縄文人の志葉楽さんのブログ

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●葛飾北斎

2021年01月05日 16時29分11秒 | 文化
●葛飾北斎
●葛飾北斎について詳しく書かれている。
http://www.hokusai.gr.jp/#anchorContent01
●葛飾北斎とは?浮世絵「富嶽三十六景」など有名作品と人物像を徹底解説!
https://intojapanwaraku.com/art/1100/
浮世絵師・葛飾北斎は、生涯をとおして約3万点と数多くの作品を残している一方、その人生に関する資料は少なく、謎多き人物でもあります。
●すみだが生んだ世界の画人 「葛飾北斎」
https://hokusai-museum.jp/modules/Page/pages/view/401#sumida
墨田区は長い歴史をもち、東京23区のなかでも、特に古い行事や伝統技術を残している区のひとつです。こうした歴史を誇る「すみだ」は、政治家、思想家、宗教家、文筆家や芸術家など、さまざまな活躍をした偉人を多数輩出しています。
浮世絵師の葛飾北斎(1760年から1849年まで)も、そうした偉人のひとりですが、その魅力的な生涯や、およそ70年にもわたって描き続けられた多彩な作品は、没後約160年経た今日、ますます高い評価を得て、世界の偉大な芸術家として広く注目されています。
実は、この北斎は墨田区に生まれ、その90年にも及ぶ長い生涯のうち、90回以上も引越しをしたといわれますが、そのほとんどを「すみだ」で過ごしながら、多くの名作を残しました。作品の中には、両国橋や三囲神社、牛嶋神社など、当時の「すみだ」の景色を描いたものが数多くあります。
なお、葛飾北斎の「葛飾」は、出生地である「すみだ」を含む地域が、武蔵国葛飾郡であったことから名乗ったといわれます。
 
 
昔こんな話を聞いた事が有る。
 
江戸時代には浮世絵は肉筆画と版画とがあり
版画は今の金銭で三百円ほどで売られていたという。
 
江戸末期にパリ万博に日本間(にほんま)が出展されて
陶磁器もその中にあった。
凄く評判が良くて明治に入ってから
西洋に輸出を沢山するようになる。
 
北斎はその頃 西洋では無名だった。
 
ある日 画学生(画家のアルバイト学生)が
有る輸入会社で梱包を解いていた。
フト陶器に弛緩剤として挟まっていた
紙くずを広げてビックリした。
それが北斎版画で今三千万くらいで
取引されているモノだった。
 
タマタマ アルバイトが気に止めなければ
今もそんなに注目はされていない。
 
江戸時代には汚い話だけれども
ウンチをしたらお尻を拭く。
これに北斎や歌麿の版画が使われていた。
 
美人画などは昔 日本でも発売されていた
プロマイドになる。
 
スターの写真を製品にしたモノを「プロマイド」と言う。
戦後から昭和の末期まで売られていた。
今は古本などと一緒で古買されている。
 
ダカラ当然安い。
安くないと売れるわけがないから。
 
こうして西洋の世に出た浮世絵や版画が
今では世界のアーティストを牽引している。
特に北斎はゴッホや現在の画家の手本になって居る。
 
ミケランジェロやダビンチやベートーベンと
色んなアーティストが居るけれども
西洋では王侯貴族が
人を殺して奪った財産で文化を作ってきた。
大聖堂の壁画などいくらだったのだろう。
版画や印籠の値付けなどは庶民文化。
 
諸外国の文化は詐取で創られている。
日本の文化は庶民文化と言われる由縁である。

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