縄文人の志葉楽さんのブログ

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江戸城本丸の座敷の一つの芙蓉の間(ふようのま)

2019年09月23日 20時28分33秒 | 文化

◆芙蓉の間(ふようのま)
江戸城本丸の座敷の一つ。
寺社奉行、留守居、町奉行、大目付、勘定奉行、遠国奉行、三殿家老などが詰めた。
襖絵が芙蓉と小鳥であるところからの称。
五五畳敷き。
 
◆ふ よう 【芙▼ 蓉▼】
① アオイ科の落葉低木。暖地に生え、観賞用に栽植。高さ1~3メートル。葉は浅く三~七裂する。初秋のころ、上部の葉腋に径約13センチメートルの淡紅色の五弁花を開く。花は一日花で、白花の八重咲き、花色が変化する品種などもある。木(もく)芙蓉。 [季] 秋。
② ハスの花の異名。 「 -の風にしをれ/平家 3」
 
◆ 「芙蓉の間」ということを聴きますがどういう意味があるのでしょうか。どこでつかわれますか。

補足なぜ「芙蓉の花」を使うのでしょうか。
・ピンク色の大型の花。 枯れたあとの姿も印象的(”枯れ芙蓉”)。
・昔から美しい人のたとえに用いられている花で、 美しくしとやかな顔立ちのことを 「芙蓉の顔」という。
ということからでしょか。
 
◆2011/9/18
芙蓉の花というのは、唐のみやこ長安で大人気だったのですよ。遣唐使の人たちがその流行ぶりを日本に持ち帰ったため日本でも格があがり、江戸城の部屋の名前云々までつながっているというわけです。
 
◆2011/9/18
芙蓉之間は諸大名の伺候席ではなく、主に旗本の役職者の伺候席だったようです。大名監視役の大目付や江戸町奉行など老中支配の役職者の伺候席で、奈良奉行や長崎奉行など遠国奉行の伺候席もこちらになります。

旗本で一番偉い連中がいたところ
旗本はいわば徳川の身内です
枯れたあとの姿のイメージで徳川に最後もでつき従って欲しい
そう思ったのかもしれません
 
◆2011/9/18
「芙蓉の間」は、沢山あると思いますが、江戸城の「詰の間」にもありました。「詰の間」は、大名や旗本が江戸城に登城(出勤)した時に詰める間です。まぁ~、現代で言えば執務室兼控え室でしょうか。この詰の間も沢山あり、役職や家格により詰める部屋が決まっていましたが、「芙蓉の間」は、江戸町奉行、寺社奉行、勘定奉行の三奉行の他に大阪奉行、長崎奉行等々の奉行職、御勘定頭、御奏者番衆などが詰める間(部屋)です。因みに、最上位の「詰の間」は「溜りの間」で老中が詰めました。
「〇〇の間詰め」と言えば大名・旗本の地位や身分の上下が分かりました。
補足へ
江戸城の「詰の間」に限って言えば、花の名を付けた間は「芙蓉」「躑躅」「菊」「桔梗」「山吹」「紅葉?」がありますし、木だと「檜」、鳥で「雁」があります。従い、芙蓉が特別という訳ではありませんが、花の名を付けた間の中では一番席次の高い者の部屋になっているので、やはり芙蓉の花は当時から重んじられていたのでしょう?お書きになっているように「ピンク色の大型の花」で艶やかなのに、品も良いところが理由でしょうか?また、「ふよう」の言葉も重みと華麗さを備えているように思います。
 
◆芙蓉部隊 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/芙蓉部隊
芙蓉部隊(ふようぶたい)とは、三個飛行隊(戦闘八〇四飛行隊、戦闘八一二飛行隊、戦闘九〇一飛行隊)による進攻夜間戦闘機隊。「関東空部隊」として発足した当初、自らで「芙蓉部隊」(もしくは「芙蓉隊」)と称し、沖縄戦における菊水作戦中に正式な部隊名として呼称されるようになった。美濃部正少佐が指揮を執り、敵飛行場・艦船に対する夜襲を主戦法とした。指揮官美濃部の方針により特攻を拒否した部隊として紹介されることが多いが、実際には、部隊編成当初から特攻を戦術として採用し、美濃部の命令で特攻出撃をしたことがあり、自発的特攻による戦死者も出しており、芙蓉部隊隊員の多くも、戦争当時は自分らが特攻編成を外されたという認識は無く、実態については異聞がある。
特徴
芙蓉部隊員のマフラーの色の元となったスイフヨウの花、1日の間に白から次第に赤くなっていくが、マフラーはこの写真のような赤くなりきる前の薄紅色で染められていた

部隊の名称は、富士山の別名“芙蓉峰”からとった芙蓉隊、後に芙蓉部隊が用いられた。これは部隊の根拠地となった静岡県藤枝基地から富士山がよく見えたことにちなんで美濃部少佐が命名したものである。第三航空艦隊長官寺岡謹平中将の揮毫による隊旗も作られた。芙蓉部隊所属の搭乗員は、フヨウの花の色である薄紅色のマフラーを着用していた。
 
◆芙蓉(フヨウ)とは <花言葉・由来・開花時期などを紹介>
https://iwalkedblog.com/?p=11114
2017/01/05
夏の暑い季節のときに、どんどん新しい花が生えてきて、長い間楽しむことができる芙蓉(フヨウ)について、花言葉や由来、開花時期などについてご紹介していきたいと思います。
目次
1.芙蓉(フヨウ)とは
2.芙蓉(フヨウ)の花言葉
3.芙蓉(フヨウ)の誕生花
4.芙蓉(フヨウ)の由来
5.芙蓉(フヨウ)の品種
6.芙蓉(フヨウ)の育て方
7.芙蓉(フヨウ)の豆知識
 
◆富士山 読み方辞典 (音訳の部屋)
https://hiramatu-hifuka.com/onyak/fuji-01
 始めに
 静岡県に住んでいて、天気の良い日は毎日富士山を眺めて暮らしていますが、富士山に関する言葉を聞かれるとさっぱり分かりません。一つの質問をきっかけに言葉の調査をしました。富士山に関する参考図書は沢山ありましたが、言葉の読み方にルビのある本は数が少なく苦労しました。
 静岡県立中央図書館へのレファレンス、WEBサイトでの検索、参考図書の調査を通して富士山に関する言葉を集めました。少しでもお役に立てれば静岡県民としてうれしく思います。
夏は富士登山、冬は雪を頂いた富士山を眺めに、是非静岡にお出かけ下さい。 (制作 平松陽子)
●コンサイス日本山名辞典(三省堂)によると富士八峰は芙蓉八朶(ふようはちだ)とも言う。
●信仰
役小角(えんのおずぬ・えんのおづぬ・えんのおづの)--8世紀頃の行者(ぎょうじゃ) 役の行者木像(えんのぎょうじゃもくぞう)--山岳佛教の祖(ちち) 役行者(えんのぎょうじゃ)村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)
 
◆江戸城表・大広間・控之間・松之廊下 : 大江戸歴史散歩を楽しむ会
https://wako226.exblog.jp/16483689/
江戸城大広間
江戸城内最大の書院である大広間は、将軍宣下の儀式、武家諸法度発布、年頭の拝賀などの公的行事を行う最も格式の高い御殿である。上段之間には将軍が坐する。将軍の呼び名は「公方様」「御公儀様」「大樹様」と呼ばれていた。権威を演出する大広間では大名の座る場所は格式によって厳格に定められていた。以下、中段之間、下段之間、二之間、三之間、四之間、五之間、納戸が中庭を囲み合わせて500畳で構成されている。
 
◆季語/芙蓉(ふよう)を使った俳句 | 俳句季語一覧ナビ
https://www.haiku-kigo-ichiran.net/fuyo/
2018/11/20
「芙蓉」を使用した俳句についてまとめてみました。
「芙蓉」を使用した俳句についてまとめてみました。
目次
1.季語「芙蓉」について
1.子季語・関連季語・傍題・類語など
2.季節による分類
3.月ごとの分類
2.芙蓉を含む俳句例
1. 俳句例:21句目~
2.俳句例:41句目~
3.俳句例:61句目~
4.俳句例:81句目~
 
1.季語「芙蓉」について
【表記】芙蓉
【読み方】ふよう
【ローマ字読み】fuyo
 
●子季語・関連季語・傍題・類語など
・木芙蓉(ふよう:fuyo_)
・花芙蓉(はなふよう:hanafuyo)
・白芙蓉(しろふよう:benifuyo)
・酔芙蓉(すいふよう:suifuyo)
 
◆地名・町名の由来
https://www.city.mishima.shizuoka.jp/mishima_info/amenity/rekishi/chimeinoyurai/chomeiyurai.htm
4 大規模開発によって新たに作られた町名
町名
芙蓉台(ふようだい)
 由来
芙蓉は蓮の花の別称で美人の例えに用いられ、また、芙蓉峰は富士山の雅称(風流な呼び方)でもあり、富士山の眺めが素晴らしいことから付けられたといわれている

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