●不思議にのめり込む切っ掛けが一冊の書物から
★光道園 創設者紹介 | 社会福祉法人 光道園
https://www.kodoen.or.jp/aboutus/founder
「手さぐりで、この子らの手をひいて」
https://www.amazon.co.jp/%E6%89%8B%E3%81%95%E3%81%90%E3%82%8A%E3%81%A7%E3%81%93%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%82%89%E3%81%AE%E6%89%8B%E3%82%92%E3%81%B2%E3%81%84%E3%81%A6-1969%E5%B9%B4-%E4%B8%AD%E9%81%93-%E7%9B%8A%E5%B9%B3/dp/B000J7T5PA
この一冊を手にした日が私の人生を変えてしまった。
50たった今でも鮮明に蘇ってくる。
あれは寒い日でまだ雪の降ってない日であった。
本が手元に今はない。だからハッキリとは内容は言えないけれども盲人なのに
よくもこんな事をしたものだと。
★母語教育法|スズキ・メソードとは | 音楽教室スズキ・メソード
https://www.suzukimethod.or.jp/about/native/
スズキ・メソードは「母語教育法」です.
赤ちゃんは毎日繰り返し耳にしている言葉を、いつのまにか話せるようになります。それを誰も特別なこととは思いません。お父さんお母さんがていねいに、よく話しかけることで、言葉が話せるようになり、たくさんの言葉を身につけていきます。それは赤ちゃんにとって、十分刺激を受ける、恵まれた環境といえます。
母語(ぼご)とは、幼児が最初に覚える言語のことで、第一言語ともいいます。これまでは母国語という表現が一般的でしたが、最近の研究で必ずしも言語が国家と結びつくものではない、という考え方から、スズキ・メソードでは母国語をすべて母語と表記するようになりました。
ネットで見ても名前が出てこない。
講談社文庫に「愛に生きる」たしかこんな名前だったと思う。
どうも歳のせいか体の調子が悪いせいか 最近物忘れが多くて。
この先生との出会いはなにかに弾かれた感じ。
両者は 無論 この世には居ない。
だけどおそらく 日本民族が この先残っていれば名は残ると思う。
それだけ 地球上にいる人でこれだけの人は居ないと思う。
私は この方々に会えたことは 何にも代えがたいものである。
本を一度だけ読み よしと納得して 相手の事は考えずにいつも出かけていった。
不思議と相手の方が私を待っていて貰えたように歓迎してもらえた。
蔵書は一万冊有ったが じっくりと読んだものは100冊くらいかな。
じっくり読んだ人には 必ず会いに行った。
今考えてみるとどの方も 面倒くさいと心の中では思っていたのではないかな。
回数は半端ではなかった。
何年だったか 色んな人に逢いにゆくのは 夏の間だけ。
他の季節は 雨や 雪などでいけなくなったから。
福井は山越えしても国道行っても 会いたい人のところは遠い人ばかり。
あの頃は道路は整備されていないし高速も余り出来ていなかった。
愛車は軽だったけど 坂道でも普通車よりも馬力が有った。
面白かったな。
創設者・故中道益平氏について 1978. 昭和53年5月18日 心不全により逝去(享年70歳)
★社会福祉法人風土記<47> 光道園 上 苦難乗り越え〝愛盲運動〟へ
https://www.fukushishimbun.co.jp/fudoki/22218
2019年05月23日 福祉新聞編集部
「愛なき人生は、暗黒であり 汗なき社会は、堕落である」。光道園を創設した中道益平(1907~78)が生涯を通して貫いた精神であり、自身に課した人生訓・志だ。「光道園精神」として現在に継承され、光道園職員の実践はこの言葉とともにある。
全盲の創始者・中道益平が「愛の鉛筆運動」と名付けて1本10円(仕入れ値5円、寄付分5円)の鉛筆を35万本売り、これを元手に「光道園」を設立したのが62年前(1957年)。現在、法人は鯖江市と越前町を拠点として障害児者・高齢者分野を中心に幅広く事業を展開しているが、各事業にはそれぞれの設立理由と歴史がある。
例えば、鯖江事業所にある障害者支援施設「ライフトレーニングセンター」(入所定員110人)は、設立から2年後(昭和47年)に初めて身体障害者療護施設が制度化された。最初の身障療護施設として全国で8施設が認可された中の一つで、「盲・ろう・あ」の三重障害のある入所者が多い施設として始まった。
★社会福祉法人風土記<48> 光道園 下 「緩やかな縮小」の時代へ ...
https://www.fukushishimbun.co.jp/fudoki/22314
2019/06/05
社会福祉法人風土記<48> 光道園 下 「緩やかな縮小」の時代へ ... 例えば、鯖江事業所にある障害者支援施設「ライフトレーニングセンター」(入所定員110人)は、設立から2年後(昭和47年)に初めて身体障害者療護施設が制度化された。
★盲人文化史年表 - BIGLOBE
http://www5c.biglobe.ne.jp/obara/tenji/nenpyo00.html
1966年4月、中道益平(1907~1978年、網膜剥離のため25歳で失明)が、福井県鯖江市に、重度身体障害者更生施設「ライトセンター光道園」(全国初の盲重複障害者施設)を設立 (1967年藍綬褒章、1971年第8回点字毎日文化賞) 1966年4月、日本点字毎日文化賞)
本の一覧
タイトル 著作者等 出版元 刊行年月
雑草に支えられて 中道益平 著 大空社
1997.10
雑草に支えられて 中道益平著 大空社
1997.10
手さぐりでこの子らの手をひいて 中道益平 著 光道園
1969.9
雑草に支えられて 中道益平 著 光道園
1967.8
★社会福祉法人 光道園 - 働くなら、福井!
https://www.hatarakunara-fukui.jp/
自らが全盲の障害者であった創設者の(故)中道益平氏は、全国の障害者を救済すべく施設創りに生涯を捧げた。この精神は、今も「愛なき人生は暗黒であり 汗なき社会は堕落である」という園訓で、受け継がれている。
★ミックバラード
★平成22年度 外部講演会で 山内 進氏 が講演 http://bit.ly/H62Haa
★
★全国盲ろう教育研究会 第4回研究協議会報告(Adobe PDF)
http://bit.ly/H5Znrk
光道園を創設した中道 益平氏は自身が中途失明者で、身体障害者施設の中で出会った盲重複障害者の人のことばから、どんなに障害の重い人でも働くことが大切だと 光道園を立ち上げました。
読書が大好きでタマタマ立ち寄った本屋で有る本を手にした。
後援会などで配られていた何年か前の本で古本屋でもないのに
数ある本の中で目に止まり何と無く買ったのが最初。
光道園 創設者 故中道益平氏による
「手さぐりで、この子らの手をひいて」 昭和44年3月発行で有った。
盲人で有りながら日本一の盲人専用の施設を創設した人である。
何度か出かけていくようになった時に まだ 盲人だけの施設ではなかった。
そこで一人の女性 ハッキリしないけど 手のない人だったと思う。
もっとじっくり話ししたかった。
訪問している内に 盲人専用の 重度の人などを入れるようになった。
ミックバラーズという名前の楽団を知り この中の一人が私の家の隣に住んでいた。
何処行ったのかと思っていたのに ここで会うことが出来た。
彼は私と同い年だけど私のことは覚えていなかった。
子供の頃に彼の姉が 車に惹かれて死んだ。
頭が潰れたと聞こえたので 怖くて見に行けなかった。
何故か 彼女は頭の良い人だった。
そんな事を思い出した。
町内でも 貧乏家で カラス戸や板戸がなくて 障子戸だけの家だった。
その障子があっちこっち破れて 継ぎ接ぎだらけで 寒そうだった。
いつの間にかその家は空き家になり 空き地にされてコンクリートの民家になった。
私もその家から出てボロ屋だから家主と半々お金かけて解体した。
行動園には何度か会いに行きボランティアにのめり込み色んな人と会う内に
心の問題にぶち当たり身障者に対しての自分や命に対しての
自分を見つめ直していく内に霊能者等や宗教団体の教会師などから
受けた色んな事象から日本を少し勉強した方が良いと思い
UFOやUMA学などにのめり込んだ。
日月神示(ひつきしんじ)に出会い
アカシックレコードに出会い
神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)に行き当たった。
漢字が伝来する以前に古代日本で使用されていたと称される
日本固有の文字が現代の国学では無かったと完全否定している。
神社の神示は口伝だけで漢字が渡来するまであれだけのモノが
伝えられるとは到底考えられなかった。
自分なりに手に入る書を眼に出来るモノは出来るだけ眼を
通してもこの答は出ていない。
勉強を通して得た答は日本は不思議で楽しい国。
基礎と言われる平仮名 和歌などから色んな派生文化が出て
横の繋がりも大いに深い。
八百万の神と昔から言い 色んなモノに名前持たせて意味持たせ
感謝して来た事が世界一の苗字の種類を産んだと思う。
十五万種類の苗字が有り名前はどのくらい有るか検討も
付かないほど有る膨大なモノになっている。
聞くところによると外国では名前は単に一人一人を区別する
だけで付けて居ると聞く。
人は不思議に引かれるモノ。
そして楽しくなる。
モットモット不思議な旅をしたいモノ。
★ここまでが昔 書いたモノ。
コメント
アリ
<日本は不思議で楽しい国。
同感です。 でも、この日記で示されたことは、私のほとんど知らない世界に関することで、しかも、濃密な内容なので、理解は私の能力を超えます。
アカシックレコードというと、私が思ったのは、この人なのですが、
エドガー・ケイシー(Edgar Cayce, 1877年3月18日 - 1945年1月3日)
そうなのでしょうか? 圭氏―は辛うじて聞いた記憶がありましたので、ウィキにあったのをコピペしてみました。
私も、不思議に引かれますし、不思議を知ることは楽しい! 同感です。
★
★
★
アリさんありがとう
最初にミクシーに登録して始めは何書いてよいのかさっぱり判らなかった。
その時に自分の昔の経験を閃きガムシャラに訳判らずに書いた。
何してよいのも判らないで思うままに綴った。
読み直して こんなもの書いていたかと少しボッとした。
アリさんがコメント書いて貰わないと忘れているだけ。
久ぶりに当時の事を思い出した。
この文は他のブログには出したこと無い。
山内さんと少し衝突まで行かなくても討論をしたようなことが有ったような。
中道さんは お宅へいつ言っても今から出るから早く帰れと言われていた。
光道園へ行くと時間は少し割いて貰えてお話をして貰えた。
亡くなったときは 何故か私は葬儀にも出なかった。
詳しく覚えていないけれども死んだ事を信じていなかった。
その後 何となく光道園とは疎遠になってしまった。
ミックバラードのメンバーとも会えなくなってしまった。
30前後の思い出だった。
結婚して色んなモノからも疎遠になっている。
何にも残っていない。
何してきたのかな。
今日は久しぶりに 愚痴をこぼしてしまった。
良い事を考えて持続しないと健康にはならない。
たしかこんな事を要られたのに ドンドンと遠ざかっている感じ。
★光道園 創設者紹介 | 社会福祉法人 光道園
https://www.kodoen.or.jp/aboutus/founder
「手さぐりで、この子らの手をひいて」
https://www.amazon.co.jp/%E6%89%8B%E3%81%95%E3%81%90%E3%82%8A%E3%81%A7%E3%81%93%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%82%89%E3%81%AE%E6%89%8B%E3%82%92%E3%81%B2%E3%81%84%E3%81%A6-1969%E5%B9%B4-%E4%B8%AD%E9%81%93-%E7%9B%8A%E5%B9%B3/dp/B000J7T5PA
この一冊を手にした日が私の人生を変えてしまった。
50たった今でも鮮明に蘇ってくる。
あれは寒い日でまだ雪の降ってない日であった。
本が手元に今はない。だからハッキリとは内容は言えないけれども盲人なのに
よくもこんな事をしたものだと。
★母語教育法|スズキ・メソードとは | 音楽教室スズキ・メソード
https://www.suzukimethod.or.jp/about/native/
スズキ・メソードは「母語教育法」です.
赤ちゃんは毎日繰り返し耳にしている言葉を、いつのまにか話せるようになります。それを誰も特別なこととは思いません。お父さんお母さんがていねいに、よく話しかけることで、言葉が話せるようになり、たくさんの言葉を身につけていきます。それは赤ちゃんにとって、十分刺激を受ける、恵まれた環境といえます。
母語(ぼご)とは、幼児が最初に覚える言語のことで、第一言語ともいいます。これまでは母国語という表現が一般的でしたが、最近の研究で必ずしも言語が国家と結びつくものではない、という考え方から、スズキ・メソードでは母国語をすべて母語と表記するようになりました。
ネットで見ても名前が出てこない。
講談社文庫に「愛に生きる」たしかこんな名前だったと思う。
どうも歳のせいか体の調子が悪いせいか 最近物忘れが多くて。
この先生との出会いはなにかに弾かれた感じ。
両者は 無論 この世には居ない。
だけどおそらく 日本民族が この先残っていれば名は残ると思う。
それだけ 地球上にいる人でこれだけの人は居ないと思う。
私は この方々に会えたことは 何にも代えがたいものである。
本を一度だけ読み よしと納得して 相手の事は考えずにいつも出かけていった。
不思議と相手の方が私を待っていて貰えたように歓迎してもらえた。
蔵書は一万冊有ったが じっくりと読んだものは100冊くらいかな。
じっくり読んだ人には 必ず会いに行った。
今考えてみるとどの方も 面倒くさいと心の中では思っていたのではないかな。
回数は半端ではなかった。
何年だったか 色んな人に逢いにゆくのは 夏の間だけ。
他の季節は 雨や 雪などでいけなくなったから。
福井は山越えしても国道行っても 会いたい人のところは遠い人ばかり。
あの頃は道路は整備されていないし高速も余り出来ていなかった。
愛車は軽だったけど 坂道でも普通車よりも馬力が有った。
面白かったな。
創設者・故中道益平氏について 1978. 昭和53年5月18日 心不全により逝去(享年70歳)
★社会福祉法人風土記<47> 光道園 上 苦難乗り越え〝愛盲運動〟へ
https://www.fukushishimbun.co.jp/fudoki/22218
2019年05月23日 福祉新聞編集部
「愛なき人生は、暗黒であり 汗なき社会は、堕落である」。光道園を創設した中道益平(1907~78)が生涯を通して貫いた精神であり、自身に課した人生訓・志だ。「光道園精神」として現在に継承され、光道園職員の実践はこの言葉とともにある。
全盲の創始者・中道益平が「愛の鉛筆運動」と名付けて1本10円(仕入れ値5円、寄付分5円)の鉛筆を35万本売り、これを元手に「光道園」を設立したのが62年前(1957年)。現在、法人は鯖江市と越前町を拠点として障害児者・高齢者分野を中心に幅広く事業を展開しているが、各事業にはそれぞれの設立理由と歴史がある。
例えば、鯖江事業所にある障害者支援施設「ライフトレーニングセンター」(入所定員110人)は、設立から2年後(昭和47年)に初めて身体障害者療護施設が制度化された。最初の身障療護施設として全国で8施設が認可された中の一つで、「盲・ろう・あ」の三重障害のある入所者が多い施設として始まった。
★社会福祉法人風土記<48> 光道園 下 「緩やかな縮小」の時代へ ...
https://www.fukushishimbun.co.jp/fudoki/22314
2019/06/05
社会福祉法人風土記<48> 光道園 下 「緩やかな縮小」の時代へ ... 例えば、鯖江事業所にある障害者支援施設「ライフトレーニングセンター」(入所定員110人)は、設立から2年後(昭和47年)に初めて身体障害者療護施設が制度化された。
★盲人文化史年表 - BIGLOBE
http://www5c.biglobe.ne.jp/obara/tenji/nenpyo00.html
1966年4月、中道益平(1907~1978年、網膜剥離のため25歳で失明)が、福井県鯖江市に、重度身体障害者更生施設「ライトセンター光道園」(全国初の盲重複障害者施設)を設立 (1967年藍綬褒章、1971年第8回点字毎日文化賞) 1966年4月、日本点字毎日文化賞)
本の一覧
タイトル 著作者等 出版元 刊行年月
雑草に支えられて 中道益平 著 大空社
1997.10
雑草に支えられて 中道益平著 大空社
1997.10
手さぐりでこの子らの手をひいて 中道益平 著 光道園
1969.9
雑草に支えられて 中道益平 著 光道園
1967.8
★社会福祉法人 光道園 - 働くなら、福井!
https://www.hatarakunara-fukui.jp/
自らが全盲の障害者であった創設者の(故)中道益平氏は、全国の障害者を救済すべく施設創りに生涯を捧げた。この精神は、今も「愛なき人生は暗黒であり 汗なき社会は堕落である」という園訓で、受け継がれている。
★ミックバラード
★平成22年度 外部講演会で 山内 進氏 が講演 http://bit.ly/H62Haa
★
★全国盲ろう教育研究会 第4回研究協議会報告(Adobe PDF)
http://bit.ly/H5Znrk
光道園を創設した中道 益平氏は自身が中途失明者で、身体障害者施設の中で出会った盲重複障害者の人のことばから、どんなに障害の重い人でも働くことが大切だと 光道園を立ち上げました。
読書が大好きでタマタマ立ち寄った本屋で有る本を手にした。
後援会などで配られていた何年か前の本で古本屋でもないのに
数ある本の中で目に止まり何と無く買ったのが最初。
光道園 創設者 故中道益平氏による
「手さぐりで、この子らの手をひいて」 昭和44年3月発行で有った。
盲人で有りながら日本一の盲人専用の施設を創設した人である。
何度か出かけていくようになった時に まだ 盲人だけの施設ではなかった。
そこで一人の女性 ハッキリしないけど 手のない人だったと思う。
もっとじっくり話ししたかった。
訪問している内に 盲人専用の 重度の人などを入れるようになった。
ミックバラーズという名前の楽団を知り この中の一人が私の家の隣に住んでいた。
何処行ったのかと思っていたのに ここで会うことが出来た。
彼は私と同い年だけど私のことは覚えていなかった。
子供の頃に彼の姉が 車に惹かれて死んだ。
頭が潰れたと聞こえたので 怖くて見に行けなかった。
何故か 彼女は頭の良い人だった。
そんな事を思い出した。
町内でも 貧乏家で カラス戸や板戸がなくて 障子戸だけの家だった。
その障子があっちこっち破れて 継ぎ接ぎだらけで 寒そうだった。
いつの間にかその家は空き家になり 空き地にされてコンクリートの民家になった。
私もその家から出てボロ屋だから家主と半々お金かけて解体した。
行動園には何度か会いに行きボランティアにのめり込み色んな人と会う内に
心の問題にぶち当たり身障者に対しての自分や命に対しての
自分を見つめ直していく内に霊能者等や宗教団体の教会師などから
受けた色んな事象から日本を少し勉強した方が良いと思い
UFOやUMA学などにのめり込んだ。
日月神示(ひつきしんじ)に出会い
アカシックレコードに出会い
神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)に行き当たった。
漢字が伝来する以前に古代日本で使用されていたと称される
日本固有の文字が現代の国学では無かったと完全否定している。
神社の神示は口伝だけで漢字が渡来するまであれだけのモノが
伝えられるとは到底考えられなかった。
自分なりに手に入る書を眼に出来るモノは出来るだけ眼を
通してもこの答は出ていない。
勉強を通して得た答は日本は不思議で楽しい国。
基礎と言われる平仮名 和歌などから色んな派生文化が出て
横の繋がりも大いに深い。
八百万の神と昔から言い 色んなモノに名前持たせて意味持たせ
感謝して来た事が世界一の苗字の種類を産んだと思う。
十五万種類の苗字が有り名前はどのくらい有るか検討も
付かないほど有る膨大なモノになっている。
聞くところによると外国では名前は単に一人一人を区別する
だけで付けて居ると聞く。
人は不思議に引かれるモノ。
そして楽しくなる。
モットモット不思議な旅をしたいモノ。
★ここまでが昔 書いたモノ。
コメント
アリ
<日本は不思議で楽しい国。
同感です。 でも、この日記で示されたことは、私のほとんど知らない世界に関することで、しかも、濃密な内容なので、理解は私の能力を超えます。
アカシックレコードというと、私が思ったのは、この人なのですが、
エドガー・ケイシー(Edgar Cayce, 1877年3月18日 - 1945年1月3日)
そうなのでしょうか? 圭氏―は辛うじて聞いた記憶がありましたので、ウィキにあったのをコピペしてみました。
私も、不思議に引かれますし、不思議を知ることは楽しい! 同感です。
★
★
★
アリさんありがとう
最初にミクシーに登録して始めは何書いてよいのかさっぱり判らなかった。
その時に自分の昔の経験を閃きガムシャラに訳判らずに書いた。
何してよいのも判らないで思うままに綴った。
読み直して こんなもの書いていたかと少しボッとした。
アリさんがコメント書いて貰わないと忘れているだけ。
久ぶりに当時の事を思い出した。
この文は他のブログには出したこと無い。
山内さんと少し衝突まで行かなくても討論をしたようなことが有ったような。
中道さんは お宅へいつ言っても今から出るから早く帰れと言われていた。
光道園へ行くと時間は少し割いて貰えてお話をして貰えた。
亡くなったときは 何故か私は葬儀にも出なかった。
詳しく覚えていないけれども死んだ事を信じていなかった。
その後 何となく光道園とは疎遠になってしまった。
ミックバラードのメンバーとも会えなくなってしまった。
30前後の思い出だった。
結婚して色んなモノからも疎遠になっている。
何にも残っていない。
何してきたのかな。
今日は久しぶりに 愚痴をこぼしてしまった。
良い事を考えて持続しないと健康にはならない。
たしかこんな事を要られたのに ドンドンと遠ざかっている感じ。
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