人が生きる
辛さ
苦しさ
それを
私は
腹の底から
味わされた
味わった末に
神様の分生命
としての
人間の
真性を
知らされた
だから
私は
人間の心
のすぎゆきを
ただとがめはしない
とがめずに
光をまし加えて
神の働き手としての
あなたを
つよめる
辛さ
苦しさ
それを
私は
腹の底から
味わされた
味わった末に
神様の分生命
としての
人間の
真性を
知らされた
だから
私は
人間の心
のすぎゆきを
ただとがめはしない
とがめずに
光をまし加えて
神の働き手としての
あなたを
つよめる
この肉体というのは
光ってるんです
見える
みえないとかじゃなく
光ってるんです
このいのちが
私達のうちに
宿っているのと
おなじくらい
いやもっともっと
自然に
なぜかといえば
光というのは
神様の愛で
これこそ
私達のいのちを
生かしめている
元の元なんですから
だから光って
いない筈がないんです
光の子というのは
人間の
真性なんです
光って光って
その光を
すべての天地に
ゆきわたらせるわけです
意識するしないにかかわらず
みんな
この働きを持っているんです
光というのは
自分だけが
光ってりゃあいいと
いうもんじゃないし
またそんなことは
思いつきもしない
どこへでも
ゆくでしょう
どこにでも
およぶんですよ
太陽も
月も
星も
この
光のいのちなんです
このいのちが
光ってるんです
光のあらわれ
それが
生きとし
いけるものの
いのちなんですよ
コロンブスの
にわとりが
先か
卵が
先かって
あるでしょう
あれじゃ
ないけれど
光が先か
いのちが
先かってね
でも
光だ
いのちだ
という前に
その光を
光たらしめているものは
いのちを
いのちたらしめているものは
何かといえば
神様の深い深い愛なんです
これしかないんです
神様はもう
ずーっと人間を
思い放しなんですよ
一人一人の
いのちのなかに
その愛が
入り込んでるんです
この愛によって
人間は生きることが
できるわけ
光といのちと愛
この三つは
神様を語るのに
なくてはならぬもの
そうして
人間の真性は
この光といのちと愛の
なかにあるんです
昭和62年2月10日
光ってるんです
見える
みえないとかじゃなく
光ってるんです
このいのちが
私達のうちに
宿っているのと
おなじくらい
いやもっともっと
自然に
なぜかといえば
光というのは
神様の愛で
これこそ
私達のいのちを
生かしめている
元の元なんですから
だから光って
いない筈がないんです
光の子というのは
人間の
真性なんです
光って光って
その光を
すべての天地に
ゆきわたらせるわけです
意識するしないにかかわらず
みんな
この働きを持っているんです
光というのは
自分だけが
光ってりゃあいいと
いうもんじゃないし
またそんなことは
思いつきもしない
どこへでも
ゆくでしょう
どこにでも
およぶんですよ
太陽も
月も
星も
この
光のいのちなんです
このいのちが
光ってるんです
光のあらわれ
それが
生きとし
いけるものの
いのちなんですよ
コロンブスの
にわとりが
先か
卵が
先かって
あるでしょう
あれじゃ
ないけれど
光が先か
いのちが
先かってね
でも
光だ
いのちだ
という前に
その光を
光たらしめているものは
いのちを
いのちたらしめているものは
何かといえば
神様の深い深い愛なんです
これしかないんです
神様はもう
ずーっと人間を
思い放しなんですよ
一人一人の
いのちのなかに
その愛が
入り込んでるんです
この愛によって
人間は生きることが
できるわけ
光といのちと愛
この三つは
神様を語るのに
なくてはならぬもの
そうして
人間の真性は
この光といのちと愛の
なかにあるんです
昭和62年2月10日