縄文人の志葉楽さんのブログ

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★『●き‐もん【鬼門】●朔望【サクボウ】●陰陽師(おんみょうじ)●暦学(れきがく)』

2020年08月10日 12時13分25秒 | 文化
★『●き‐もん【鬼門】●朔望【サクボウ】●陰陽師(おんみょうじ)●暦学(れきがく)』
★き‐もん【鬼門】
1 陰陽道(おんようどう)で、邪悪な鬼が出入りするとして万事に忌み嫌われた艮(うしとら)(北東)の方角。また、その方角にあたる場所。
2 行くと悪いことに出あう場所。また、苦手な人物や事柄。
「あそこの家はどうも―だ」「数学は―だ」「英語は―だ」

★鬼門(きもん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
丑寅(うしとら)すなわち北東の隅にあたる方角をいう。陰陽師(おんみょうじ)がいい始めたことで、この方角は鬼が出入りし集まる所といい、これを犯すことを忌んだ。中国から移入された説であるが、東方朔(とうほうさく)の『神異経(しんいけい)』などによると神荼(じんだ)、鬱壘(うつるい)の2悪神がいる方角が鬼門だとある。わが国へは平安時代に鬼門説が移入されたと思われるが、正確な文献が見当たらない。桓武(かんむ)天皇が王城を平安京に移したとき、鬼門除(よ)けとして比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)を建立したというが、それはのちになってからの説のようである。はっきりわかっているのは『吾妻鏡(あづまかがみ)』嘉禎(かてい)元年(1235)正月の条に、五大堂建立の地が幕府の鬼門にあたっているとの記載である。江戸城に対しても同様の理由から東叡山寛永寺を建立したという。今日においても、一般民家の建築に鬼門に対する警戒がみられ、この方角に便所や浴室を設けることを避けている。鬼門除けと称して、この方角に稲荷(いなり)などを屋敷神として祀(まつ)ることが広く行われている。鬼門に対する俗信はきわめて多い。鬼門に向けて家を建てるなとか、この方角に出入口を設けたり、家の出っ張った所をつくるなという。これを犯すと病人や災難が絶えない、また分家を鬼門の方に出すと本家が成りたたぬともいう。鬼門の方角に常緑樹とくにエンジュの木を植えておくとよいという。鬼門と正反対の方角すなわち未申(ひつじさる)(南西)の方角を裏鬼門または病門(びょうもん)といい、鬼門と同様に忌み警戒されている。 [ 執筆者:大藤時彦 ]

★鬼門や裏鬼門の意味とは?方角の調べ方から対策法まで徹底解説
https://myhome.nifty.com/column/rent/180720259335/
2018/08/06
家の新築やマンションの購入、リフォーム工事をするときなど、間取りを考える上で「鬼門」という要素があることはご存じですか?よく、トイレは鬼門の方角を避けるべきと言われますが、その理由や根拠はどこにあるのでしょう。

★家相(かそう) https://ja.wikipedia.org/wiki/家相
土地や家の間取りなどの吉凶をみるもの。 風水と同じく中国から伝来したが、日本の神仏習合思想が深く関わりをもち、風水とは違い、日本独自の発展をしたものである。太極思想、陰陽道も大きく影響した。陰陽道の最盛期といわれる平安時代中期頃から、病気や疾病、地震、火災、天災など、すべてを神の祟りが起こすものと考えられ、祟りを起こす神の存在を鬼に例えて恐れたといわれる。鎌倉時代前期に著された「陰陽道旧記抄」に「竈、門、井、厠、者家神也云々」とあり、井戸、竈、厠など、病気に直結する場所を神格化させ、諸々の宅神から祟りをうけぬよう祭祀を行い、併せてその位置を判断していた、それが家相の原点である。

★家相をチェックしてみよう~家相表
http://kakukikaku.com/kasouhyou.htm
家相吉凶図をVersion3にするにともない、用途別の家相表を作成しました。
家相はいろいろな判断があり、その評価基準もまちまちです。
また、家相ばかりを気にしすぎて、ご自分のライフスタイルに合わない住宅の間取りになるのは考えものです。
この表も数ある家相判定基準のひとつです。住宅の間取りを作成する際のご参考程度に。
また、占いを楽しむような少し気軽に見て頂けたらと思います。

★陰陽師(おんみょうじ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
「おんようじ」ともいう。大宝令(たいほうりょう)の制で陰陽寮や大宰府(だざいふ)に置かれた方術専門の官人。占筮(せんぜい)や地を相して吉凶を知ることをつかさどったが、平安時代になり陰陽寮のつかさどった天文、暦数、風雲の気色をうかがう方術を陰陽道とよぶようになると、陰陽師もそれらの方術を使う者すべての名称となった。平安中期に賀茂忠行(かものただゆき)が出てこれを世業化して賀茂家というが、子の保憲(やすのり)系統は暦道を中心とし室町中期から勘解由小路(かげゆこうじ)家、ついで幸徳井(こうとくい)家とも称した。忠行・保憲の高弟の安倍晴明(あべのせいめい)の流れは天文道を主とし、室町中期以後は土御門(つちみかど)家という。これを求めたものは古代の貴族層のみならず、中世以後は武家、近世になると庶民にまで広がった。 [ 執筆者:下出積與 ]
★暦道(れきどう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
暦術・造暦に関する学問、またそれに携わる人物をいう。602年(推古天皇10)百済(くだら)僧観勒(かんろく)が伝えた暦本を陽胡史(やごのふひと)の祖玉陳(たまふる)が習得したのに始まる。令(りょう)制では陰陽(おんみょう)、天文、漏刻(ろうこく)などとともに陰陽寮の管轄で、日月の度数を計り、暦をつくり、時を授けることを任務とした。わが国では独自の暦法を創出せず、中国の暦法によって算術的に毎年の暦を編纂(へんさん)した。暦道は陰陽道や天文道よりも軽視され、しだいに衰えたため、宣明(せんみょう)暦採用後800年以上も改暦が行われなかった。10世紀後半に賀茂保憲(かものやすのり)が暦道をその子光栄(みつよし)(939―1015)に、天文を弟子安倍晴明(あべのせいめい)に伝えて以来、それぞれの家職となった。賀茂(幸徳井(こうとくい))家は地下(じげ)の家格で陰陽助(すけ)となり、陰陽頭(かみ)となる安倍(土御門(つちみかど))家の被官となった。11世紀初頭以降、仏教系の宿曜(すくよう)道や算道などから暦算の誤りを指摘され、日食の予報も三者によって行われた。戦国時代に賀茂家は絶え、江戸時代に復活し暦注をつかさどった。近世では暦学と称されることが多い。
[ 執筆者:岡田芳朗 ]
★きもん‐かど【鬼門角】
鬼門の方角。また、その方角にあたる場所。
「此の家―なる事を気にかけ」〈浮・織留・四〉
★きもん‐よけ【鬼門▽除け】
鬼門の方角に神仏をまつり、災難を避けようとすること。うしとらよけ。
★暦学(れきがく) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
暦術や造暦に関する学問で、主として近世の呼称。わが国では602年(推古天皇10)に百済(くだら)から暦書が伝えられ、それを学習したのが始まりで、以来中国の諸王朝で施行された元嘉(げんか)、儀鳳(ぎほう)、大衍(たいえん)、五紀(ごき)、宣明(せんみょう)の諸暦をそのまま使用したため、暦学の主体は、算術的に毎年の頒暦(はんれき)を作成し、陰陽道(おんみょうどう)的暦注を割り付けることにあり、暦道と称されて、算道とほとんど同一視された。暦学の呼称は主として近世に用いられたもので、17世紀初頭から宣明暦や授時(じゅじ)暦の暦書が刊行され、その暦理や暦数が研究されるようになった。一方儒教的立場から、暦学は宇宙の原理に基づく経世済民の術として重視され、治者階級の教養として広く学習されるようになった。1720年(享保5)に漢訳洋書の輸入が緩和されて以後、西洋天文学の成果に基づく暦学が盛んになったが、蘭(らん)学の発展に伴いオランダ語の原書によって直接西洋暦学の受容が行われるようになり、寛政(かんせい)・天保(てんぽう)の改暦を実現した。
[ 執筆者:岡田芳朗 ]
★算道(さんどう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
大学寮の一学科で、算術を教授した。職員令(しきいんりょう)に算博士(はかせ)2、算生30がみえる。平安初期、明経(みょうぎょう)、文章(もんじょう)、明法(みょうぼう)とともに大学寮の四道を形づくるに至るが、他の三道にくらべ小規模であり、802年(延暦21)には算生が20人に減定されている。学生は九章、海島、周髀(しゅうひ)、五曹(ごそう)、九司、孫子、三開重差などの教科書を学んだ。算道出身の官人は多く主税(しゅぜい)、主計(しゅけい)、木工(もく)などの寮にあって専門知識を生かした。算道の教官には卑姓出身者が多く、世襲する氏族に小槻(おつき)氏や三善(みよし)氏が認められる。三善清行(みよしきよゆき)は『奉菅右相府書』のなかで、「遊学の次(ついで)、偸(ひそ)かに術数を習う」と記しており、9世紀後半のころ算道が三善氏の家学化してきていることを示している。 [ 執筆者:森田 悌 ]
★三道(さんどう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
世阿弥(ぜあみ)の能楽論書。1423年(応永30)、次男の観世元能(もとよし)に与えたもの。『能作書』ともよばれるとおり、能の作品の作り方について詳述した伝書。三道、つまり種(しゅ)(素材)、作(さく)(構成)、書(しょ)(作詞)を能作の出発点と説き、三体(老体・女体(にょたい)・軍体)の基本のジャンルから鬼に至る能の書き方、演者に当てはめた能の作り方、開聞(かいもん)・開眼(かいげん)(山場)の設定の仕方が語られている。新作の規範とすべき能の曲名があげられ、演技においても能作においても、幽玄という美意識を貫くべきことを結論としている。 [ 執筆者:増田正造 ]
★能楽(のうがく) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
日本の古典芸能の一つ。能のこと、また能と狂言を一括して能楽ともいう。南北朝時代から、「猿楽(さるがく)(申楽)の能」または「能」とよばれていた。江戸末期にも能楽のことばが用いられた例もあるが、意識的に用いられたのは、1881年(明治14)能楽社設立に際して、「猿楽ノ名称字面穏当ナラザルヲ以(もっ)テ、能楽ト改称シ」たのが始まりである。それ以来、能楽という呼び方が一般化し、能楽堂、能楽師などの用語が用いられる。
[ 執筆者:増田正造 ]
★宣明暦(せんみょうれき) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
中国の暦法の一つ。唐代に徐昂(じょこう)がつくり、822年から71年間施行された。その用数は、太陽年が365.24464285日、朔望(さくぼう)月が29.53059523日で、日月食の推算に改良が加えられていた。日本には859年(貞観1)に伝来、861年、大春日朝臣真野麻呂(おおかすがのあそんまのまろ)の奏請で施行されることになり、1684年(貞享1)まで823年の長い間、用いられた。このような長期間の使用のため、暦の推算と実際の天象の間には相違が生じ、その差は2日にも及んだ。また暦に日食や月食が記してあっても実際にはおきなかったり、実際にはおきても暦に記載がないなど、天象との不一致が世人の注目するところとなり、1685年から渋川(しぶかわ)(保井(やすい))春海(はるみ)のつくった「貞享(じようきよう)暦」が採用施行されることになった。
[ 執筆者:渡辺敏夫 ]

★暦(こよみ)  https://ja.wikipedia.org/wiki/暦
暦(こよみ、れき)とは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの。また、その構成の方法論(暦法)や、それを記載した暦書・暦表(日本のいわゆる「カレンダー」)を指す。さらに、そこで配当された各日ごとに、月齢、天体の出没(日の出・日の入り・月の出・月の入り)の時刻、潮汐(干満)の時刻などの予測値を記したり、曜日、行事、吉凶(暦注)を記したものをも含める。
細分すると、
・日を記録するものを暦(こよみ、calendar)
暦による日付の並びを表形式等で表示した暦表・カレンダー (calendar)
・暦の方法論である暦法(新暦、旧暦)(calendar)
・天象の予報・天体の軌道を記述するものを天体暦(れき、ephemeris)
・一年間の日ごとに天象に加えて行事や占いや曜日などを総合して記述したものを生活暦 (almanac)
・航海用に一年間の天象・天体の視位置を記述した航海暦(nautical almanac)
・紀年法、すなわち西暦・和暦など (calendar era)
本稿においては、このうちの暦(こよみ、calendar)の説明を行う。

★閏(うるう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
太陽年および朔望(さくぼう)月の端数を調節するために挿入される1日あるいは1月を閏日、閏月という。また挿入される年を閏年といい、その置き方を置閏(ちじゅん)法という。1太陽年は厳密には365.24220日、1朔望月は29.53059日であり、1暦年、1暦月に対して端数がある。この端数は太陽暦では4年で1日に達するので、1暦年の日数を4年に一度、366日としなければならない。また純太陰暦においては、大月30日、小月29日として12か月1年とする暦では1年が354日となり、真の長さ(29.53059日×12=354.3671日)との差0.3671日は、ほぼ2.7年で1日に達するから、小月に1日を挿入して大月にする。太陰太陽暦法では、太陽年の端数と朔望月の端数の両方を調節して、2~3年に1か月を挿入しなければならない。 [ 執筆者:渡辺敏夫 ]
★朔望【サクボウ】
《「朔」は1日、「望」は15日》陰暦の1日と15日。新月と満月。
★さくぼうげつ【朔望月】
朔(新月)から次の朔まで、または望(満月)から次の望までの平均時間。29.530589日。太陰月。
★さくぼうちょう【朔望潮】
大潮(おおしお)のこと。新月または満月の1、2日後に起こる。
提供元:「デジタル大辞泉」

★月の満ち欠け(朔望)
http://www.ganshodo.co.jp/mag/moon/files/m_a001.html


月の満ち欠け(月の位相)

●月の満ち欠けの原理

 月も地球も自ら光り輝くものではないので、月は太陽に照らされた部分が反射して地球からはあたかも満ち欠けをしているように見えます。
 月の満ち欠けは地球と月と太陽の位置関係によって決まります。月は地球の周りを公転しているので太陽に照らされた部分が変わり、地球から見た月は劇的な満ち欠けを繰り返します。
 新月(朔)から三日月、上弦(半月)とふくらみ望(満月)を迎え、以降次第に欠けはじめ下弦(半月)となり、さらに欠け再び新月を迎える。この新月から次の新月までの満ち欠けの周期を朔望月と呼び、その周期は約29.53日です。この朔望月が太陰太陽暦(旧暦)の一カ月の基本になっています。一日に0.53日という端数を付けることはできないので、太陰太陽暦は小の月(一カ月が29日の月)と大の月(一カ月が30日の月)で成り立っています。

★月の満ち欠け(朔望)の話(No.0201) 
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0201.htm
 月は満ちては欠け、欠けては満ちてと変化して止みません。このため変化するものの象徴、人間界では栄枯盛衰のたとえなどにももちいられてきました。
 申すまでもなく別に月本体が本当に欠けるわけではなく、太陽に照らされて明るい半面とその陰の見えない半面の地球から見える割合が変化するために起こる見かけ上の現象です。月が太陽と同じ方向にあると地球からは月の陰の半面しか見えませんので月が見えない状態「新月(朔)」となり、太陽と反対方向にあると明るい半面のみが見える「満月(望)」の状態になります。

★月の朔望表 - 大阪市立科学館
http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/~ishizaka/moonphase.html
 1998年から2022年までの新月(朔)、半月(上弦、下弦)、満月(望)の日付を計算しました (大阪市立科学館研究報告12号,2002年)。
 ・新月・・・地球から見て月が太陽と同じ方向にあるとき (正確には、太陽黄経と月の視黄経の差が0°のとき)
 ・上弦・・・新月から満月になる間の半月 (同90°)
 ・満月・・・反対の方向にあるとき (同180°)
 ・下弦・・・満月から新月になる間の半月 (同270°)
 日食は必ず新月に、月食は必ず満月に起こりますが、新月、満月の時にいつも日食、月食が起きるわけではありません。 これは、地球と月は意外に離れている上に、月の公転面(白道)が地球の公転面(黄道)に比べて5°ほどずれているためです。 月と太陽の黄経だけでなく、黄緯も一致したときにはじめて日食や月食が起きます。

★朔望年表
http://www.moonsystem.to/newfull.htm
今世紀と次世紀の 新月及び満月の日時です。

★月の朔望表
http://photon.sci-museum.kita.osaka.jp/publish/text/koyomi/72.html
1998年から2011年までの新月(朔)、半月(上弦、下弦)、満月(望)の日付を載せてあります (※本誌では2006年から2017年までの朔望日を掲載しています)。
地球から見て月が太陽と同じ方向にあるとき(正確には、太陽黄経と月の視黄経の差が0°のとき)を新月、 反対の方向にあるとき(同180°)を満月、新月から満月になる間の半月(同90°)を上弦、満月から新月になる間の半月(同270°)を下弦といいます(図1)。
日食は必ず新月に、月食は必ず満月に起こりますが、新月、満月の時にいつも日食、月食が起きるわけではありません。 これは図2のように、地球と月は意外に離れている上に、月の公転面(白道)が地球の公転面(黄道)に比べて5°ほどずれているためです。 月と太陽の黄経だけでなく、黄緯も一致したときにはじめて日食や月食が起きることになります。
新月から次の新月までは約29.5日間あり、旧暦ではこの期間を「ひと月」として暦を作っていました。旧暦では新月(朔:月齢0)が毎月の「一日(ついたち)」になります。94ページの「旧暦各月1日と現行暦との対照表」と朔の日付を見比べてみてください。ちなみに、果物の「はっさく(八朔)」は旧暦8月1日(八朔)頃に実が付きはじめます。 また名字では「四月朔日(わたぬき)」さんというのがあるそうです。

★お月様の満ち欠けと呼び名(月の名前)(No.0203)
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0203.htm
 月は日毎に満ち欠けして、その姿を変えます。満ち欠けによって変わった姿を現すものには月齢がありますが、味気ない数字の月齢とは別にもう少し風情のある名前も付いています(全部についているわけではないのですが・・)。
 このページでは、よく使われる月の名前を満ち欠けの順を追って見て行くことにします。

★月を識る | 01. 朔弦望 - つきのこよみ
http://88d.jp/facts/sakugenb/
新月(朔)と上弦、満月(望)、そして下弦で朔弦望
... に「朔弦望(さくげんぼう)」、満ち欠けひと巡りにかかる日数を「朔望周期(さくぼうしゅうき)」といいます。 ... 月は地球の周囲を公転しているために、月-地球-太陽の並び方は刻々と変化していき、その変化が地上ではあたかも ...

★月齢カレンダー - こよみのページ
http://koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm
月の満欠と、月齢及び潮名をカレンダー風にまとめました。
他の年月日を表示したい場合は下の「西暦年月」を指定して「計算:再表示実行」ボタンを押してください。
月の満ち欠けは「朔望」とも言われ、太陽との位置関係で決まります。太陽と同じ方向にある場合を新月(朔)、反対方向にある場合を満月(望)、その間に上弦・下弦(半月)があります。新月~満月を迎える正確な時刻は左の表のとおり。
下の表中の月齢はその地の標準時正午(12時)の値です。さらに詳しい内容は解説ページを御覧ください。
月に関係するその他のページも併せてご覧ください。

★茶話 - つらつら日暮らしWiki〈曹洞宗関連用語集〉
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%C3%E3%CF%C3
2007/04/29
【定義】
禅宗寺院で行われる説法や指導は、様々な形態があるが、最も正式なものとなると上堂になる。一方で、随時に行われる、説法や教訓・家訓のことを茶話といい、これは特に、茶を飲みながら行う場合を指す。
『百丈清規証義記』では、「朔望」に茶話についての付則があって、「或いは晩参。堂を回って鼓を聞くに、声吃って普茶を聴き、宣しく規約すべし。」とされている。
また、茶が一般に普及するようになってからは、各地の寺院でも行うようになったようである。




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