50分間)
午後8時41分 宇和島駅到着、解散

列車は3両編成で、後ろから1、2、3号車、2と3号車はトロッコ車両。
1号車は、普通科、理数科の男子
2号車は、商業科の女子(他の人も居たかもしれない。)
3号車は、普通科の女子、商業科の男子

★いざ同窓会へ

 夕方5時からの高校時代の学年全体の同窓会に出掛ける。
自分が同窓会に着て行こうとしていたスカートは「ぞんざい過ぎる。」と母から却下され、母のスカートを借りて行くことに。(爆)少し緩いけど、綺麗だからまあ良いかな。

駅まで父に車で送って貰うが、家を出るのが5時とぎりぎりになったため、慌てたせいか東京での同窓会の写真(奥野君、門脇君、信川君、山下君、渡辺君、私参加)を持って出るのを忘れてしまう。

今回の同窓会は、夕方5時にJR宇和島駅に集合し、予土線(伊予と土佐を結ぶ線)を3両借り切って宇和島駅から江川崎駅までを往復するというものだ。 

★宇和島駅に到着して

 宇和島駅に到着すると もうだいぶ集まって居て私を見て女の子達が(いくつになってもやはり同級生は女の子と呼びたい♪)「としちゃ~ん!」、「全然変わってない~!」と笑われた。(笑)実は自分では髪も伸ばして少しは女らしく進化したつもりだったのだが・・・やっぱり駄目か。(爆)
高校時代より体重は増えているのだが、印象としてはそうでもないらしい。元々太っているからあまり違和感が無いのだろう。

 同級生は、明らかに痩せた人が二人、佐々木さんと三好H子さん。
佐々木さんはすぐに分かったが、三好さんは大学時代に痩せたという話は聞いていたものの、ずっと会っていなかったので、私は痩せた姿を見たことが無くて、H子さんの方から挨拶をして貰うまで誰だか分からなかった。

彼女は親戚なので赤ちゃんの頃から知っているのだが、5月生まれの彼女と3月生まれの私ではいつも彼女の方が大きかったのに、今は私の方がずっ~と大きい。
少しふっくらしたかなという人は多いが痩せている人も居るし、おしゃべりしていると皆気分は高校生♪

  受付を済ませてシールの名札を受け取りTシャツに貼り付ける。名札には3年生の時のクラスとフルネームの名前、括弧書きで旧姓が書かれている。

★会場の3両編成の列車に乗って

 今日の会場であるJRの車両は全部で3両で、2,3車両がトロッコ列車で窓を背にして向かい合わせで座れる様になっているが1両目は4人掛けのタイプだ。

普通科女子は商業科男子と同じ3両目になっていて、前側に男子、後ろ側に女子が座る。
私は、向かいが水地M子さん、隣が山瀬S子さん、石田H美さん、近い席が渡辺Mさん、家串の千春さん、岩村R子さんで、少し離れて、三好H子さん、高山さん、佐々木さん、吉見S子さん、大野さん。

★まずは黙祷から

 亡くなった人達の名前が読み上げられ、皆で黙祷する。
何故亡くなったのか分からない人も居る。
自分が直接知っていた人は、中村Y志君、是沢K子さん、土居Y君。

1学年に10クラス有るとは言え まだ平均寿命の半分位なのに 沢山の同級生が亡くなっていることに驚いた。

★挨拶し合った皆の近況(敬語は殆ど使いません。)

 水地S子さんは、広島大学合格を知らせてくれたお兄さんの友達と 結婚して山口県宇部市に住んでいるそうだ。旦那さんは国語の先生という ことで、森山先生のことをよく思い出すらしい。お嬢さんがひとり。 彼女とは小学校時代の話を沢山した。考えてみると信川君同様、高校時代はクラスも違うし、もしかしたら一言もしゃべっていないかも。
実家が八幡浜なので宇和島まで来ることは殆ど無いそうだ。
渡辺K君の結婚をとても喜んでいましたよ。>こーちゃんへ

 山瀬S子さんは、宇和島市内で自営業(水産関係)の旦那さんの仕事を手伝っていて、子供は3人。上の二人は東高で、女の子は卓球部のキャプテンで下の男の子はテニス部だとか。彼女から東高のことを色々聞いたけれど、普通科が4クラスしかないと聞いてびっくり。少子化は確実に進んでいるのだと分かる。

 石田Hさんは、嫁ぎ先と実家との間に家が2軒しか無く、名前も石田から戸田に変わっただけで、殆ど変わらないと言う。だから前の名前と住所でもちゃんと郵便物は届くそうだ。
学校の先生をしていると聞いた。

 渡辺Mさんは、実家の日吉村で養子さんを貰って暮らしていると言う。子供は二人。元気にお母さんをしているという感じだ。

 家串の千春さんは高校生の頃と殆ど変わっていない人だ。多分1番変わっていないと思う。お化粧もしていないし、イメージもそのまま。平成の大合併で村民から町民になるのが嬉しいとのこと。彼女の言葉を聞いて、私は初めて彼女が村民だったことを知った。東高に来ている村の人は日吉村だけかと思っていた。

 こうして書いてみると、本当に近くの席の人としかしゃべっていないことに気が付く。ひとりひとりの近況報告が無かったので分からない。短くても良いから近況を聞きたかったな。

★食事とビールとウーロン茶

 食事は2段のお弁当で、1段はサンドイッチなど、もう1段は揚げ物主体のお弁当だ。
私は乗り物酔いするといけないので、サンドイッチの段だけを食べる。もう1段は「クロ(最近実家に来る様になった野良猫)が喜んで食べそうだな。お土産に持って帰ろう。」と思って残す。ごめんなさい。(笑)でも家で少しは自分でも食べました。

他には茹でた海老2尾と四万十川の天然うなぎが大皿で回って来た。
海老の説明もあった様なのだが、車内放送はおしゃべりであまり聞こえず聞き漏らした。

天然うなぎは一切れ2~3cmのを「二切れずつ取って下さい。」 とのこと。回って来る前に「わずかですが・・」と聞いていたが本当に わずかなので、思わず「これは日記ネタになりそう!」と笑ってしまう。 でも余ったとかで後でまた回って来たし、最終的にかなり余っていたので、 少なめだけど日記ネタにはならない位の量はあったんじゃないかな。 欠席者が多かったのだろうか。 
山瀬さんが「やっぱりスーパーのうなぎより美味しいわ。」と言っていたが、 冷めているので私にはよく分からなかった。
私の方が意地悪みたい。(笑)

1車両に二人ずつ世話をしてくれる若い女の子が乗っていてビールやお茶のお かわりを持って来てくれるのだが、中に今日の参加者の娘さんが居たそうだ。居酒屋を経営しているという女の子だった。

列車ということでトイレの数が限られているので、私はビールを止めて ウーロン茶を頼む。ビールを飲む人も多いけれど、酷く酔っ払っている人は 居ない様だ。

★江川崎駅に到着!

 全員降りて江川崎駅のホームで集合写真を撮影する。写真屋さんも 同級生だそうだ。暗いし雨でもあるし撮影はフラッシュがなかなか 焚けなかったりして大変だ。うまく写っていれば良いのだが。

ちなみに私は目を瞑る確率50%の実績通り1枚は目を閉じてしまった。
写真屋さんもうまく撮れたかどうか不安な様で、帰りの車内で 数人ずつ写真を撮った。そして写っていない人は居ないかと大変気にしていた。

★野中君にびっくり!(今回の同窓会での1番の驚き)

 江川崎駅のホームで理数科の野中A君に会う。彼は私を見るなり「ああ!○○さん!」と言って私の手を両手で握り、私はびっくり。
一目見て彼だと分かったにもかかわらず、あまりの雰囲気の違いに思わず彼の 名札を見てしまう。(爆)

彼とは家が近くて赤ちゃんの頃から一緒に遊んでいた仲で、中学3年の時に 同じクラスになったのだが、印象では「大人しくて真面目な人」だった。
それがこんなにも社交的な人になるなんて!
仕事は以前は映画関係の仕事をしていてNHKで映画解説をしていた時期も あったそうだ。それを聞いて現在の明るい雰囲気になったことを納得する。
でも、もしかしたら昔から実際は面白い人だったのかもしれない。
今は松山で薬の卸の仕事をしているそうだ。帰宅して両親にそのことを話したら「ああ、お父さんの仕事を継がれたのね。」と言っていた。

★「二人共おばちゃんにそっくりになって来たなあ。」

 小学校~高校が一緒の 上田H君の 私と岩村さんに 対する言葉である。
岩村さんは「としちゃんは昔から。」と言っていた。確かに私は昔から 母親にそっくりと言われている。

話は渡辺K君の呼び名に及び、上田君(ビンと呼ばれていた)は、 こーちゃんのことをずっと「いもこーじ!」と呼んでいたので、 「今更渡辺君とか こうじ君とか呼べない。」と笑いながら言う。
岩村さんが「こーちゃんと呼べばいいじゃない。」と言うが、
「こーちゃんなんて呼んだこと無いし。」とまたまた笑顔で答える。
卒業してからビンに会ったことはある?>こーちゃん

★幹事の高山さんにお願いをする

 10クラスの人数からすると少ないけれど、それでも結構な人数なので、 今日の出席者の名簿を作ってメールして欲しいとお願いする。
女子もそうだが、男子が殆ど分からないからだ。高校だけ一緒の人は特に分からない。
でも幹事さんは忙しそうだ。

★帰りの車内で

 母から借りたデジカメを江川崎駅で降りた時に活用しようと思っていた のだが、その時間が無かったので、取り合えず全車両を山瀬さんと回る。
山瀬さんの中学時代の友人が居れば取ってあげようと思っていたのだが、 城南中学校の人で親しかった人は居なかったらしく、結局カメラマン役を して貰うことになる。

 写真を一緒に撮って貰ったのは、小学校の陸上部で一緒だった山本S君、 2両目では、山口電気の山口T男君のお兄さんと結婚している濱渦さん、 小学校陸上のリレーで一緒だった上村H子さん(2番目のお子さんは 全国大会に出る位に走るのが速いそうだ。)、中学3年の時に同じクラスで、 東高校のマラソン大会で1年から3年までずっと2番だった山上Kさん(1位 の人は毎年変わるのに彼女はずっと2位だった。もちろん速いということ。) 

★1両目はなんとなく静かに感じた

 1両目に入ってすぐに近くにいた男の子達に 東京の同窓会で会ったメンバーの名前を並べて知っているかどうか 聞いてみたのだが誰も知らないと言う。全然知らないということは理数科 なのかな。

理数科の岡H君を見掛ける。顔の輪郭に特徴があるので、よく覚えていた。
もちろんお話をしたことは無い人。

それから奥に進むが分かる顔が無くて、顔の分かる車両の中央に居た人達と 写真を撮って貰う。
宇都宮T君は小学校で一緒だったから知っていて、猪野君は生徒会長 だったから知っていて、上甲T君は城東中学校の時の生徒会長だから 知っていた。

上甲君は寡黙で写真を撮ってと言い難くて撮らずに 戻って来てしまった。頭を坊主にしているのだけれど、茶髪と金髪の中間位の 色に染めているので結構目立つ。宇都宮君は髪が薄くなっているそうだが、 写真では帽子をかぶっているけれど、気さくに帽子を外して見せていた。
でも私は隣に座っていたので見なかったけれど。

顔が分からなくても画質を少し落として男子もどんどん撮ってくれば良かったと反省中。東京組の皆さんごめんなさい。写真屋さんの写真がアップされると良いのですが。

★帰りは2両目で大ビンゴ大会

 小学校の時に同じクラスだったスーツ姿の佐々木K君の司会で、ほぼ全員が2両目に集まってビンゴ大会に参加する。
佐々木君は小学校の時にはよく先生に叱られていたのに、立派になったなあ と感心する。

 JR四国やお弁当を頼んだ宇和島駅ビル内のホテルや今日の参加者からも 沢山の提供があって盛り上がる。
ビンゴになった人は前に出て自分の近況報告などをする。自分の知っている 人では石田Hさんと渡辺Mさん、上田H君が当たるが、元々近況を 知っていたので新しい情報収集にはならなかった。
自分はビンゴで揃ったことが無いので、最初から期待が無く、結果もその通りになった。

 このビンゴ大会の最中に、3両目ではギターを弾きながら歌うグループが、 1両目では静かにおしゃべりをしているグループがあった様だ。
私も帰りは行きにおしゃべりをしなかった人達とおしゃべりをした方が良かったかもしれない。でもビンゴ大会が良かった人も居るだろうから、難しい所かな。 

★校歌を合唱する

 ビンゴ大会の後でみんなで校歌を歌う。ふたりに1枚歌詞のコピーが 配られて、私は山瀬さんと一緒に見て歌う。
山瀬さんは子供が東高校生だからよく知っているが、私は 校歌と「思えば過ぎし」 のメロディーは分かるものの、もう1曲が全然分からない。聴いたことも無い。(そんなはずは無いので、すっかり忘れているのだなあ。)
みんなちゃんと歌っているので、忘れている私がいけない様だ。

今日は元野球部の緒賀君が中心になって歌ってくれた。
彼は高校を卒業する時に「体格が小さいのでプロは諦める。」と言っていたそうだが、今はアマチュアで野球チームを作って指導しているそうだ。
歌声も大きく結構良い声だった。

1~2年のクラスで校歌を歌う時にはいつも吹奏楽部の石山君がイントロを 歌ってくれていたことを思い出す。ところで、石山君て何の楽器を担当していたのだろう。河野K子さんはクラリネットだったかな。

★宇和島駅到着

 私は知らなかったのだが、5年毎にこの学年の同窓会は開かれているそうで、また5年後に会いましょうと言って9時前に同窓会は終了する。

次は普通科の人が幹事をして下さいとのことだ。
メールで連絡出来る様に なると随分便利になるのだけれど。
住所交換をしている人など名残を惜しむ人達を沢山見かける。

幹事さんが用意してくれている二次会もあるのだが、知っている人だけで話した方が良いかなと言うことで、そちらには行かないことにする。

岩村さんと私と山瀬さんで「もう少し喫茶店ででも話をしましょう。」ということになり、みんなを誘うが、小さい子供が待つから、すぐにまたJRに乗って帰らないといけないから、と言う風に帰りを急ぐ人が多く、結局3人だけになる。

駅から宇和島在住の山瀬さんの知っている駅前通りにある喫茶店まで歩くが、 既に閉まっていて、スーパー富士の隣に出来たレストランまで歩くが、 それでも喫茶店が無いので、近くに居た人に尋ねて結局商店街の中央あたりに ある南予文化会館近くにある「梨香」という喫茶店に入る。10時までと言う ことで1時間弱のおしゃべり。

★ささやかな二次会(喫茶店で)

 岩村さんが卒業アルバムを持って来てくれていたので、随分久し振りに 見ることが出来る。自分の写真を見ると、確かに今よりもっと太っている様に見える。

門脇君の奥さんの写真も見ました。優しそうな人ですね。>門脇君
門脇君自身はあまり変わっていない方です。
卒業アルバムのこーちゃんはとてもとても痩せて見えます。(笑)
山下君は大人しそうに写っています。今の方が男らしい感じです。
信川君はさらっとした髪で自分の記憶通りでした。
奥野君は、ぱっと見ただけでは分かりませんでした。岩村さんは、眼鏡を 掛けたらこうなるって納得すると言っていました。

 私が真剣に卒業アルバムを見ていたら、岩村さんが「としちゃん、まだ 名札をつけてる!」と教えてくれた。
駅を出てからずっと名札を付けて歩いて来たのだった。(爆)
岩村さんの洋服はシールの名札がすぐに剥がれるので何度も付け直した そうだが、私はTシャツで強い粘着力でしっかりと付いている。
とても恥ずかしくて大笑い。教えて貰わなかったらそのまま名札を付けて 家まで帰ったのだろう。

 岩村さんは2児の母、山瀬さんは3児の母。岩村さんの長男は中学3年生、 山瀬さんの長女は高校3年生。共に受験生の母親だ。みんな親として頑張って いるなあと感心する。

店を出る前に母に現在地を携帯で報告するのに「ここをどこだと言えば 良いのだろう。」と迷っていたら、旦那さんに電話をする山瀬さんが 「今は南予文化会館近くの喫茶店で~」と説明しているので私も真似をする。 私は思わず「旧大宮ホール前の・・・」と言いそうになっていたのだった。(爆)
昔はここに市役所があって便利だったのになあ。

山瀬さんはタクシーを拾って帰り、私と岩村さんは途中まで帰り道が 同じこともあって歩いて帰る。
今日来なかった人達の話もしながら歩く。

喫茶店を探して歩いている時もそうだったが、傘を差すほどの雨ではなく、 帰り道は止んでいた。
地元から離れた人はなかなか参加出来ないが、5年後にみんなが元気で同窓会に出席出来れば良いなあと思う。

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祖母のお葬式 2001年

2018-10-24 11:50:00 | 特別
祖母のお葬式の日記

2001年3月 祖母のお葬式

3月10日 土曜日 晴れ時々曇り

 夜に弟ともぐちゃんから祖母(92歳)が亡くなったとの電話が入る。着信履歴によると、最初に午後7時19分に母から電話が入っている。亡くなったのは午後10時15分だそうだが、7時頃に悪くなったのだろうか。電話で話している時は大丈夫だったが、電話を切った途端に悲しみが込み上げて来て泣いてしまう。

 帰省して聞いた所によると、10日の朝9時過ぎに祖母が部屋から父を呼び、父が行ってみると片手がしびれると言って部屋で転んでいたそうだ。病院に連れていって検査を受けさせた所、どこも異常は無いとのこと。

祖母は両親に「お世話になります。」と言い、手のしびれも良くなって来ていたのだが一応安心のため入院することになる。

両親は帰って大丈夫と言われて夜に一旦家に帰ったのだが、遅くに急に悪くなったと病院から連絡が入り、間に合ったが10時15分にあっけなく亡くなってしまった。
祖母は午後11時前には家に戻って来たので、12~13時間病院に入っただけで、本当にぽっくり亡くなったという感じだ。

 祖母は9日まで元気で、6、7日には庭の草取りをしているし、歩いてひとりで買い物にも出掛けている。宇和島市には9日に大雪が降り、祖母の9日の日記には「銀世界」と書かれている。悪くなったのは突然の寒さのせいだったのかもしれない。
祖母の毎日の日記を読んで、私がずっと日記を書くのは祖母に似ているせいなのかもしれないと思う。

3月11日 日曜日 晴れ

祖母の告別式に出るために全日空の第2便で四国松山空港へ。当日にすぐに降りられる様にと前方席を購入したら、最前列のC席になる。

松山からJRで宇和島市へ。午後2時前に実家に到着する。弟は第1便で先に帰っていて庭の掃除や窓拭きなど色々としてくれていた。朝から親戚の人や母の友人が手伝いに来て下さっていてとても助かっている。

祖母はもうお棺に入っていて、昔の顔に戻ったその顔を見ると涙が溢れて来た。祖母は私と同じく若い頃はつり目だったのだが年を取るにつれて目じりが下がって来ていたのだ。それが亡くなると色が白くなって皺も無くなって目じりがすうっと上がって本当に若い頃に戻った様だ。祖母の死に顔を見ながら「私も死ぬと目じりが上がった昔の顔に戻るのだなあ。」と思う。

 通夜の準備など手伝いをし、午後6時半から通夜が始まる。焼香の後は殆どお茶出し係になっていた私だが、大勢の人に来て頂いて祖母の人生は良いものだったのだなあと思う。

日頃会うことの無い親戚の人たちや近所の人たちとも久し振りに顔を合わせて話をする。

みなさん帰られて両親と私と弟で祖母の話をし、夜は祖母の居る祭壇の前に布団を敷いて寝る。母は昨日は一睡もしていないので祖母に1番近い所に布団を敷いて今日は安心して眠った様だ。

夜中に甥っ子の熱が下がらないと妹から電話が入り心配になるが、それでも眠った様だ。何故なら翌朝弟から、としゴンが現れたことを聞いたから。(爆)(後日甥っ子の熱も下がって安心する。)

3月12日 月曜日 曇り後晴れ

 朝早起きをして喪服を着る。9時出棺。老師の「死に様あっぱれ!」の言葉に「おばあちゃん、褒めて貰ったね。」と母が話す。
棺おけに釘を打ってしまう時は悲しい。
霊柩車には龍が沢山居て、今回風邪で来られなかった龍好きの甥っ子に見せてやりたかったなあと思う。

9時半から11時に祖母は火葬になる。ドアが閉まる瞬間には「ああ、これで本当にお別れだなあ。」と思う。1時間半お茶やお菓子を出して祖母の話をしながら待つ。

11時にお骨になった祖母が出て来る。病気だった所は黒くなると言うが、健康だった祖母の骨には黒い所はひとつも無くて真っ白でとても綺麗だ。

明治生まれで身長が163センチ有った祖母は骨もしっかりしている。すべての骨を拾い、紺地に花模様の美しい骨壷に祖母は入る。小さくなった祖母は私が抱いて車で家まで帰る。母から「おばあちゃん、軽くなったでしょう。」と言われたが、生きている時に祖母を抱いたことが無いので、私には重みが感じられた。

 家で親戚の人や母の友人達と昼食を取る。
もぐちゃんも仙台から到着。道を覚えようと思って宇和島駅からこの家まで歩いて来たもぐちゃんは(間違わなければ徒歩15分位の距離)今回初めて駅やお城と、この家の位置関係や 駅や街の中心部から意外に近いことがよく分かったと言う。車に乗せて貰って来た時には分からなかったそうだ。
しかし初めて歩いたため、道を間違えて少し遠回りをしていた。

 午後2時からお寺で告別式が始まる。家から近い所に有るお寺には近所の人達も沢山来て下さっている。9日に降った雪がまだ日陰には残っていて、祖母の亡くなる前日の9日の日記の「銀世界」という言葉を思い出す。

お膳の後、午後3時58分宇和島発の汽車で弟ともぐちゃんは帰る。
両親と私は最後に祖母の遺骨、遺影、お膳やお酒を持ち帰る。
帰宅後、お膳は父と私で配り、お酒は主に私が横浜に戻るまでに夕食時に頂いた。「姫鶴」という宇和島市のお酒。
夜は祖母の遺骨のある祭壇の置かれた部屋に布団を敷いて寝る。祖母と一緒に寝るのは今日が最後だ。

3月13日 火曜日 晴れ

喪服を着て10時に両親とお寺へ行く。本堂でお経をあげて貰ってからお墓に行き納骨をする。祖母の綺麗な骨壷は祖父の隣に納められる。祖父と祖母が話をする様子を思い浮かべて穏やかな気持ちになる。

帰宅して洋服に着替えて1階の祖母のベッドと2階のソファーを入れ換える作業をする。その他片付けものなど沢山有り、暫くは忙しくなりそうだ。
母からは納骨まで居て欲しいと言われていたのだが、まだまだ大変そうなのでもう暫く残ることにする。

祖母の部屋に掛けてある使っていない柱時計のねじを回してみたらちゃんと使えることが分かる。しかもかなり正確である。私が物心ついた頃から居間で大活躍していた柱時計だ。日本製で「コンパスマーク」と書かれていてコンパスのイラストが描かれている。母の話では祖父母が結婚した頃に買ったものらしい。まだまだ元気な時計を見て嬉しくなる。

 新聞を見て祖母の死を知った弔問客が次々に来られる。12日は新聞の休刊日だったため、葬儀には間に合わなかった人達が結構あった様だ。大正14年にお嫁に来てからずっとここに住んでいた祖母は古い知り合いが市内のあちこちに多く居た様だ。

3月14日 水曜日 晴れ

弔問客は途絶えず。足が悪いのに遠くから来て下さる方も居て、感激する。
私は自転車で買い物に出る。普段自転車に乗ることは無いのでちょっときつい良い運動になる。出掛ける時にうちに弔問に来られる途中の同級生のお母さんに会う。透析をされているそうだが、来て下さって有難い。
帰宅してから着物を畳む。着物は好きだけれど、次に喪服を着る機会が早く訪れないことを祈る。

3月15日 木曜日 曇り時々晴れ

母の買い物のため運転手をつとめる。帰りに電器店に寄って店頭に並ぶファックス電話を見る。母は一目でソニー製品のデザインが気に入り、ほぼそれに決まるが、家で検討して明日のセールに改めて来ることにする。

 帰宅してから母と祖母の墓参りに行く。今日も弔問客が有る。

 夜に1989年12月の旅行のビデオを見る。
祖母、母、私の3人で車で回った旅行で、私の住む横浜から伊豆、石廊崎、箱根、彦根、広島と進む。

当時祖母は81歳だったのだが、浄蓮の滝の石段、箱根神社の石段、彦根城の天守閣の段差のある階段など杖もつかずに歩いて、とてもしっかりしている。
その旅行は私がビデオ(ソニーのパスポートサイズ)を買って間もない頃で、ビデオを触ることがとても嬉しい時だったので、長々と録画していたのだが、祖母との会話など沢山残っているので、今はずっとカメラを回していて良かったなあと思う。

 祖母の箪笥の整理をしていたら、祖父母の若き日の写真と私の小学1年から高校3年までの通知表が出て来る。
祖母と私が、祖父と弟がよく似ている。

通知表は、成績もさることながら、担任の先生の書かれている私に対する一言が面白い。
成績はとても良いものから同じ人のものとは思えない程悪いものまで色々様々だ。(笑)
中学と高校は何名中何位、とはっきりと数字で書かれているので非常に分かり易い。体重の順位が無いのは有難かった。(笑)

3月16日 金曜日 晴れ

 午前中に電器店へ行き、昨日見ておいた実家に置くファックス電話(ソニー)を購入する。在庫が切れていたので持ち帰って設定する所までは行かなかった。電器店は今日から20日まで春のセール中なので、プレゼントの鍋を貰う。昨日とは違って大勢のお客さんで賑わっている。

 外で用事を済ませて帰ると、今日も弔問客があったことを聞く。
午後に葬儀屋さんが祭壇を片付けに来る。祖母の写真を残して貰って、家に有る祭壇を出して祖母の遺影をかざり、新しく祭壇を組み立てる。暖房で少し葉っぱは枯れて来ているが、まだまだ菊の花は綺麗に咲いている。

 部屋の片付けを手伝い、昨日の続きの祖母と母との旅行のビデオを見て、父に宇和島駅まで車で送って貰う。
午後5時11分発松山行きのJRは、出発時には空席も結構有ったが、松山駅に到着するまでにはいっぱいになっていた。

午後6時43分に松山駅に着き、タクシーで松山空港へ。空港へは7時に到着し、7時15分発の東京行き全日空に間に合う。
飛行機の中では全日空寄席を聞いて笑うが、羽田空港からの高速バスではひとり祖母のことを思い出して涙が出て仕方が無かった。

 横浜の家に帰ってから実家に無事着いたよコールをした後に、今年の2月に祖母から来た手紙を出して読むと、また涙が出て来た。孫である私の健康を気遣う内容と「いつあえるか、あえる日を楽しみにして居ります。」そして「自分の体は自分で守ることと思います。」という文章が心に残る。
92歳まで健康に気を配り、亡くなる前日まで歩いてしっかりしていた祖母を「偉いな、見習わなければならないな。」と思う。

 横浜の家に帰るとびっくりすることがあった。テーブルの上にくまちゃんとクッキーの入った可愛い籠が置かれていたのだ。もぐちゃんからのホワイトデーのプレゼントだった。あんまり可愛いので暫く食べないで飾っておくことにする。

3月17日 土曜日 曇り後雨

 今回の日記を書く。1日に何度も涙が出る。時が経てば涙は出なくなるのだろうか。

祖母からの最後の手紙(消印は今年の2月7日)

一筆申し上げます。
長落御無沙汰致して居ります。
御元気に御暮しでしよおか
御伺い致します。
私の方は皆無事に暮して居ります故
御安心下さい。
節分も終わりました。段々暖かくなりますが
まだ寒い日もあると思います。
風邪をひかぬ様気を付けて暮して
下さい。御願い致します。
節分に御守の御札戴いて帰りましたので
御送り致します。自分の体は自分で守る
事と思います。

何とぞ良く気を付けて病気にならぬ様
気を付けて暮して下さい。
御願い致します。
何時あえるか、あえる日をたのしみに
して居ります。忠○さんも
御元気でしよおか、よろしく言って下さい。
何卒体に気を付けて元気に暮して下さい。
御願い致します。
婆ちゃんは、みんなが元気に暮して
戴く事が何よりの御願いです。
何卒御元気で。     さようなら

○○忠○様
○○○志様        キミヨ

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9/9(日)晴れ 高村先生の結婚披露宴

2018-07-27 05:00:00 | 特別
(1990年のツーリング日誌より)

出発前に 撮影。



バイクで行くわけでは ありませんが。


10:21➡11:00 の予讃線で 松山へ。
汽車は空いていて ゆっくり座れた。
駅から 真っ直ぐ 勤労会館へ。

高村先生は 色が白くて綺麗だった。
ご主人は 印刷会社に勤める人で C敬子ちゃんのお義兄さんと 同じ会社だった。
柳谷村の出身で 背も高く 高村先生とお似合いだった。

A恵子さん、Y久美子さん、T由美ちゃん一家が 来ていた。
M伸子さんは 子供が急に熱を出して 来られなくなったそうで 残念だった。
A恵子さんが ひとりでエレクトーン演奏をして 大変そうだった。

由美ちゃんの子供たちは 可愛らしくなっていた。
由美ちゃんが 友人代表の挨拶をしたのだが
泣いて なかなか言えず 子供に
「おかあさん、なかないで!」と言われていた。

長身の高村先生は 着物よりも ドレスの方が似合い、中でも 紫のドレスは素晴らしかった。
結婚式など ビデオに撮ったのだが 自分自身は写っていない。

家に帰って ビデオを見たのだが 実際に見たほど綺麗じゃなくて 残念だった。

高村先生は 今年の12月で30歳になるとのこと。
私とあまり変わらなかったのだなあ。
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