大学ノートに 写真や乗船券などを 貼りながら書いた 北海道のツーリング日誌は 前ページまでです。
文章の書き方は 下手過ぎるし 人生経験が浅くて 馬鹿で 今なら常識として知っていることを知らなかったりして 書き直したい所は 山ほど有りましたが、当時の私のままにと そのまま書き写しました。
元々 今のブログの様に 他の人が見るかもしれない、と思って 書いたものでは無いので ネットに上げることには迷いが有りましたが、
えりも岬ユースホステルの閉所式をきっかけに 中心登場人物の 佐々木君やご家族と連絡が取れて、その人柄に触れて アップすることにしました。
嬉しいことに 佐々木君は 今でもバイクに乗って居ました。(^_^)
でも いくらアクセス数が僅かなブログとは言え(それで気楽ではあるのですが) 何故今頃ネットにあげようと思ったのかは 自分でも分かりません。
ネットの日記は「ダイアリー」として 1997年からずっと自分のホームページを持っていたのに。
80年代の富士登山の日記は その中でアップしたのに。
無意識に終活しているのかもしれませんね。(^_^)
最後のフェリー乗り場の神戸まで道案内をしてくれた男の子とは ツーリングの後 文通が続いて 彼の明るくて楽しい近況を綴る手紙に 随分励まされました。彼は ただ普通に書いていただけなのですが。
彼が バイク事故で1か月以上入院した時は 私が四国からバイクで お見舞いに行ったり(ツーリングを兼ねた感じでしたが)
私が横浜に引っ越した後は 男友達と 何度か遊びに来てくれたり、と 交流が有りました。
フェリー乗り場で会った時は 19歳で 純粋で心の綺麗な人でした。
私が 今まで会った中で 数人しか居ない 馬鹿が付く位 純粋な人の内の ひとりです。
生きていくのに 少し損をしちゃうかもしれない人。
しっかりしたパートナーと 出会えていると良いなあ、と思います。
容姿が綺麗過ぎたから?
年下だったから?
「なんて美しい顔なんだろう。」と思いながら 彼を見上げながらも
不思議と 私に恋愛感情は わきませんでした。
それが良かったのですね。(^_^)
九州編、北海道編、ツーリング日誌に出てくる 旅で出会った 全ての人が 幸せに過ごされていることを願っています。
文章の書き方は 下手過ぎるし 人生経験が浅くて 馬鹿で 今なら常識として知っていることを知らなかったりして 書き直したい所は 山ほど有りましたが、当時の私のままにと そのまま書き写しました。
元々 今のブログの様に 他の人が見るかもしれない、と思って 書いたものでは無いので ネットに上げることには迷いが有りましたが、
えりも岬ユースホステルの閉所式をきっかけに 中心登場人物の 佐々木君やご家族と連絡が取れて、その人柄に触れて アップすることにしました。
嬉しいことに 佐々木君は 今でもバイクに乗って居ました。(^_^)
でも いくらアクセス数が僅かなブログとは言え(それで気楽ではあるのですが) 何故今頃ネットにあげようと思ったのかは 自分でも分かりません。
ネットの日記は「ダイアリー」として 1997年からずっと自分のホームページを持っていたのに。
80年代の富士登山の日記は その中でアップしたのに。
無意識に終活しているのかもしれませんね。(^_^)
最後のフェリー乗り場の神戸まで道案内をしてくれた男の子とは ツーリングの後 文通が続いて 彼の明るくて楽しい近況を綴る手紙に 随分励まされました。彼は ただ普通に書いていただけなのですが。
彼が バイク事故で1か月以上入院した時は 私が四国からバイクで お見舞いに行ったり(ツーリングを兼ねた感じでしたが)
私が横浜に引っ越した後は 男友達と 何度か遊びに来てくれたり、と 交流が有りました。
フェリー乗り場で会った時は 19歳で 純粋で心の綺麗な人でした。
私が 今まで会った中で 数人しか居ない 馬鹿が付く位 純粋な人の内の ひとりです。
生きていくのに 少し損をしちゃうかもしれない人。
しっかりしたパートナーと 出会えていると良いなあ、と思います。
容姿が綺麗過ぎたから?
年下だったから?
「なんて美しい顔なんだろう。」と思いながら 彼を見上げながらも
不思議と 私に恋愛感情は わきませんでした。
それが良かったのですね。(^_^)
九州編、北海道編、ツーリング日誌に出てくる 旅で出会った 全ての人が 幸せに過ごされていることを願っています。
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