★レイラインや聖地
●davinciさんからお問い合わせがありました。
シバラクさんは【 レイラインや聖地 】 どのように考察されていますか!?
私は初め この言葉の意味するものをそんなに興味を持っていないので何だろうと思い調べてみた。
私の中では これは日本語で言えば結界のラインと理解する。
だから余り関心がなくてコトバとしても認識していなかったと思う。
話は色んな方向に広げれば収集がつかなくなる。
以前にもお話ししたと思うけれども突っ込むと精神的におかしくなる。
逃げだと言われてしまえばソレまで。
タダのその辺に居るオッサンだから。
だから私の中では余り一つ一つを結び付けても 複雑にしないようにしている。
昔のように精神病院に通うのは嫌だから。
今でもそのきらいがあるのであまり深くは考えないようにしている。
大事な事だけどソレばかりにかかずらわるとトンデモない自体に自分がなることは判っている。
聖地はその真ん中に存在する中心点だと理解する。
コレも異論は沢山出てくると思う。
それだけ私の中では単純明快に理解する。
コンガラカッて自分を見失う前に撤退する。
あのコンガラカッた頭の状態はコトバでは言い表せないほど自分を不快にさせる。
私の基本理念は物事を楽しむこと。
他人と喧嘩してまで自分を通してもお互いに不快感だけ残るだけ。
楽しむというと 又 逃げだと言われるのは判っている。
相手が私をそう評価するならば ソレもよし。
どうせこんだけの人間だからね。
色んな調べ方したけれども 考古学 これが昔は 好古学 と呼ばれていたのは楽しいなと思った。
昔の人は粋だったんだね。
洒落が効いてセンスがある。
こういうモノにしていくとモット楽しくなるのではないかな。
邪馬台国論争などやジンギスカン論争などでも当時は余り良い論争ではなかったようである。
伝説と言われているものでも命がけの論争をしていたようである。
先人は善きにつけ悪しきにつけても我々子孫のお手本であり勉強の種になる。
デモ罵り合うような理解の仕方ではお互い歩み寄ることも出来無くなりいつまでも平行線。
我々が知っていることは総て真実でもないものも多い。
疑って掛かるのも一つの方法。
所詮 歴史なんてものは 当時の権力者が自分の都合良いように書くもの。
結界は信じても良いように思える。
父が 昔 家の敷地の角に 盛り塩をしていた。
ただ 塩を一掴みだけ そこに盛っておく。
その頃知らなくて後で知った事。
昔の知恵は知らない人が多くなってきている。
現在の日本民族 1億2千万人の中の位置割も知らないことだ。
こんなことでも また お叱りを受けそうだ。
一里塚や鎮守の森
昔聞いた話しで 神社が今 全国にいくつ有るのかな。
以前聞いた話では 25万社あまりあるそうだ。
設置された土地は何らかの気を感じる土地。
これは日本も世界でも同じではないかな。
ストーン遺跡などの立っている土地などもコレに類しているのでは無いかな。
人類はそういう自然の力を恐れていた。
今は物質だけが総てなんて思想が世界を洗脳している。
心が無くなると自然の力には負けてしまう。
日本もソレが良いとする人が多くなり何でも楽な方に走りすぎている。
私たちは自然に生かされていることを忘れている。
自分の躰に備わった自然のバリャーを毎日洗い落とし無防備な人ばかりが目立つ。
毎日きれいにするのは良いが ズボンの裾を引きずりトイレなどに入り裾にションベンなどの汁染み込ませたスボンのままで家の中に入ってくる。
こういう人が臆面もなく他人を批判している。
日本人の規範 身につけている人は何人かな。
●davinciさんの質問に総て答えたナイト思うけど 今 私の中ではコレが最善の答えです。
貴方の意図と違う答えならごめんなさい。
コレ読んだ人の中にも何だと言う人がいたらごめんなさい。
少し心が乱れている。
私の中で 今 楽しんでいない面が多いからかな。
◆結界 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/結界
結界(けっかい)は、仏教において、サンガ(saṃgha, 僧伽(そうぎゃ)[注釈 1])がひとつの「現前(げんぜん)サンガ」(sammukhībhūta-saṃgha)[注釈 2]の空間領域(sīmā =界)を設定することを言う。結界についての規定は律蔵の犍度(けんど)の第一章に見られ。
後世、界の概念と密教の神秘主義が合体することにより、原初のインド仏教にはなかった、「特殊なエネルギーを保持した神秘空間としての界」という観念が生じ[2]、聖なる領域と俗なる領域を分け、秩序を維持するために区域を限るという意味あい(けっかい、Siimaabandha)も生じた。さらに日本では、古神道や神道における神社などでも、同様の概念があることから、言葉として用いられている。
大和言葉では端境(はざかい)やたんに境ともいう。
◆レイライン - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/レイライン
レイライン(ley line)は、古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説のなかで、その遺跡群が描く直線をさす。
レイラインが提唱されているケースには古代イギリスの巨石遺跡群などがある。
レイラインの存在は1921年にイギリス人のアマチュア考古学者アルフレッド・ワトキンス(en:Alfred Watkins)によって提唱され、その著書『The Old Straight Track』(古い直線路)によって遺跡の直線的配置性が世間一般の注意を引きつけることとなった。
ニューエイジ: レイラインやレイライン同士の交点は、風水・ダウジング・UFOのようなものを含む神秘的、超自然的なエネルギーに共鳴する地点だと考える人々がいる。
・およそ、UFOはレイラインに沿って航行する(車が道路を利用するように)、という風に。こうした主張は レイラインが電磁気的なエネルギーを有しているという想像の元に仮定されている。
懐疑派: レイラインの存在に懐疑的な者は往々にしてレイラインを疑似科学に分類する。彼らは古代文明がレイラインというものを意図的に作ったという説に懐疑的であり、レイラインなるものは超科学や疑似科学を必要とすることなしに説明できるだろうと考えている。
◆考古学(こうこがく) https://ja.wikipedia.org/wiki/考古学
人類が残した痕跡(例えば、遺物、遺構など)の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問である。文字による記録以前(有史以前)の人類についての研究が注目されるが、文字による記録のある時期(有史以後)についても文献史学を補完するものとして、またはモノを通して過去の人々の生活の営み、文化、価値観、さらには歴史的事実を解明するために文献以外の手段として非常に重要であり、中世(城館跡、廃寺など)・近世(武家屋敷跡、市場跡など)の遺跡も考古学の研究分野である。
近代においても廃絶した建物(汐留遺跡;旧新橋停車場跡など)や、戦時中の防空壕が発掘調査されることがある。
考古学は、遺物の型式的変化と遺構の切り合い関係や前後関係による層位から出土遺物の通時的変化を追う個々の遺跡の編年を縦軸とし、横軸に同時代と推察される遺物の施文技法や製作技法、表面調整技法などの比較を通して構築される編年論を基盤として、遺物や遺構から明らかにできるひとつの社会像、文化像の提示を目指している。
考古学という名称は、古典ギリシャ語のἀρχαιολογία(ἀρχαιο[古い]+λογία[言葉、学問]、arkhaiologia アルカイオロギアー)から生まれ、英語でアーケオロジー(archaeology)といい、それを訳して「考古学」とした。
日本では、考古学という言葉自体は明治初期に古き物を好むという意味で好古と記されていたが、古きを考察する学問だという考えからフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの次男ハインリッヒ・フォン・シーボルトが1879年、日本の学会に贈った著書『考古説略』に、緒言を記した吉田正春が「考古学は欧州学課の一部にして、云々」とのべており、考古学という名前が使われた最初とされている。
◆「うすき好古学」
http://sportsbrain.cocolog-nifty.com/sportsbrain1/2005/05/post_479a.html
◆好古から考古へ—近世から近代へ継承された学問の形態— 平野 恵
http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/ouroboros/09_03/bunkyo.html
明治17年(1884)、東京市本郷区内(現、文京区弥生)における弥生土器発見から数えて、平成16年(2004)はちょうど120 年目に当たる。これを記念して、文京ふるさと歴史館では、「弥生土器発見120周年記念 文京むかしむかし」展を開催する。本展では、第一部で近世後期から近代における考古学史を、第二部で弥生町遺跡の発見・発掘史を、第三部で南関東地域の弥生時代の遺跡を展示する。以下では、東京大学所蔵資料を中心に構成した、第一部の展示概要を紹介する。
日本の考古学史は、E.S.モースの大森貝塚発見から語られることが多い。しかし、モース以前にも近世後期から古物愛好という形態で、好事家たちの集まり、「好古」の会が盛んに行われていたことに注目したい。国学者屋代弘賢や戯作者曲亭馬琴らが参加した「耽奇会」、あるいは木村蒹葭堂や司馬江漢らをゲストとして迎えた「以文会」などは、その会の代表的なものである。こうした会の場で採り上げられる題材は、遺物や遺跡に限定したわけではなく、古いものなら何でも —例えば慶長年間(1596‐1615)の桝、大津絵など—各自持ち寄り、批評し合うことが繰り返し行われ、そこには、美術・民俗学・歴史学・文学・科学、様々な分野が包含されていた。
◆【好古】(こうこ)三省堂 大辞林
古い時代の物事を好むこと。「好古趣味」
◆切り合い関係(きりあいかんけい)
https://seesaawiki.jp/w/greenland4/d/%C0%DA%A4%EA%B9%E7%A4%A4%B4%D8%B7%B8
おもに考古学分野で用いられる、重複の痕跡を示す用語。
遺構の切り合い関係
切り合い関係(きりあいかんけい)とは、異なる時期に築かれた複数の遺構?が重なり合っている場合、遺構の重複もしくは重複関係におけるその前後関係、つまり層位的?な新旧関係のことを指す考古学?の現場での用語である。たとえば、遺構Aを遺構Bが破壊してつくられている状況からは、遺構Bが遺構Aよりも年代的に新しいことが確認できる。これにより、とくに同一層や同一地表面における住居?や土坑の造営・廃棄の変遷を知ることができる。
遺物の切り合い関係
遺構の切り合い関係の痕跡研究の方法は、しばしば遺物?に対しても応用され、多大な成果をあげている。
1.石器における切り合い関係
石器?を観察して、石器材料となる石片(母岩?)に打撃を加えて生じる剥離?面が2つ以上接している場合、リング?(打撃痕)の観察によって剥離面形成の前後関係(新旧関係)がわかる。これをもとに石器製作の手順が解明できる。
2.土器における切り合い関係
土器?の観察、とくに縄文土器?の場合、施された文様が相互に重複する場合、その前後関係を観察することによって、施文の手順を推測することができる。
◆第2考古学 | SSブログ
https://2nd-archaeology.blog.ss-blog.jp/2006-08-17
2006/08/17
「地層累重」とは、地層というプラス痕跡の重複をいう。上に重なるプラス痕跡[T2]は、下に重ねられたプラス痕跡[T1]よりも新しい[T1→T2]。
「切り合い」とは、垂直面というマイナス痕跡による重複をいう。遺構の場合は、単独の穴ぼこの存在が既に生活面という堆積層を「切って」穴ぼこが掘られるという広義の「切り合い関係」を示している。但し、より一般的には穴ぼこ同士の「切り合い関係」、そして剥離面の「切り合い関係」を指している。切られたマイナス痕跡[T1]は、切っているマイナス痕跡[T2]よりも古い[T1→T2]。
●davinciさんからお問い合わせがありました。
シバラクさんは【 レイラインや聖地 】 どのように考察されていますか!?
私は初め この言葉の意味するものをそんなに興味を持っていないので何だろうと思い調べてみた。
私の中では これは日本語で言えば結界のラインと理解する。
だから余り関心がなくてコトバとしても認識していなかったと思う。
話は色んな方向に広げれば収集がつかなくなる。
以前にもお話ししたと思うけれども突っ込むと精神的におかしくなる。
逃げだと言われてしまえばソレまで。
タダのその辺に居るオッサンだから。
だから私の中では余り一つ一つを結び付けても 複雑にしないようにしている。
昔のように精神病院に通うのは嫌だから。
今でもそのきらいがあるのであまり深くは考えないようにしている。
大事な事だけどソレばかりにかかずらわるとトンデモない自体に自分がなることは判っている。
聖地はその真ん中に存在する中心点だと理解する。
コレも異論は沢山出てくると思う。
それだけ私の中では単純明快に理解する。
コンガラカッて自分を見失う前に撤退する。
あのコンガラカッた頭の状態はコトバでは言い表せないほど自分を不快にさせる。
私の基本理念は物事を楽しむこと。
他人と喧嘩してまで自分を通してもお互いに不快感だけ残るだけ。
楽しむというと 又 逃げだと言われるのは判っている。
相手が私をそう評価するならば ソレもよし。
どうせこんだけの人間だからね。
色んな調べ方したけれども 考古学 これが昔は 好古学 と呼ばれていたのは楽しいなと思った。
昔の人は粋だったんだね。
洒落が効いてセンスがある。
こういうモノにしていくとモット楽しくなるのではないかな。
邪馬台国論争などやジンギスカン論争などでも当時は余り良い論争ではなかったようである。
伝説と言われているものでも命がけの論争をしていたようである。
先人は善きにつけ悪しきにつけても我々子孫のお手本であり勉強の種になる。
デモ罵り合うような理解の仕方ではお互い歩み寄ることも出来無くなりいつまでも平行線。
我々が知っていることは総て真実でもないものも多い。
疑って掛かるのも一つの方法。
所詮 歴史なんてものは 当時の権力者が自分の都合良いように書くもの。
結界は信じても良いように思える。
父が 昔 家の敷地の角に 盛り塩をしていた。
ただ 塩を一掴みだけ そこに盛っておく。
その頃知らなくて後で知った事。
昔の知恵は知らない人が多くなってきている。
現在の日本民族 1億2千万人の中の位置割も知らないことだ。
こんなことでも また お叱りを受けそうだ。
一里塚や鎮守の森
昔聞いた話しで 神社が今 全国にいくつ有るのかな。
以前聞いた話では 25万社あまりあるそうだ。
設置された土地は何らかの気を感じる土地。
これは日本も世界でも同じではないかな。
ストーン遺跡などの立っている土地などもコレに類しているのでは無いかな。
人類はそういう自然の力を恐れていた。
今は物質だけが総てなんて思想が世界を洗脳している。
心が無くなると自然の力には負けてしまう。
日本もソレが良いとする人が多くなり何でも楽な方に走りすぎている。
私たちは自然に生かされていることを忘れている。
自分の躰に備わった自然のバリャーを毎日洗い落とし無防備な人ばかりが目立つ。
毎日きれいにするのは良いが ズボンの裾を引きずりトイレなどに入り裾にションベンなどの汁染み込ませたスボンのままで家の中に入ってくる。
こういう人が臆面もなく他人を批判している。
日本人の規範 身につけている人は何人かな。
●davinciさんの質問に総て答えたナイト思うけど 今 私の中ではコレが最善の答えです。
貴方の意図と違う答えならごめんなさい。
コレ読んだ人の中にも何だと言う人がいたらごめんなさい。
少し心が乱れている。
私の中で 今 楽しんでいない面が多いからかな。
◆結界 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/結界
結界(けっかい)は、仏教において、サンガ(saṃgha, 僧伽(そうぎゃ)[注釈 1])がひとつの「現前(げんぜん)サンガ」(sammukhībhūta-saṃgha)[注釈 2]の空間領域(sīmā =界)を設定することを言う。結界についての規定は律蔵の犍度(けんど)の第一章に見られ。
後世、界の概念と密教の神秘主義が合体することにより、原初のインド仏教にはなかった、「特殊なエネルギーを保持した神秘空間としての界」という観念が生じ[2]、聖なる領域と俗なる領域を分け、秩序を維持するために区域を限るという意味あい(けっかい、Siimaabandha)も生じた。さらに日本では、古神道や神道における神社などでも、同様の概念があることから、言葉として用いられている。
大和言葉では端境(はざかい)やたんに境ともいう。
◆レイライン - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/レイライン
レイライン(ley line)は、古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説のなかで、その遺跡群が描く直線をさす。
レイラインが提唱されているケースには古代イギリスの巨石遺跡群などがある。
レイラインの存在は1921年にイギリス人のアマチュア考古学者アルフレッド・ワトキンス(en:Alfred Watkins)によって提唱され、その著書『The Old Straight Track』(古い直線路)によって遺跡の直線的配置性が世間一般の注意を引きつけることとなった。
ニューエイジ: レイラインやレイライン同士の交点は、風水・ダウジング・UFOのようなものを含む神秘的、超自然的なエネルギーに共鳴する地点だと考える人々がいる。
・およそ、UFOはレイラインに沿って航行する(車が道路を利用するように)、という風に。こうした主張は レイラインが電磁気的なエネルギーを有しているという想像の元に仮定されている。
懐疑派: レイラインの存在に懐疑的な者は往々にしてレイラインを疑似科学に分類する。彼らは古代文明がレイラインというものを意図的に作ったという説に懐疑的であり、レイラインなるものは超科学や疑似科学を必要とすることなしに説明できるだろうと考えている。
◆考古学(こうこがく) https://ja.wikipedia.org/wiki/考古学
人類が残した痕跡(例えば、遺物、遺構など)の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問である。文字による記録以前(有史以前)の人類についての研究が注目されるが、文字による記録のある時期(有史以後)についても文献史学を補完するものとして、またはモノを通して過去の人々の生活の営み、文化、価値観、さらには歴史的事実を解明するために文献以外の手段として非常に重要であり、中世(城館跡、廃寺など)・近世(武家屋敷跡、市場跡など)の遺跡も考古学の研究分野である。
近代においても廃絶した建物(汐留遺跡;旧新橋停車場跡など)や、戦時中の防空壕が発掘調査されることがある。
考古学は、遺物の型式的変化と遺構の切り合い関係や前後関係による層位から出土遺物の通時的変化を追う個々の遺跡の編年を縦軸とし、横軸に同時代と推察される遺物の施文技法や製作技法、表面調整技法などの比較を通して構築される編年論を基盤として、遺物や遺構から明らかにできるひとつの社会像、文化像の提示を目指している。
考古学という名称は、古典ギリシャ語のἀρχαιολογία(ἀρχαιο[古い]+λογία[言葉、学問]、arkhaiologia アルカイオロギアー)から生まれ、英語でアーケオロジー(archaeology)といい、それを訳して「考古学」とした。
日本では、考古学という言葉自体は明治初期に古き物を好むという意味で好古と記されていたが、古きを考察する学問だという考えからフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの次男ハインリッヒ・フォン・シーボルトが1879年、日本の学会に贈った著書『考古説略』に、緒言を記した吉田正春が「考古学は欧州学課の一部にして、云々」とのべており、考古学という名前が使われた最初とされている。
◆「うすき好古学」
http://sportsbrain.cocolog-nifty.com/sportsbrain1/2005/05/post_479a.html
◆好古から考古へ—近世から近代へ継承された学問の形態— 平野 恵
http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/ouroboros/09_03/bunkyo.html
明治17年(1884)、東京市本郷区内(現、文京区弥生)における弥生土器発見から数えて、平成16年(2004)はちょうど120 年目に当たる。これを記念して、文京ふるさと歴史館では、「弥生土器発見120周年記念 文京むかしむかし」展を開催する。本展では、第一部で近世後期から近代における考古学史を、第二部で弥生町遺跡の発見・発掘史を、第三部で南関東地域の弥生時代の遺跡を展示する。以下では、東京大学所蔵資料を中心に構成した、第一部の展示概要を紹介する。
日本の考古学史は、E.S.モースの大森貝塚発見から語られることが多い。しかし、モース以前にも近世後期から古物愛好という形態で、好事家たちの集まり、「好古」の会が盛んに行われていたことに注目したい。国学者屋代弘賢や戯作者曲亭馬琴らが参加した「耽奇会」、あるいは木村蒹葭堂や司馬江漢らをゲストとして迎えた「以文会」などは、その会の代表的なものである。こうした会の場で採り上げられる題材は、遺物や遺跡に限定したわけではなく、古いものなら何でも —例えば慶長年間(1596‐1615)の桝、大津絵など—各自持ち寄り、批評し合うことが繰り返し行われ、そこには、美術・民俗学・歴史学・文学・科学、様々な分野が包含されていた。
◆【好古】(こうこ)三省堂 大辞林
古い時代の物事を好むこと。「好古趣味」
◆切り合い関係(きりあいかんけい)
https://seesaawiki.jp/w/greenland4/d/%C0%DA%A4%EA%B9%E7%A4%A4%B4%D8%B7%B8
おもに考古学分野で用いられる、重複の痕跡を示す用語。
遺構の切り合い関係
切り合い関係(きりあいかんけい)とは、異なる時期に築かれた複数の遺構?が重なり合っている場合、遺構の重複もしくは重複関係におけるその前後関係、つまり層位的?な新旧関係のことを指す考古学?の現場での用語である。たとえば、遺構Aを遺構Bが破壊してつくられている状況からは、遺構Bが遺構Aよりも年代的に新しいことが確認できる。これにより、とくに同一層や同一地表面における住居?や土坑の造営・廃棄の変遷を知ることができる。
遺物の切り合い関係
遺構の切り合い関係の痕跡研究の方法は、しばしば遺物?に対しても応用され、多大な成果をあげている。
1.石器における切り合い関係
石器?を観察して、石器材料となる石片(母岩?)に打撃を加えて生じる剥離?面が2つ以上接している場合、リング?(打撃痕)の観察によって剥離面形成の前後関係(新旧関係)がわかる。これをもとに石器製作の手順が解明できる。
2.土器における切り合い関係
土器?の観察、とくに縄文土器?の場合、施された文様が相互に重複する場合、その前後関係を観察することによって、施文の手順を推測することができる。
◆第2考古学 | SSブログ
https://2nd-archaeology.blog.ss-blog.jp/2006-08-17
2006/08/17
「地層累重」とは、地層というプラス痕跡の重複をいう。上に重なるプラス痕跡[T2]は、下に重ねられたプラス痕跡[T1]よりも新しい[T1→T2]。
「切り合い」とは、垂直面というマイナス痕跡による重複をいう。遺構の場合は、単独の穴ぼこの存在が既に生活面という堆積層を「切って」穴ぼこが掘られるという広義の「切り合い関係」を示している。但し、より一般的には穴ぼこ同士の「切り合い関係」、そして剥離面の「切り合い関係」を指している。切られたマイナス痕跡[T1]は、切っているマイナス痕跡[T2]よりも古い[T1→T2]。
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