六地蔵
今から200年前、建花寺村から吉川村に越す峠に山賊が出て、旅人を悩ませたのです。
黒田藩の武士が捕らえて打ち首にしたところ、山賊どもの往生が悪く幽霊となって迷い出た、そこで地蔵菩薩を六体刻んで供養したといわれるが、いつしか子供の病気、特に百日咳に効き目があるとつたえられ、前回祈願のため詣でる人が多く祈願成就の暁には、はったい粉やよだれかけを供えている。
(鎮西村誌より)
六地蔵て何だろう??
笠地蔵に出てくるお地蔵さんは何体だったでしょう。
地域によっては数が異なっているようですが、たいていの人の記憶では六体ではないでしょうか。
また、実際にお地蔵さんが複数祀られているところを見ると、六体という数が多いのに気がつくと思います。
この六体という数は、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六界のこと)から来ています。
平安時代、命は六道を転生するという「六道輪廻」の思想が広まると、人界だけではなく、六道全てにおいて救済してくれる存在として、地蔵菩薩が六道それぞれに現れる(これを「六道能化」という)という六地蔵信仰が盛んになりました。
これらの地蔵にはそれぞれ名前がついています。
『覚禅鈔』の例を出せば、先の六道の順番で、大定智悲・大徳清浄・大光明・清浄無垢・大清浄・大堅固という名前がつけられています。
これらは、持ち物などで姿からも区別されます。
六地蔵は墓地の入り口などに多くあるのは、死者の世界と現世との境である墓地に立って悪霊などの侵入を防ぐという、地蔵の「塞の神」的な性格も窺われます。
地獄に地蔵が救済に現れるという信仰は、この六地蔵信仰の一側面であるとも言えます。
また、石幢(せきどう)に六角柱のものが圧倒的に多いのは、この六地蔵信仰の表れです。
六地蔵(本当の意味)
日本では、地蔵菩薩の像を6体並べて祀った六地蔵像が各地で見られる。
これは、仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものである。
六地蔵の個々の名称については一定していない。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の順に檀陀(だんだ)地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障(じょがいしょう)地蔵、日光地蔵と称する場合と、それぞれを金剛願地蔵、金剛宝地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵と称する場合が多いが、文献によっては以上のいずれとも異なる名称を挙げている物もある。
いずれにしても、像容のみからそれぞれの地蔵がどれに当たるかを判別することはほぼ不可能である。
日本では、六地蔵像は墓地の入口などにしばしば祀られている。中尊寺金色堂には、藤原清衡・基衡・秀衡の遺骸を納めた3つの仏壇のそれぞれに6体の地蔵像が安置されているが、各像の姿はほとんど同一である。
六道(りくどう、ろくどう)は、仏教用語で6種類の世界のこと。仏教成立以前の古代インド思想を起源とし、原始仏教においてはさほど重大な意味を為さない。体系化が進行したのは後代と考えられる。
この世に生を受けた迷いのある生命は死後、生前の罪により、地獄道(じごくどう)、餓鬼道(がきどう)、畜生道(ちくしょうどう)、修羅道(しゅらどう)、人間道(にんげんどう)、天道(てんどう、天上道、天界道とも)の6つのいずれかに転生し、これら六道で生死を繰り返す(六道輪廻)と言われている。
たとえ天道であっても、苦しみの輪廻する世界を脱することは出来ない。
諸行無常の原則により、どの世界に生まれ変わろうとも、何時かは死に絶え、別の世界(或いは同一世界)へ転生する宿命。
上記6種の世界は、須弥山世界観等においては、しばしば空間的領域として捉えられる。 この輪廻の道から外れたものを俗に外道(魔縁)という。
六道にはそれぞれ観音がおるとし、観音の導きによりその世界から救われるという来世的な観音信仰が生まれ、それらの観音を六観音と呼ぶ。なお天台宗と真言宗では人間道における解釈が異なり、不空羂索観音と准胝観音がそれぞれ置かれている。七観音と呼ばれる場合はこの2観音を含めた観音のこととなる。
尚、初期仏教の時代は五趣として、修羅(阿修羅)はなく、大乗仏教になってから六道となった。これらを一括して五趣六道という。
インド・中国起源ではないが、日本では11世紀ころ、六道の各々に配当された六地蔵が各所に祀られ、大いに庶民から信仰された。
こうして見ると山賊も皆さんのお役に立つことを遣っていることがわかった、お堂へ行った時は、供養だけでは無く、ご利益をお願いすることも大切だと思う。