●『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)
★東日流外三郡誌 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/東日流外三郡誌
古史古伝の一つで、古代における日本の東北地方、特に現在の青森県のほか岩手県、秋田県を含む北東北などの知られざる歴史が書かれているとされていた、いわゆる和田家文書を代表する文献。ただし、学界では偽作(偽書)説が確実視されており、単に偽作であるだけでなく、古文書学で定義される古文書の様式を持っていないという点でも厳密には古文書と言い難いと言われている。しかし関係者の間では「古文書」という呼び方が定着しているため、本項目もそれに従うことにする。
★
★古田武彦氏が『東日流外三郡誌』に騙された理由
https://books.j-cast.com/2020/06/30012096.html
2020/06/30
中世の近畿地方史を記録したとする「椿井文書」が「偽書」だったということが話題になっている。BOOKウォッチでも
(中公新書)を紹介したばかりだ。
本書『偽書が描いた日本の超古代史』 (KAWADE夢文庫)は、「古代史」や「神代」に関する壮大な文書を取り上げている。いずれも近年に創作されたと見られている「偽書」だ。
17の「偽書」が登場
『竹内文書』『九鬼文書』『上記』『物部文書』『東日流外三郡誌』『秀真伝』『富士宮下文書』など17の「偽書」が登場する。今も関係者の一部に「古伝」として支持されているものもある。荒唐無稽なものが目立つが、かなりの信憑性を持ってメディアに取り上げられたものもある。なぜ偽書が作られ、多くの人々に信じられたのか。
★
★東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)と語部(東日流シリーズ)
https://www.yodobashi.com/product/100000009001654042/
東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)と語部(東日流シリーズ)の通販ならヨドバシカメラの公式サイト「ヨドバシ.com」で!レビュー、Q&A、画像も盛り沢山。ご購入でゴールドポイント取得!今なら日本全国へ全品配達料金無料、即日・ ...
★
★青森・キリストの墓 - 邪馬台国大研究
http://inoues.net/ruins/3naichirist.html
偽書の製作は最近では「東日流外三郡誌」が有名だが、これにも行政が騙されて悪のりしている。この事件もここからさ程はなれていない五所川原が根源だが、いずれも青森県である。
★十三湖 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/十三湖
十三湖(じゅうさんこ)は、青森県津軽半島北西部の日本海岸にある汽水湖である。地元津軽地区では「十三潟(じゅうさんがた)」とも ... 内郭は14世紀後半〜15世紀前半に築かれたものと見られ、ここより南西約3kmに位置し安東氏の本拠地であった十三湊の最盛期とも一致する。2005年(平成17年)〜2009年(平成21 ...
★東日流外三郡誌 - 擁護派 - Weblio辞書
擁護派
偽書であるという評価がほぼ定着した現在も、真作説を主張する論者、および真作説に好意的な論者がいる。古田武彦は没するまで真作説を撤回することはなかった。北村泰一、笠谷和比古、平野貞夫、吉原賢二、古賀達也、水野孝夫[注釈 1]、棟上寅七、竹下義朗、福永伸三、大下隆司、佐々木広堂、前田準、上岡龍太郎、飛鳥昭雄、高橋良典、内倉武久、松重楊江、久慈力、竹田侑子、西村俊一[12]、佐治芳彦、上城誠、合田洋一なども擁護派として挙げられる。この中には大学に職を得ているような学者・歴史家や著名人、政治家などもいる。
★東 日 流 三 郡 誌(Adobe PDF)
file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/0069-1.pdf
東日流[内・外]三郡誌寛政原本を解説する.
古田武彦. 竹田侑子
原本の鑑定結果. 鑑定文.
国際日本文化研究センター. 研究部教授. 笠谷和比古.
電子顕微鏡写真. 電子顕微鏡写真﹁東日流内三郡誌.
安倍小太郎康季. 秋田孝季編﹂. 電子顕微鏡写真﹁寛政五年 ...
★日本国の原風景 -- 東日流外三郡誌」に関する一考察
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/genihonj.html
日本国際教育学会 1999年11月7日
第10回大会報告 (於)京都・同志社大学
西村 俊一 (東京学芸大学)
一番下に、和田家文書関係のリンクがございます。
はじめに.
近年、青森県三内丸山の縄文遺跡発掘に象徴される様に、日本各地の古代遺跡の発掘調査が進み、それに伴って、日本古代史に関する旧来のイメージが大きく揺らぎ始めている。また、そのため、日本古代史の全般的見直しが歴史学の避け難い課題ともなっている。古田武彦の「九州王朝」(倭国)、「東北王朝」(蝦夷国)説は、その様な見直しの試みの一つであり、むしろその動きを先導してきたものと言うべきかも知れない。
★『東日流外三郡誌』は古代東北の真の歴史を伝える古文書か ...
https://www.asios.org/reports/tsugaru
調査・執筆:原田実
『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)は青森県の和田家という旧家の屋根裏から戦後に発見された古文書である。その存在が広く知られるようになったのは1975年、市浦村(現在は五所川原市に併合)が村史資料編としてその一部を活字化したからである。
★『東日流外三郡誌』裁判・判決とその問題点
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/hihan/saiban.htm
平成四年十月二十一日、大分県在住の野村孝彦氏は、写真盗用および論文剽窃の件で、 青森地裁に損害賠償請求の民事訴訟を起こした。被告は『東日流外三郡誌』の偽作者・和 田喜八郎氏ならびに、その著書『知られざる東日流日下王国』(昭和六二年刊)の版元と なった八幡書店(同社は『東日流外三郡誌』のテキストも刊行している)である。
以前から、野村氏は奈良県生駒市や和歌山県新宮市那智勝浦町の「猪垣」といわれる古 い石垣に関心を持ち、それが古代の遺跡である可能性をも考慮して、本格的調査が必要だ と唱えていた。野村氏は自ら山中を探索し、その暫定的報告を昭和五十年五月十四日付の 日本経済新聞に「謎の猪垣熊野に眠る」との見出しで発表している。
★日本の原風景の源流を探る014 風景とアイデンティティ
関西大学/現代計画研究所大阪 江川直樹
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/gakugei/judi/semina/s0509/bu014.htm
ブータンから学ぶことはたくさんあると思うのですが、それよりも、帰国後、ずっと考え続けていることがあります。『(国の)アイデンティティと風景』についてです。美しい田園風景や素晴らしい農家、ちょっときわどい近代化の風景などを愉しんでいたのですが、私の心の平静をやぶるある光景を目にしたことがきっかけでした。詳しいことは最後のほうで述べさせていただきますが、世界中どこでもあるような風景かもしれない(今の日本では見ないけど)と思いつつ、ブータンのGNHの世界で見たがゆえに、私にはショッキングで、実は、写真にも撮れなかったほどだったのです。
まずは、私にとって印象的だった写真を織り交ぜながら、ブータンを扱った書物からの文章をご紹介したいと思います。ブータンがどういう国だと思われているかが良くわかります。文章には、先に報告された方々のご紹介と重複するところもありますが、全体像の再確認だとお思いいただければ幸いです。書かれた当時の年代を記してありますが、今から5~6年前で、今日、見たようなティンプーの近代化の様子などは、あまり述べられていません。
★『東日流外三郡誌』序論 日本を愛する者に 古田武彦
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinkodai7/furuta72.html
『新・古代学』古田武彦とともに第7集2004年新泉社,『東日流外三郡誌』一
一つの念願を達することができた。
今年の六月中旬、五日間を通して和田家文書の「講読」に取り組んだ。青森の古代史の会の皆さんが、これを望み、見事になし遂げて下さったのである。わたしはそれに応じさせていただいただけだ。心から楽しい、すばらしい五日間だった。
きっかけは、昨年だった。例によって、ねぶた祭りの頃だった。北海道の札幌へ行く途中、お寄りした。暖かく、皆さんは迎えて下さった。その時、お聞きした。もう、この四、五年、休むことなく、毎月、『東日流外三郡誌』の勉強会をつづけておられるとのこと。驚いた。
青森市といえば、あれほどの「反、東日流外三郡誌」キャンペーンの中心地だ。これでもか、これでもか、とそのキャンペーンはつづいている。或いは、第一面で、或いは、コラム欄で、“こりもせず”それは続けられている。今回も、“貴重な”その資料を、会の方々からいただいた。
「あとになれば、『なぜ、あんなにシャカリキ三郡誌攻撃をしたのか。」と不思議がられる。そういう時代が来ることは確実です。そのときには、この『反、キャンペーン』は、“貴重な”資料になりますよ。」
そう言って、各自のお家から、もってきていただいたのである。.
★『東日流外三郡誌』公刊のいきさつ
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/fuzimot4.html
古田史学会報 1994年12月26日 No.4 藤本光幸
ーー安本美典・三上喜孝責任編集『季刊邪馬台国』の無責任中傷記事に反論ーー
「責任編集」とは名ばかりに、匿名「情報」を羅列した無責任な無署名記事で他者を名指しで中傷し続ける『季刊邪馬台国』誌はもはや学術雑誌とは程遠い。同誌に名指しで誹謗中傷を受けた、和田家文書の紹介者藤本光幸氏に『東日流外三郡誌』公刊時のいきさつと『季刊邪馬台国』誌への反論の筆をとっていただいた。(編集部<p>
『季刊邪馬台国』五二号に、“虚妄の偽作物『東日流外三郡誌』が世に出るまで”との表題で、ニュースソースはすべて匿名という、およそ学術雑誌とは思えぬ 内容で、虚偽記事が掲載されている。 『東日流外三郡誌』に最も深く携わった者の一人として、ここに真実の歴史、同誌公刊のいきさつを明らかにしておきたい。
『東日流外三郡誌』公刊の件に関しては『季刊邪馬台国』五二号一一〇頁に藤野七穂氏が述べて居られる
「“和田家文書”が世に出る契機は、昭和四十六年の市浦村長・白川治三郎氏の発意になる村史編纂事業に端を発する。村史編纂委員長の山内英太郎氏が史料の収集に奔走するうちに和田喜八郎氏と知り合い、その家蔵の『得難い貴重な史料』を提供され、通史編に先立って、資料編の刊行に踏み切ったのである。この『得難い貴重な史料』というのが『東日流外三郡誌』だったのである。」
と云う事が本当の事実である
★【寛政原本】東日流外三郡誌界隈【古田史学】 - 5ch
https://academy6.5ch.net/test/read.cgi/history/1276298875/
2010/06/12 1 :
【寛政原本】東日流外三郡誌界隈
【古田史学】真実の寛政原本!!【東日流】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1187685739/
【古田史学】真実の寛政原本 part2 【東日流】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1213876758/
3 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 11:01:40
古田武彦
『古代に真実を求めて』で
『国記』と『天皇記』の発見を
報道
「望外だった。
「東日流(内・外)三郡誌」の中から「天皇記と国記」が
“発見”された。
紀(古事記・日本書紀)には及びもつかぬ、歴史認識、
それが他でもない「天皇記」からの引用だった。
今回の「寛政原本」発見の“偉大なる副産物”となった。」26]
※2010年4月25日付で刊行された雑誌で古田武彦氏が発表した文章
「 ここで問題になってきたのが「天皇記」、
恐るべきリアリティを持っている。
「稲作の伝来」「高天原」と本物だ。
古事記』『日本書紀』とは比較にならないことがリアルに
書かれている。
輝ける資料として「天皇記」が姿を表した。
ここでは北畠顕光が引用している。
他でも藤井伊予など何人かが引用している。
この場合、引用の仕方を考える。。
とうぜん全体を写す。
全体を写した「天皇記」を手元に持っていた。
普通の引用する人間の方法と考えるのリーズナブルです。
ということは北畠顕光や他の人々には、
全体の写しが手元にあった考えるのが普通です。
必ずある。わたしは今うれしいほうの楽観論に転じた」 [27]
★東日流外三郡誌 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/東日流外三郡誌
古史古伝の一つで、古代における日本の東北地方、特に現在の青森県のほか岩手県、秋田県を含む北東北などの知られざる歴史が書かれているとされていた、いわゆる和田家文書を代表する文献。ただし、学界では偽作(偽書)説が確実視されており、単に偽作であるだけでなく、古文書学で定義される古文書の様式を持っていないという点でも厳密には古文書と言い難いと言われている。しかし関係者の間では「古文書」という呼び方が定着しているため、本項目もそれに従うことにする。
★
★古田武彦氏が『東日流外三郡誌』に騙された理由
https://books.j-cast.com/2020/06/30012096.html
2020/06/30
中世の近畿地方史を記録したとする「椿井文書」が「偽書」だったということが話題になっている。BOOKウォッチでも
(中公新書)を紹介したばかりだ。
本書『偽書が描いた日本の超古代史』 (KAWADE夢文庫)は、「古代史」や「神代」に関する壮大な文書を取り上げている。いずれも近年に創作されたと見られている「偽書」だ。
17の「偽書」が登場
『竹内文書』『九鬼文書』『上記』『物部文書』『東日流外三郡誌』『秀真伝』『富士宮下文書』など17の「偽書」が登場する。今も関係者の一部に「古伝」として支持されているものもある。荒唐無稽なものが目立つが、かなりの信憑性を持ってメディアに取り上げられたものもある。なぜ偽書が作られ、多くの人々に信じられたのか。
★
★東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)と語部(東日流シリーズ)
https://www.yodobashi.com/product/100000009001654042/
東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)と語部(東日流シリーズ)の通販ならヨドバシカメラの公式サイト「ヨドバシ.com」で!レビュー、Q&A、画像も盛り沢山。ご購入でゴールドポイント取得!今なら日本全国へ全品配達料金無料、即日・ ...
★
★青森・キリストの墓 - 邪馬台国大研究
http://inoues.net/ruins/3naichirist.html
偽書の製作は最近では「東日流外三郡誌」が有名だが、これにも行政が騙されて悪のりしている。この事件もここからさ程はなれていない五所川原が根源だが、いずれも青森県である。
★十三湖 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/十三湖
十三湖(じゅうさんこ)は、青森県津軽半島北西部の日本海岸にある汽水湖である。地元津軽地区では「十三潟(じゅうさんがた)」とも ... 内郭は14世紀後半〜15世紀前半に築かれたものと見られ、ここより南西約3kmに位置し安東氏の本拠地であった十三湊の最盛期とも一致する。2005年(平成17年)〜2009年(平成21 ...
★東日流外三郡誌 - 擁護派 - Weblio辞書
擁護派
偽書であるという評価がほぼ定着した現在も、真作説を主張する論者、および真作説に好意的な論者がいる。古田武彦は没するまで真作説を撤回することはなかった。北村泰一、笠谷和比古、平野貞夫、吉原賢二、古賀達也、水野孝夫[注釈 1]、棟上寅七、竹下義朗、福永伸三、大下隆司、佐々木広堂、前田準、上岡龍太郎、飛鳥昭雄、高橋良典、内倉武久、松重楊江、久慈力、竹田侑子、西村俊一[12]、佐治芳彦、上城誠、合田洋一なども擁護派として挙げられる。この中には大学に職を得ているような学者・歴史家や著名人、政治家などもいる。
★東 日 流 三 郡 誌(Adobe PDF)
file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/0069-1.pdf
東日流[内・外]三郡誌寛政原本を解説する.
古田武彦. 竹田侑子
原本の鑑定結果. 鑑定文.
国際日本文化研究センター. 研究部教授. 笠谷和比古.
電子顕微鏡写真. 電子顕微鏡写真﹁東日流内三郡誌.
安倍小太郎康季. 秋田孝季編﹂. 電子顕微鏡写真﹁寛政五年 ...
★日本国の原風景 -- 東日流外三郡誌」に関する一考察
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/genihonj.html
日本国際教育学会 1999年11月7日
第10回大会報告 (於)京都・同志社大学
西村 俊一 (東京学芸大学)
一番下に、和田家文書関係のリンクがございます。
はじめに.
近年、青森県三内丸山の縄文遺跡発掘に象徴される様に、日本各地の古代遺跡の発掘調査が進み、それに伴って、日本古代史に関する旧来のイメージが大きく揺らぎ始めている。また、そのため、日本古代史の全般的見直しが歴史学の避け難い課題ともなっている。古田武彦の「九州王朝」(倭国)、「東北王朝」(蝦夷国)説は、その様な見直しの試みの一つであり、むしろその動きを先導してきたものと言うべきかも知れない。
★『東日流外三郡誌』は古代東北の真の歴史を伝える古文書か ...
https://www.asios.org/reports/tsugaru
調査・執筆:原田実
『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)は青森県の和田家という旧家の屋根裏から戦後に発見された古文書である。その存在が広く知られるようになったのは1975年、市浦村(現在は五所川原市に併合)が村史資料編としてその一部を活字化したからである。
★『東日流外三郡誌』裁判・判決とその問題点
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/hihan/saiban.htm
平成四年十月二十一日、大分県在住の野村孝彦氏は、写真盗用および論文剽窃の件で、 青森地裁に損害賠償請求の民事訴訟を起こした。被告は『東日流外三郡誌』の偽作者・和 田喜八郎氏ならびに、その著書『知られざる東日流日下王国』(昭和六二年刊)の版元と なった八幡書店(同社は『東日流外三郡誌』のテキストも刊行している)である。
以前から、野村氏は奈良県生駒市や和歌山県新宮市那智勝浦町の「猪垣」といわれる古 い石垣に関心を持ち、それが古代の遺跡である可能性をも考慮して、本格的調査が必要だ と唱えていた。野村氏は自ら山中を探索し、その暫定的報告を昭和五十年五月十四日付の 日本経済新聞に「謎の猪垣熊野に眠る」との見出しで発表している。
★日本の原風景の源流を探る014 風景とアイデンティティ
関西大学/現代計画研究所大阪 江川直樹
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/gakugei/judi/semina/s0509/bu014.htm
ブータンから学ぶことはたくさんあると思うのですが、それよりも、帰国後、ずっと考え続けていることがあります。『(国の)アイデンティティと風景』についてです。美しい田園風景や素晴らしい農家、ちょっときわどい近代化の風景などを愉しんでいたのですが、私の心の平静をやぶるある光景を目にしたことがきっかけでした。詳しいことは最後のほうで述べさせていただきますが、世界中どこでもあるような風景かもしれない(今の日本では見ないけど)と思いつつ、ブータンのGNHの世界で見たがゆえに、私にはショッキングで、実は、写真にも撮れなかったほどだったのです。
まずは、私にとって印象的だった写真を織り交ぜながら、ブータンを扱った書物からの文章をご紹介したいと思います。ブータンがどういう国だと思われているかが良くわかります。文章には、先に報告された方々のご紹介と重複するところもありますが、全体像の再確認だとお思いいただければ幸いです。書かれた当時の年代を記してありますが、今から5~6年前で、今日、見たようなティンプーの近代化の様子などは、あまり述べられていません。
★『東日流外三郡誌』序論 日本を愛する者に 古田武彦
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinkodai7/furuta72.html
『新・古代学』古田武彦とともに第7集2004年新泉社,『東日流外三郡誌』一
一つの念願を達することができた。
今年の六月中旬、五日間を通して和田家文書の「講読」に取り組んだ。青森の古代史の会の皆さんが、これを望み、見事になし遂げて下さったのである。わたしはそれに応じさせていただいただけだ。心から楽しい、すばらしい五日間だった。
きっかけは、昨年だった。例によって、ねぶた祭りの頃だった。北海道の札幌へ行く途中、お寄りした。暖かく、皆さんは迎えて下さった。その時、お聞きした。もう、この四、五年、休むことなく、毎月、『東日流外三郡誌』の勉強会をつづけておられるとのこと。驚いた。
青森市といえば、あれほどの「反、東日流外三郡誌」キャンペーンの中心地だ。これでもか、これでもか、とそのキャンペーンはつづいている。或いは、第一面で、或いは、コラム欄で、“こりもせず”それは続けられている。今回も、“貴重な”その資料を、会の方々からいただいた。
「あとになれば、『なぜ、あんなにシャカリキ三郡誌攻撃をしたのか。」と不思議がられる。そういう時代が来ることは確実です。そのときには、この『反、キャンペーン』は、“貴重な”資料になりますよ。」
そう言って、各自のお家から、もってきていただいたのである。.
★『東日流外三郡誌』公刊のいきさつ
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/fuzimot4.html
古田史学会報 1994年12月26日 No.4 藤本光幸
ーー安本美典・三上喜孝責任編集『季刊邪馬台国』の無責任中傷記事に反論ーー
「責任編集」とは名ばかりに、匿名「情報」を羅列した無責任な無署名記事で他者を名指しで中傷し続ける『季刊邪馬台国』誌はもはや学術雑誌とは程遠い。同誌に名指しで誹謗中傷を受けた、和田家文書の紹介者藤本光幸氏に『東日流外三郡誌』公刊時のいきさつと『季刊邪馬台国』誌への反論の筆をとっていただいた。(編集部<p>
『季刊邪馬台国』五二号に、“虚妄の偽作物『東日流外三郡誌』が世に出るまで”との表題で、ニュースソースはすべて匿名という、およそ学術雑誌とは思えぬ 内容で、虚偽記事が掲載されている。 『東日流外三郡誌』に最も深く携わった者の一人として、ここに真実の歴史、同誌公刊のいきさつを明らかにしておきたい。
『東日流外三郡誌』公刊の件に関しては『季刊邪馬台国』五二号一一〇頁に藤野七穂氏が述べて居られる
「“和田家文書”が世に出る契機は、昭和四十六年の市浦村長・白川治三郎氏の発意になる村史編纂事業に端を発する。村史編纂委員長の山内英太郎氏が史料の収集に奔走するうちに和田喜八郎氏と知り合い、その家蔵の『得難い貴重な史料』を提供され、通史編に先立って、資料編の刊行に踏み切ったのである。この『得難い貴重な史料』というのが『東日流外三郡誌』だったのである。」
と云う事が本当の事実である
★【寛政原本】東日流外三郡誌界隈【古田史学】 - 5ch
https://academy6.5ch.net/test/read.cgi/history/1276298875/
2010/06/12 1 :
【寛政原本】東日流外三郡誌界隈
【古田史学】真実の寛政原本!!【東日流】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1187685739/
【古田史学】真実の寛政原本 part2 【東日流】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1213876758/
3 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 11:01:40
古田武彦
『古代に真実を求めて』で
『国記』と『天皇記』の発見を
報道
「望外だった。
「東日流(内・外)三郡誌」の中から「天皇記と国記」が
“発見”された。
紀(古事記・日本書紀)には及びもつかぬ、歴史認識、
それが他でもない「天皇記」からの引用だった。
今回の「寛政原本」発見の“偉大なる副産物”となった。」26]
※2010年4月25日付で刊行された雑誌で古田武彦氏が発表した文章
「 ここで問題になってきたのが「天皇記」、
恐るべきリアリティを持っている。
「稲作の伝来」「高天原」と本物だ。
古事記』『日本書紀』とは比較にならないことがリアルに
書かれている。
輝ける資料として「天皇記」が姿を表した。
ここでは北畠顕光が引用している。
他でも藤井伊予など何人かが引用している。
この場合、引用の仕方を考える。。
とうぜん全体を写す。
全体を写した「天皇記」を手元に持っていた。
普通の引用する人間の方法と考えるのリーズナブルです。
ということは北畠顕光や他の人々には、
全体の写しが手元にあった考えるのが普通です。
必ずある。わたしは今うれしいほうの楽観論に転じた」 [27]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます