●よこづな 【横綱】
★よこづな 【横綱】
(1)相撲力士の最高の階級。また、横綱力士の略称。大関の中で品格・力量が抜群の者に与えられる。本来は階級ではなく、吉田司家(つかさけ)から横綱(2)を締めることを許された力量抜群の大関力士を称した。番付面に横綱と銘記されたのは1890年(明治23)の西ノ海が最初で、1909年(明治42)横綱を最高位とすることを成文化した。なお、横綱の代数は伝説的力士明石志賀之助を初代として数えている。
(2)白麻で編んだ太いしめなわ。土俵入りの際、(1)が化粧まわしの上から締めるもの。つな。
(3)同類中で最もすぐれたもの。
» (成句)横綱を張る
★横綱(よこづな) https://ja.wikipedia.org/wiki/横綱
大相撲の力士の格付け(番付)における最高位の称号である。
語源的には、横綱だけが腰に締めることを許されている白麻製の綱の名称に由来する。
現行制度では横綱に降格はなく、現役引退によってのみその地位から降りる。
従って、横綱になる力士はその地位にふさわしい品格と抜群の力量を要求される。
現在の大相撲においては、横綱は、全ての力士を代表する存在であると同時に、神の依り代であることの証とされている。それ故、横綱土俵入りは、病気・故障等の場合を除き、現役横綱の義務である。
横綱は、天下無双であるという意味を込めて「日下開山」(ひのしたかいさん)と呼ばれることもある。
★
★依り代、依代、憑り代、憑代(よりしろ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/依り代
神霊が依り憑く(よりつく)対象物のことで、神体や場合によっては神域をしめす。
・意味
日本の古神道の由来の民間信仰・神道の根底には、あらゆる物に神・精霊や魂などのマナ(外来魂)が宿ると考える要素をもつ自然崇拝があった。その意味では、森羅万象が依り代となる。
一般的に、マナは太陽、山河、森林、海などから来て物、特に石につくとされたため、そのような物を祀る磐座(いわくら)や、神の降臨する喬木を拝む神籬(ひもろぎ)信仰が始まりといわれ、そういった霊代(たましろ)として祀られる巨石・岩や高木に、現在も注連縄が飾られる。
また、日本の神として古事記や日本書紀にある人格神(人の形や人として捉えられる神)にも、根底に同じ考え方があり、所縁のある物や象徴する物(中が空洞の物体が多い)に依り憑いて具象化する(太陽神を象徴する鏡、髭籠等)ことで力を及ぼすと考えられたようである。
★
★横綱土俵入り https://ja.wikipedia.org/wiki/横綱土俵入り
大相撲の最高位である横綱が本場所の幕内取組前や巡業先などで行う土俵入りである。
手数入り(でずいり)・片屋入り(かたやいり)とも呼ばれる。
★
★日下開山(ひのしたかいさんまたはひのしたかいざんともいう)
https://ja.wikipedia.org/wiki/日下開山
現在の大相撲の最高位である横綱にあたると共に、横綱に相当する力士に与えられた名誉・称号としての呼称である。
また、現在でも放送などで横綱のことを「日下開山」と呼ぶことがあるが、昔の横綱の印象を引きずっている為か、三重ノ海や大乃国のような三番手四番手の横綱を日下開山と呼ぶことはまずない。
★
★歴史 https://ja.wikipedia.org/wiki/横綱#歴史
横綱の誕生以前
古くは戦国時代から、黒白横綱という黒と白を混ぜて撚り合わせた綱が存在していたとされる。この綱を締めた18世紀の力士の浮世絵が現存している。
★
★吉田司家(よしだつかさけ)https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田司家
現在まで800年以上の歴史を持つ、相撲の司家である。
★
★行司(ぎょうじ) https://ja.wikipedia.org/wiki/行司
相撲において取組の有利・不利を判断し、勝者を判定する役目の者である。
★
★相撲(すもう) https://ja.wikipedia.org/wiki/相撲
土俵の上で力士が組合って戦う形を取る日本古来の神事や祭りであり、同時に武芸でもあり武道でもある(「弓取り式」の本来の意味から)。
古くから祝儀(懸賞金という表現)を得るための興行として、大相撲が行われている。近年では、日本由来の武道・格闘技・スポーツとして国際的にも行われている。
★
★物言い(ものいい) https://ja.wikipedia.org/wiki/物言い
大相撲において、行司が下した判定(軍配)に対し、勝負審判や控え力士が異議を唱えること。
またそれから転じて、異議を申し立てること全般を「物言いをつける」ともいう。
★
★立行司(たてぎょうじ) https://ja.wikipedia.org/wiki/立行司
大相撲の行司における最高位の階級。
かつては力士の横綱と同様に吉田司家の立行司免許を必要としたため行司の横綱に相当する。
★
★副立行司(ふくたてぎょうじ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/副立行司
行司の階級で立行司と三役行司の間に設けられていた階級である。
創設は戦後の1951年(昭和26年)初場所後で、廃止は1959年(昭和34年)九州場所後。
★
★勝負審判(しょうぶしんぱん)
https://ja.wikipedia.org/wiki/勝負審判
大相撲において、行司とは別に相撲勝負の判定に加わる審判のことである。
日本相撲協会相撲規則によると審判委員(しんぱんいいん)と定義されている。
★
★上覧相撲(じょうらんずもう)将軍の観戦する大相撲のこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/上覧相撲
広義には、鎌倉時代や室町時代にも上覧相撲は行われていた。これは武芸としての相撲の技を、武士が主君である将軍に披露し競いあったものである。また戦国大名もしばしば相撲大会を催し、優秀な者は家臣に取り立てることもあった。
狭義の上覧相撲は、興行としての勧進相撲の成立した江戸時代、11代将軍徳川家斉と12代徳川家慶の時代に、いずれも江戸城吹上で計7回催されたものを指して言う。
力士を抱える諸大名にすると、「上様の覚えめでたき」を得られるかどうかがかかっていた。各力士は主君からその旨を厳しく申し付けられ、場合によっては抱えを解かれることさえあった。そのため、上覧相撲は本場所以上の真剣勝負の場となり、当時よくあった預りや無勝負も、上覧にかぎっては適用されなかった。
★
★天覧相撲(てんらんずもう)
https://ja.wikipedia.org/wiki/天覧相撲
大相撲を天皇が観戦することである。
古くは女性が相撲を見ることを禁じられていた影響か、皇后は同席しなかったが、現在では天皇と皇后の2人で観戦するようになっている。
★
★相撲節会(すまひのせちえ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/相撲節会
奈良・平安時代にかけて行われた宮中の年中行事。射礼や騎射(後に競馬)と並んで「三度節」とも呼ばれた。
★
★天覧試合(てんらんじあい)
https://ja.wikipedia.org/wiki/天覧試合
天皇が観戦している武道やスポーツ競技の試合のこと。天皇以外の皇族が観戦する試合は「台覧試合」と呼ぶ。
★
★台覧試合(たいらんじあい、たいらんしあい)
https://ja.wikipedia.org/wiki/台覧試合
皇族が直接観戦している武道やスポーツ競技の試合のこと。天皇が観戦している試合は「天覧試合」と呼ぶ。
★
★五条家(ごじょうけ) https://ja.wikipedia.org/wiki/五条家
正二位・参議・大蔵卿・菅原為長(高辻為長)の子五条高長(従二位・式部大輔)(1210年-1285年)を祖とする堂上家の公家である。
家格は半家。官位は五条高長の子供五条長経(1242年-1315年)以降、大学頭・文章博士・式部大輔を経て中納言・大納言を極官とする。五条家からは、後に東坊城家、清岡家、桑原家が別れ出た。
家業は紀伝道。江戸時代の家禄は171石。明治時代以降は子爵。
代々朝廷主催の相撲節会においては相撲司としてその運営を取り仕切ったことや、野見宿禰の子孫ということもあり、紀伝道のみならず相撲の司家として鎌倉時代以来君臨してきた。
なお南北朝時代に大外記として活躍した公家五条頼元の一族は清原氏の家系であり、菅原氏の五条家とは無関係である。
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★勧進元(読み)かんじんもと
芸能などにおける勧進興行の元締め,すなわち主催者のこと。 南北朝時代頃から勧進田楽,勧進猿楽などの記録が残っている。 本来は公儀の許可を必要としたが,江戸時代には次第にその本意を失って営利化し,勧進元の語も,明治以後は単なる興行届出人としての名目のみとなった。
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★勧進相撲 - Wikipedia
ja.wikipedia.org › wiki › 勧進相撲
勧進相撲(かんじんすもう)とは、相撲の形態の一つ。現在の大相撲の源流となる。 目次. 1 概要; 2 特徴; 3 脚注. 3.1 注釈; 3.2 出典. 4 参考文献. 概要[編集]. 戦国時代の日本において、貴族の都落ちに従って京都の文化が全国に広がった。その中に土地相撲があり、やがて、相撲を本職として巡業などで生計を立てる相撲人が現れるようになった。一方で、神社仏閣の建築修復の資金調達のための興行を勧進といったが、神社の祭礼に相撲が行われることが多かっ ... 形式的にではあるが、「勧進元」という呼称は1944年(昭和19年)まで残り、その名残として地方巡業の主催者の ...
★
★●あやかし●モノノケ●妖怪
・あやかし の解説
1 船が難破する時に海上に現れるという化け物。
2 不思議なこと。また、そのもの。妖怪 (ようかい) 。
3 コバンザメの別名。
4 (「怪士」と書く)能面の一。男の怨霊 (おんりょう) を表す面
5 愚か者。
「人の聞きて、我を―と言はん」〈咄・醒睡笑・二〉
・もの‐の‐け【物の▽怪/物の気】 の解説
人にとりついて祟 (たた) りをする死霊・生き霊・妖怪の類。
・よう‐かい〔エウクワイ〕【妖怪】 の解説
人の理解を超えた不思議な現象や不気味な物体。想像上の天狗 (てんぐ) ・一つ目小僧・河童 (かっぱ) など。化け物。
類語
化け物(ばけもの) お化け(おばけ) 怪物(かいぶつ) 鬼(おに)
関連語
魔(ま) 悪魔(あくま) 通り魔(とおりま)
・ま【魔】
《「魔羅(まら)」の略》
1 仏教で、魔王。欲界第六天を支配する王。転じて、その仕業としての、悟りの妨げとなる煩悩 (ぼんのう) ・疑惑・懈怠 (けだい) などのさわり。
2 人の心を迷わし、悪に引き入れる悪霊。悪魔。「魔を払う」
3 悪い事がたびたび起こること。「魔の踏切」「好事魔多し」
4 異常なほど、ある物事に執着する人。「電話魔」「収集魔」
・ま【魔】
[常用漢字] [音]マ(呉)
1 人をまどわし、災いをもたらすもの。化け物。「魔手/色魔・睡魔・白魔・病魔・夢魔・妖魔 (ようま) 」
2 人を物事に熱中させるもの。「詩魔」
3 不思議な術。「魔法」
4 仏道修行を妨げる悪神。悟りの妨げ。梵語の音写「魔羅」の略。「魔王・魔道/悪魔・降魔 (ごうま) ・邪魔・天魔」
5 梵語の音訳字。「閻魔 (えんま) ・断末魔」
★ことわざ「魔が差す」の意味と使い方:例文付き | スッキリ
https://gimon-sukkiri.jp/magasasu/
2018/09/15
今回ご紹介する言葉は、ことわざの「魔(ま)が差(さ)す」です。
言葉の意味や使い方、由来、類義語、英語訳についてわかりやすく解説します。
このページの目次
「魔が差す」の意味をスッキリ理解!
魔(ま)が差(さ)す:考えてもいなかった、誤った判断や行動をすること
「魔が差す」の意味を詳しく
「魔が差す」とは、考えてもいなかった、誤った判断や行動をすることを意味することわざです。
「魔が差す」の使い方
「魔が差す」の由来
「魔が差す」の由来は、その言葉そのものにあります。
「魔」は、ここでは「悪魔」を意味します。「差す」とは、「入り込む」ことです。
いけないことだと分かっていながら、誤った行動や判断をしてしまうということが、悪魔に入り込まれたようであるということから、「魔が差す」ということわざが生まれました。
「魔が差す」の類義語
「魔が差す」の英語訳
まとめ
★大相撲 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/大相撲
大相撲(おおずもう)は、
1.日本相撲協会が主催する相撲興行。
2.がっぷりと四つに組んだ力士同士の力が拮抗する取組。取り組みがおおよそ4分を超えると「水入り」になる場合がある。
公益財団法人日本相撲協会が主催する大相撲(おおずもう)は、世界中で行われる相撲興行の中で、最も有名かつ権威のある競技興行である。東京での開催場所は国技館である(詳しくは国技館、国技#日本の国技を参照)。 https://ja.wikipedia.org/wiki/国技#日本の国技
・両国国技館(りょうごくこくぎかん)
https://ja.wikipedia.org/wiki/両国国技館
日本の東京都墨田区横網一丁目にある大相撲の興行のための施設。公益財団法人日本相撲協会が所有している。
土俵に立つものおよび出場できるものは男性に限られる。
★相撲(すもう)は、土俵の上で力士が組合って戦う形を取る日本古来の神事や祭であり、同時に武芸でもあり武道でもあり(由来は弓取式)、娯楽でもある。古くから祝儀(懸賞)を得るための興行として、大相撲が行われている。日本由来の武道・格闘技・スポーツとして国際的にも行われている。
★相撲用語 読み方辞典
https://hiramatu-hifuka.com/onyak/kotoba-1/sumou.html
最終更新日2014年11月24日
歴史小説等に相撲用語はよく出てきます。金指基原著 日本相撲協会監修『相撲大辞典 第三版』を参考に、相撲用語の読み方を50音順に作成しました。
国語辞典・WEBからの参照もあります。
「音訳の部屋-読み方辞典」は音訳・点訳のために、難しい専門用語の読み方を作成したものです。「相撲用語読み方辞典」は簡単な説明がついている用語もありますが、読みのためですので意味調べは書籍で調査して下さい。書籍には相撲について詳しい記述があり、もっと多くの語彙の読みがあります。
*右項目、関連語にも用語はありますので、探しにくい時にはツールバー[編集]の[このページの検索]をクリック、または Ctrl + F を押し、検索画面より入力してお調べ下さい。(制作 平松陽子)
あ行
合口/相口 (あいくち) 対戦相手との相撲の相性
相関 (あいぜき) 元禄年間の番付にあり、大関と関脇の地位
相中/間中/合中 (あいちゅう) 江戸時代の番付の地位
相手十分 (あいてじゅうぶん) 「向こう十分」とも
★手乞 - 日本辞典
http://www.nihonjiten.com/data/41242.html
手乞. てごい【相撲】.
[手乞] 手乞は、相撲の古い別名とされ、相手の手をつかむこと。又は、素手で勝負をすることを意味する。
★合気道 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/合気道
合気道(あいきどう・合氣道)は、武道家・植芝盛平が大正末期から昭和前期にかけて創始した武道。植芝盛平が日本古来の柔術・剣術など各流各派の武術を研究し、独自の精神哲学でまとめ直した、体術を主とする総合武道である。
(植芝盛平が創始したもの以外の「合気道」は→“「合気道」の名称について” にて詳述。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/合気道#「合気道」の名称につい
21世紀初めの時点で「合気道」と言えば、一般的には植芝盛平の興した合気道を指すが、実は「合気道」の名を用いたのは盛平が最初ではなく、盛平とは別系統の「合気道」が存在する。また「合気道」という名称には“合気系武道(・武術)”全般を通称的に指し示す普通名詞としての一面もある。
★『塩で固め 塩で清める』
土を盛って作る相撲の競技場である。
★●ますらお【猛男/猛夫/丈夫/益荒男】
★じょう‐ふ【丈夫】
《「じょうぶ」とも。中国の周の制度で1丈(約2メートル)を男子の身長としたところから》りっぱな男。ますらお。「堂々たる―」「偉―」
★じょう‐ぶ【丈夫】
[形動][文][ナリ] 1 健康に恵まれているさま。達者。「―で、病気ひとつしたことがない」「からだが―な子」 2 物が、しっかりしていて壊れにくいさま。「―なひも」「値段の割に―な靴」 3 確...
★たけ‐お【猛男/猛夫/丈夫】
強く勇ましい男。たくましく強い男。ますらたけお。ますらお。「近藤勇、土方歳三等の―を取しずめ」〈蘆花・黒潮〉
★ますら‐お【益荒男/丈夫】
1 りっぱな男。勇気のある強い男。ますらたけお。ますらおのこ。⇔手弱女(たおやめ)。「屈せずして待つが―の事なりと言う」〈鴎外訳・即興詩人〉
2 武人。兵士。「大伴(おほとも)の氏と名に負へる―...
★ますらお‐の【益荒男の/丈夫の】
[枕]ますらおが常に手結(たゆい)をつける意から、「たゆひ」にかかる。
「―手結(たゆひ)が浦に海人娘子(あまをとめ)」〈万・三六六〉
★ますらお‐ぶり【益荒男振り/丈夫風】
男性的でおおらかな歌風。賀茂真淵(かものまぶち)らの歌人たちが和歌の理想と考え、万葉集の歌の中にこれが見いだされると説いたもの。古今集以後の「たおやめぶり」に対していう。
★益荒雄 - 元大相撲力士。
★まく 【幕】
1. (名)
(1)物の隔てや目隠しとして張りめぐらしたり垂らしたりする、広く長く縫い合わせた布。
「会場に―を張りめぐらす」
(2)芝居などの舞台と客席をしきる大きな布。上演中は開かれ、終わると閉じられる。
「―があがる」
(3) (ア)芝居で演技の一段落。通常、幕(2)があがってから下りるまで。
「次の―に出る」
(イ)一場面が終わり、幕(2)を引いてその場面を終わりにすること。
(4)場面。場合。
「私の出る―ではない」「さあ是からが僕の―さ/当世書生気質(坪内逍遥)」
(5)相撲で、幕内。
「―に入る」
(6)〔「幕を下ろす」意から〕物事の終わり。
「宴会もそろそろ―にしよう」
2.(接尾)
助数詞。芝居の一段落を数えるのに用いる。
「三―五場」「一―物」
» (成句)幕が開く
» (成句)幕が下りる
» (成句)幕を開ける
» (成句)幕を下ろす
» (成句)幕を切って落とす
» (成句)幕を切る
» (成句)幕を閉じる
» (成句)幕を引く
★年寄名跡 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/年寄名跡
年寄名跡(としよりめいせき、みょうせき)とは、日本相撲協会(以下、「協会」)の「年寄名跡目録」に記載された年寄の名を襲名する権利であり、俗に年寄株、親方株とも呼ばれる。
元力士が引退後も協会に残り、かつ運営に携わるには、年寄名跡を取得する必要がある。名跡の名称は創設者の四股名中同一に由来しており、既に名跡を取得している年寄はその名で活動する。
年寄名跡は、江戸相撲の勧進元の一人であった雷権太夫らが組織した株仲間がその原型とされている。江戸幕府の認可を得て勧進相撲の公許興行が行われた1684年(貞享元年)当時、名跡の数は15名前後だったとみられているが、相撲興行が軌道に乗るにつれて、名跡の数が増えてゆくこととなった。 その後1691年(元禄4年)には20人、1780年代(天明から寛政年間)にかけて36名、1830年代から1840年代(天保から弘化年間)にかけて54名、1905年(明治38年)には88名、東京と大阪の相撲協会が合併した1927年(昭和2年)には、大阪の頭取(年寄)17名を加え、105名に増員された。
★よこづな 【横綱】
(1)相撲力士の最高の階級。また、横綱力士の略称。大関の中で品格・力量が抜群の者に与えられる。本来は階級ではなく、吉田司家(つかさけ)から横綱(2)を締めることを許された力量抜群の大関力士を称した。番付面に横綱と銘記されたのは1890年(明治23)の西ノ海が最初で、1909年(明治42)横綱を最高位とすることを成文化した。なお、横綱の代数は伝説的力士明石志賀之助を初代として数えている。
(2)白麻で編んだ太いしめなわ。土俵入りの際、(1)が化粧まわしの上から締めるもの。つな。
(3)同類中で最もすぐれたもの。
» (成句)横綱を張る
★横綱(よこづな) https://ja.wikipedia.org/wiki/横綱
大相撲の力士の格付け(番付)における最高位の称号である。
語源的には、横綱だけが腰に締めることを許されている白麻製の綱の名称に由来する。
現行制度では横綱に降格はなく、現役引退によってのみその地位から降りる。
従って、横綱になる力士はその地位にふさわしい品格と抜群の力量を要求される。
現在の大相撲においては、横綱は、全ての力士を代表する存在であると同時に、神の依り代であることの証とされている。それ故、横綱土俵入りは、病気・故障等の場合を除き、現役横綱の義務である。
横綱は、天下無双であるという意味を込めて「日下開山」(ひのしたかいさん)と呼ばれることもある。
★
★依り代、依代、憑り代、憑代(よりしろ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/依り代
神霊が依り憑く(よりつく)対象物のことで、神体や場合によっては神域をしめす。
・意味
日本の古神道の由来の民間信仰・神道の根底には、あらゆる物に神・精霊や魂などのマナ(外来魂)が宿ると考える要素をもつ自然崇拝があった。その意味では、森羅万象が依り代となる。
一般的に、マナは太陽、山河、森林、海などから来て物、特に石につくとされたため、そのような物を祀る磐座(いわくら)や、神の降臨する喬木を拝む神籬(ひもろぎ)信仰が始まりといわれ、そういった霊代(たましろ)として祀られる巨石・岩や高木に、現在も注連縄が飾られる。
また、日本の神として古事記や日本書紀にある人格神(人の形や人として捉えられる神)にも、根底に同じ考え方があり、所縁のある物や象徴する物(中が空洞の物体が多い)に依り憑いて具象化する(太陽神を象徴する鏡、髭籠等)ことで力を及ぼすと考えられたようである。
★
★横綱土俵入り https://ja.wikipedia.org/wiki/横綱土俵入り
大相撲の最高位である横綱が本場所の幕内取組前や巡業先などで行う土俵入りである。
手数入り(でずいり)・片屋入り(かたやいり)とも呼ばれる。
★
★日下開山(ひのしたかいさんまたはひのしたかいざんともいう)
https://ja.wikipedia.org/wiki/日下開山
現在の大相撲の最高位である横綱にあたると共に、横綱に相当する力士に与えられた名誉・称号としての呼称である。
また、現在でも放送などで横綱のことを「日下開山」と呼ぶことがあるが、昔の横綱の印象を引きずっている為か、三重ノ海や大乃国のような三番手四番手の横綱を日下開山と呼ぶことはまずない。
★
★歴史 https://ja.wikipedia.org/wiki/横綱#歴史
横綱の誕生以前
古くは戦国時代から、黒白横綱という黒と白を混ぜて撚り合わせた綱が存在していたとされる。この綱を締めた18世紀の力士の浮世絵が現存している。
★
★吉田司家(よしだつかさけ)https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田司家
現在まで800年以上の歴史を持つ、相撲の司家である。
★
★行司(ぎょうじ) https://ja.wikipedia.org/wiki/行司
相撲において取組の有利・不利を判断し、勝者を判定する役目の者である。
★
★相撲(すもう) https://ja.wikipedia.org/wiki/相撲
土俵の上で力士が組合って戦う形を取る日本古来の神事や祭りであり、同時に武芸でもあり武道でもある(「弓取り式」の本来の意味から)。
古くから祝儀(懸賞金という表現)を得るための興行として、大相撲が行われている。近年では、日本由来の武道・格闘技・スポーツとして国際的にも行われている。
★
★物言い(ものいい) https://ja.wikipedia.org/wiki/物言い
大相撲において、行司が下した判定(軍配)に対し、勝負審判や控え力士が異議を唱えること。
またそれから転じて、異議を申し立てること全般を「物言いをつける」ともいう。
★
★立行司(たてぎょうじ) https://ja.wikipedia.org/wiki/立行司
大相撲の行司における最高位の階級。
かつては力士の横綱と同様に吉田司家の立行司免許を必要としたため行司の横綱に相当する。
★
★副立行司(ふくたてぎょうじ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/副立行司
行司の階級で立行司と三役行司の間に設けられていた階級である。
創設は戦後の1951年(昭和26年)初場所後で、廃止は1959年(昭和34年)九州場所後。
★
★勝負審判(しょうぶしんぱん)
https://ja.wikipedia.org/wiki/勝負審判
大相撲において、行司とは別に相撲勝負の判定に加わる審判のことである。
日本相撲協会相撲規則によると審判委員(しんぱんいいん)と定義されている。
★
★上覧相撲(じょうらんずもう)将軍の観戦する大相撲のこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/上覧相撲
広義には、鎌倉時代や室町時代にも上覧相撲は行われていた。これは武芸としての相撲の技を、武士が主君である将軍に披露し競いあったものである。また戦国大名もしばしば相撲大会を催し、優秀な者は家臣に取り立てることもあった。
狭義の上覧相撲は、興行としての勧進相撲の成立した江戸時代、11代将軍徳川家斉と12代徳川家慶の時代に、いずれも江戸城吹上で計7回催されたものを指して言う。
力士を抱える諸大名にすると、「上様の覚えめでたき」を得られるかどうかがかかっていた。各力士は主君からその旨を厳しく申し付けられ、場合によっては抱えを解かれることさえあった。そのため、上覧相撲は本場所以上の真剣勝負の場となり、当時よくあった預りや無勝負も、上覧にかぎっては適用されなかった。
★
★天覧相撲(てんらんずもう)
https://ja.wikipedia.org/wiki/天覧相撲
大相撲を天皇が観戦することである。
古くは女性が相撲を見ることを禁じられていた影響か、皇后は同席しなかったが、現在では天皇と皇后の2人で観戦するようになっている。
★
★相撲節会(すまひのせちえ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/相撲節会
奈良・平安時代にかけて行われた宮中の年中行事。射礼や騎射(後に競馬)と並んで「三度節」とも呼ばれた。
★
★天覧試合(てんらんじあい)
https://ja.wikipedia.org/wiki/天覧試合
天皇が観戦している武道やスポーツ競技の試合のこと。天皇以外の皇族が観戦する試合は「台覧試合」と呼ぶ。
★
★台覧試合(たいらんじあい、たいらんしあい)
https://ja.wikipedia.org/wiki/台覧試合
皇族が直接観戦している武道やスポーツ競技の試合のこと。天皇が観戦している試合は「天覧試合」と呼ぶ。
★
★五条家(ごじょうけ) https://ja.wikipedia.org/wiki/五条家
正二位・参議・大蔵卿・菅原為長(高辻為長)の子五条高長(従二位・式部大輔)(1210年-1285年)を祖とする堂上家の公家である。
家格は半家。官位は五条高長の子供五条長経(1242年-1315年)以降、大学頭・文章博士・式部大輔を経て中納言・大納言を極官とする。五条家からは、後に東坊城家、清岡家、桑原家が別れ出た。
家業は紀伝道。江戸時代の家禄は171石。明治時代以降は子爵。
代々朝廷主催の相撲節会においては相撲司としてその運営を取り仕切ったことや、野見宿禰の子孫ということもあり、紀伝道のみならず相撲の司家として鎌倉時代以来君臨してきた。
なお南北朝時代に大外記として活躍した公家五条頼元の一族は清原氏の家系であり、菅原氏の五条家とは無関係である。
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★勧進元(読み)かんじんもと
芸能などにおける勧進興行の元締め,すなわち主催者のこと。 南北朝時代頃から勧進田楽,勧進猿楽などの記録が残っている。 本来は公儀の許可を必要としたが,江戸時代には次第にその本意を失って営利化し,勧進元の語も,明治以後は単なる興行届出人としての名目のみとなった。
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★勧進相撲 - Wikipedia
ja.wikipedia.org › wiki › 勧進相撲
勧進相撲(かんじんすもう)とは、相撲の形態の一つ。現在の大相撲の源流となる。 目次. 1 概要; 2 特徴; 3 脚注. 3.1 注釈; 3.2 出典. 4 参考文献. 概要[編集]. 戦国時代の日本において、貴族の都落ちに従って京都の文化が全国に広がった。その中に土地相撲があり、やがて、相撲を本職として巡業などで生計を立てる相撲人が現れるようになった。一方で、神社仏閣の建築修復の資金調達のための興行を勧進といったが、神社の祭礼に相撲が行われることが多かっ ... 形式的にではあるが、「勧進元」という呼称は1944年(昭和19年)まで残り、その名残として地方巡業の主催者の ...
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★●あやかし●モノノケ●妖怪
・あやかし の解説
1 船が難破する時に海上に現れるという化け物。
2 不思議なこと。また、そのもの。妖怪 (ようかい) 。
3 コバンザメの別名。
4 (「怪士」と書く)能面の一。男の怨霊 (おんりょう) を表す面
5 愚か者。
「人の聞きて、我を―と言はん」〈咄・醒睡笑・二〉
・もの‐の‐け【物の▽怪/物の気】 の解説
人にとりついて祟 (たた) りをする死霊・生き霊・妖怪の類。
・よう‐かい〔エウクワイ〕【妖怪】 の解説
人の理解を超えた不思議な現象や不気味な物体。想像上の天狗 (てんぐ) ・一つ目小僧・河童 (かっぱ) など。化け物。
類語
化け物(ばけもの) お化け(おばけ) 怪物(かいぶつ) 鬼(おに)
関連語
魔(ま) 悪魔(あくま) 通り魔(とおりま)
・ま【魔】
《「魔羅(まら)」の略》
1 仏教で、魔王。欲界第六天を支配する王。転じて、その仕業としての、悟りの妨げとなる煩悩 (ぼんのう) ・疑惑・懈怠 (けだい) などのさわり。
2 人の心を迷わし、悪に引き入れる悪霊。悪魔。「魔を払う」
3 悪い事がたびたび起こること。「魔の踏切」「好事魔多し」
4 異常なほど、ある物事に執着する人。「電話魔」「収集魔」
・ま【魔】
[常用漢字] [音]マ(呉)
1 人をまどわし、災いをもたらすもの。化け物。「魔手/色魔・睡魔・白魔・病魔・夢魔・妖魔 (ようま) 」
2 人を物事に熱中させるもの。「詩魔」
3 不思議な術。「魔法」
4 仏道修行を妨げる悪神。悟りの妨げ。梵語の音写「魔羅」の略。「魔王・魔道/悪魔・降魔 (ごうま) ・邪魔・天魔」
5 梵語の音訳字。「閻魔 (えんま) ・断末魔」
★ことわざ「魔が差す」の意味と使い方:例文付き | スッキリ
https://gimon-sukkiri.jp/magasasu/
2018/09/15
今回ご紹介する言葉は、ことわざの「魔(ま)が差(さ)す」です。
言葉の意味や使い方、由来、類義語、英語訳についてわかりやすく解説します。
このページの目次
「魔が差す」の意味をスッキリ理解!
魔(ま)が差(さ)す:考えてもいなかった、誤った判断や行動をすること
「魔が差す」の意味を詳しく
「魔が差す」とは、考えてもいなかった、誤った判断や行動をすることを意味することわざです。
「魔が差す」の使い方
「魔が差す」の由来
「魔が差す」の由来は、その言葉そのものにあります。
「魔」は、ここでは「悪魔」を意味します。「差す」とは、「入り込む」ことです。
いけないことだと分かっていながら、誤った行動や判断をしてしまうということが、悪魔に入り込まれたようであるということから、「魔が差す」ということわざが生まれました。
「魔が差す」の類義語
「魔が差す」の英語訳
まとめ
★大相撲 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/大相撲
大相撲(おおずもう)は、
1.日本相撲協会が主催する相撲興行。
2.がっぷりと四つに組んだ力士同士の力が拮抗する取組。取り組みがおおよそ4分を超えると「水入り」になる場合がある。
公益財団法人日本相撲協会が主催する大相撲(おおずもう)は、世界中で行われる相撲興行の中で、最も有名かつ権威のある競技興行である。東京での開催場所は国技館である(詳しくは国技館、国技#日本の国技を参照)。 https://ja.wikipedia.org/wiki/国技#日本の国技
・両国国技館(りょうごくこくぎかん)
https://ja.wikipedia.org/wiki/両国国技館
日本の東京都墨田区横網一丁目にある大相撲の興行のための施設。公益財団法人日本相撲協会が所有している。
土俵に立つものおよび出場できるものは男性に限られる。
★相撲(すもう)は、土俵の上で力士が組合って戦う形を取る日本古来の神事や祭であり、同時に武芸でもあり武道でもあり(由来は弓取式)、娯楽でもある。古くから祝儀(懸賞)を得るための興行として、大相撲が行われている。日本由来の武道・格闘技・スポーツとして国際的にも行われている。
★相撲用語 読み方辞典
https://hiramatu-hifuka.com/onyak/kotoba-1/sumou.html
最終更新日2014年11月24日
歴史小説等に相撲用語はよく出てきます。金指基原著 日本相撲協会監修『相撲大辞典 第三版』を参考に、相撲用語の読み方を50音順に作成しました。
国語辞典・WEBからの参照もあります。
「音訳の部屋-読み方辞典」は音訳・点訳のために、難しい専門用語の読み方を作成したものです。「相撲用語読み方辞典」は簡単な説明がついている用語もありますが、読みのためですので意味調べは書籍で調査して下さい。書籍には相撲について詳しい記述があり、もっと多くの語彙の読みがあります。
*右項目、関連語にも用語はありますので、探しにくい時にはツールバー[編集]の[このページの検索]をクリック、または Ctrl + F を押し、検索画面より入力してお調べ下さい。(制作 平松陽子)
あ行
合口/相口 (あいくち) 対戦相手との相撲の相性
相関 (あいぜき) 元禄年間の番付にあり、大関と関脇の地位
相中/間中/合中 (あいちゅう) 江戸時代の番付の地位
相手十分 (あいてじゅうぶん) 「向こう十分」とも
★手乞 - 日本辞典
http://www.nihonjiten.com/data/41242.html
手乞. てごい【相撲】.
[手乞] 手乞は、相撲の古い別名とされ、相手の手をつかむこと。又は、素手で勝負をすることを意味する。
★合気道 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/合気道
合気道(あいきどう・合氣道)は、武道家・植芝盛平が大正末期から昭和前期にかけて創始した武道。植芝盛平が日本古来の柔術・剣術など各流各派の武術を研究し、独自の精神哲学でまとめ直した、体術を主とする総合武道である。
(植芝盛平が創始したもの以外の「合気道」は→“「合気道」の名称について” にて詳述。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/合気道#「合気道」の名称につい
21世紀初めの時点で「合気道」と言えば、一般的には植芝盛平の興した合気道を指すが、実は「合気道」の名を用いたのは盛平が最初ではなく、盛平とは別系統の「合気道」が存在する。また「合気道」という名称には“合気系武道(・武術)”全般を通称的に指し示す普通名詞としての一面もある。
★『塩で固め 塩で清める』
土を盛って作る相撲の競技場である。
★●ますらお【猛男/猛夫/丈夫/益荒男】
★じょう‐ふ【丈夫】
《「じょうぶ」とも。中国の周の制度で1丈(約2メートル)を男子の身長としたところから》りっぱな男。ますらお。「堂々たる―」「偉―」
★じょう‐ぶ【丈夫】
[形動][文][ナリ] 1 健康に恵まれているさま。達者。「―で、病気ひとつしたことがない」「からだが―な子」 2 物が、しっかりしていて壊れにくいさま。「―なひも」「値段の割に―な靴」 3 確...
★たけ‐お【猛男/猛夫/丈夫】
強く勇ましい男。たくましく強い男。ますらたけお。ますらお。「近藤勇、土方歳三等の―を取しずめ」〈蘆花・黒潮〉
★ますら‐お【益荒男/丈夫】
1 りっぱな男。勇気のある強い男。ますらたけお。ますらおのこ。⇔手弱女(たおやめ)。「屈せずして待つが―の事なりと言う」〈鴎外訳・即興詩人〉
2 武人。兵士。「大伴(おほとも)の氏と名に負へる―...
★ますらお‐の【益荒男の/丈夫の】
[枕]ますらおが常に手結(たゆい)をつける意から、「たゆひ」にかかる。
「―手結(たゆひ)が浦に海人娘子(あまをとめ)」〈万・三六六〉
★ますらお‐ぶり【益荒男振り/丈夫風】
男性的でおおらかな歌風。賀茂真淵(かものまぶち)らの歌人たちが和歌の理想と考え、万葉集の歌の中にこれが見いだされると説いたもの。古今集以後の「たおやめぶり」に対していう。
★益荒雄 - 元大相撲力士。
★まく 【幕】
1. (名)
(1)物の隔てや目隠しとして張りめぐらしたり垂らしたりする、広く長く縫い合わせた布。
「会場に―を張りめぐらす」
(2)芝居などの舞台と客席をしきる大きな布。上演中は開かれ、終わると閉じられる。
「―があがる」
(3) (ア)芝居で演技の一段落。通常、幕(2)があがってから下りるまで。
「次の―に出る」
(イ)一場面が終わり、幕(2)を引いてその場面を終わりにすること。
(4)場面。場合。
「私の出る―ではない」「さあ是からが僕の―さ/当世書生気質(坪内逍遥)」
(5)相撲で、幕内。
「―に入る」
(6)〔「幕を下ろす」意から〕物事の終わり。
「宴会もそろそろ―にしよう」
2.(接尾)
助数詞。芝居の一段落を数えるのに用いる。
「三―五場」「一―物」
» (成句)幕が開く
» (成句)幕が下りる
» (成句)幕を開ける
» (成句)幕を下ろす
» (成句)幕を切って落とす
» (成句)幕を切る
» (成句)幕を閉じる
» (成句)幕を引く
★年寄名跡 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/年寄名跡
年寄名跡(としよりめいせき、みょうせき)とは、日本相撲協会(以下、「協会」)の「年寄名跡目録」に記載された年寄の名を襲名する権利であり、俗に年寄株、親方株とも呼ばれる。
元力士が引退後も協会に残り、かつ運営に携わるには、年寄名跡を取得する必要がある。名跡の名称は創設者の四股名中同一に由来しており、既に名跡を取得している年寄はその名で活動する。
年寄名跡は、江戸相撲の勧進元の一人であった雷権太夫らが組織した株仲間がその原型とされている。江戸幕府の認可を得て勧進相撲の公許興行が行われた1684年(貞享元年)当時、名跡の数は15名前後だったとみられているが、相撲興行が軌道に乗るにつれて、名跡の数が増えてゆくこととなった。 その後1691年(元禄4年)には20人、1780年代(天明から寛政年間)にかけて36名、1830年代から1840年代(天保から弘化年間)にかけて54名、1905年(明治38年)には88名、東京と大阪の相撲協会が合併した1927年(昭和2年)には、大阪の頭取(年寄)17名を加え、105名に増員された。
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