わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

短 信(三十三)

2011-11-30 10:30:49 | 癒し
 光はどこまでを浄めるかということに
ついては、以前にも申し上げたことが
ありますが、その範囲は無制限であります。

 宇宙は、尽きることのない神の愛と
調和の気に満たされております。
 その神様の愛と調和(光)は、どこまで
にもおよんで、闇(業想念)を消し去る
のであります。

 さらに申しますなら、光は、どこにも、
みちていると同時に、私達のこのいのちの
源であることも忘れてはならないこと
であります。

 神はわが裡にあり、我は光なりなので
あります。

 これは何も、己れを高ぶらせる
おもいからの言葉ではありませんで、
いつも申しておりますように、私どもは
神のいのちからわかれてきた分生命(わけ
いのち)、分霊(わけみたま)なので
ありますから、光こそわがふるさとで
ありまして、肉体は、この光を受ける器
なのです。

 光を遮(さえぎ)ることは出来ません。
 そうして、みちみちている光を、分ける
ことも、全く不自然なことであります。

 私達が素直に神に祈りをささげ、日常を
送って参りますなら、私どもは、神の
朗らかないのちを受けた光として、
どこまでも、まわりを和らげ、浄めてゆく
のであります。否、神が浄めて下さるので
あります。

 世界人類が平和でありますように
 
               合 掌
                  昌 久

短 信(三十二)

2011-11-29 10:59:21 | 癒し
 自分を役立たせたい、お役に立ちたいという気持ちは、
実に尊いものであります。ありがたいことでありますが、
あまりに、この気持ちに熱をおびさせますと、やはり
我(が)の世界へと引き入れられるのであります。

 私達は、余程ここのところをしっかりと見極めねば
なりません。

 私達が、お役に立ちたいとおもう時、それは具体的には、
私達の知っている誰かに対してーーということが多い
のであります。たとえば、友達が病気で苦しんでいる、
どこかいい先生はいないかと言う時に、一生懸命世話を
する、また、自分の知っているお医者さんに連れてゆく、
それでようやく治ってみると、自分が思った程には友達が
感謝してくれない。こういうことはよくある話であります。

 これはなぜこうなるのかと申しますと、苦しんでいる
友達をみて一生懸命に動いたその時には、お役に立ちたい
という気持ちが、純粋に働いていたわけであります。
 むしろ、この気持ちによって、心がもえたということが
いえるかも知れません。

 お役に立ちたいという心、愛念が、その人を
突き動かしたわけであります。この時には、ただもう
友達の苦しみが取れればという気持ちだけでありまして、
そのほかには何ものぞんでいないのです。

 それで、色々動いて、その結果、元気になってきますと、
本当によかったと思う。ところが、すっかり元気になって、
その友達にお礼はいったのでしょうが、そのお礼の
言い方が、動いた方としては、何かあっさりしていて、
物足りない。そして、物足りなさを感じているうちに、
今度は、自分があれだけ動いてやったのに、友達は
わかっているのかしらという気持ちになってくる。

 こうなると、もう「お役に立ちたい」はどこかへ
行ってしまっている。

 お役に立ちたいという気持ちは、汚されない、純な
ものであります。この人も、そのはじめには、純な
気持ちから出発したのであります。それがおかしく
なったのは、自分が目の前の友達のために一生懸命
動いたという気持ちにとらわれたからなのであります。

 人間というものは、神様の光なのだ、光の一筋なのだ
ということは、つねづね申し上げていることでありますが、
お役に立ちたいという気持ちをじっとみていますと、
それはただ、光が光にむかって働きかけているということ
なのであります。つまり、私達は、具体的には、自分の
知っている誰かを通して、光として動く、光明を発揮
しているということになるのであります。

 ですから、お役に立ちたいというのは、本来、誰かの
ために動くとか何とかというようなものではない
のでありまして、それでいいますなら、神様のために、
このいのちを、幾分かでも働かせていただいたという
ことなのであります。

 要は、あまり、お役に立ちたいと思いつめず、
ふんわりと、神様にその気持ちを伝えていらっしゃれば、
一番いい方法で、神様が、あなたを使って下さる
ということなのであります。

 のんびりと、ふんわりと参りましょう。

 世界人類が平和でありますように
                   合 掌
                     昌 久

短 信(三十一)

2011-11-28 10:34:44 | 癒し
 何も心配なさることはありません。なく
だけおなきなさい。人間の心の自然な動きを
殺してはいけません。
 いのちに素直になるということは、自分に
素直になる自分の気持ち、心に素直になる
ということであります。
 耐えるということと、自分を殺すという
こととは、全く別の世界なのであります。
 さながらにいのちを生かすということが
もっとも大事なことで、そのためにも、まず、
自分の心の声に耳をかたむける、自分の心に
素直になるということが大事なことなので
あります。
 五井先生にも淋しい時がうんとあった。
 けれども、どんな時にも、神様と二人だと
実感してここまで歩いてきたのです。
 神様も、五井先生も、守護霊さんも、
守護神さんも、あなたの側にいます。ですから、
安心なさって、ありのままの素直なあなたを、
神様の前に投げ出して下さい。
 涙がかれれば、あとは、心は明るくなって
ゆきます。
 元気を出して、ご一緒に祈って参りましょう。
                合 掌
                  昌 久

ひらがなのこころで・・・

2011-11-26 09:44:15 | 癒し
単純な
子どもでも
わかるような
言葉で
語ること
いつも
いつも
五井先生が
心がけてきたことです
やさしく
わかりやすく
しつこくなく
ひらがなの
こころで
やさしいこころで
しゃべるとき
いつのまにか
かみさまの
舌になってゆくのです