自分を明るくし
自分の心を
明るくしてゆく
というのが
一番です
自分が
明るくなれば
まわりも
明るくなって
ゆくのです
光が
それだけ
みなさんの
なかに
入りやすいのです
光というものは
いつもいつも
みなさんのまわりを
とびかって
よろこびだとか
楽しさだとか
をつくり
明るくしよう
明るくしようと
精一杯の
努力を
しているのですが
本体の
みなさんの方が
明るくなって
くれないと
もう一つ調子が
出ないのです
私達の本体というものは
大光明
不夜城のように
ともしびが消えることがありません
私達は
このあかりを
求めて歩いてゆく者同士なのです
それには
まず
自分をきりかえること
おもい
というチャンネルから
神様の愛という
チャンネルにきりかえて
明るい自分を
精一杯
呼吸することです
世界平和の祈りを
祈りながら
アンテナを
神様にむけて
明るい
私達になって参りましょう
昭和62年2月14日 朝
私は
宇宙なんだ
神様の愛が
私を生かして下さって
いるんだ
とおもうことが
大切ですね
想念というものに
支配されて
それは
人間が
勝手につくっちゃったものですけれど
我々は
何でもかんでも
ちっちゃくちっちゃく
物をこじんまりとまとめてみる
そういうくせがついちゃった
全部
こう枠に入れてね
ところが
人間というものは
いつも
私がいうように
神様の
分生命
分霊だから
神様からずっと
分かれてきた生命で
天が神様ですからね
そんなにちっちゃく
まとまってはいられない
存在なんです
この地球上の
とおもえば
我々が意識する
しないにかかわらず
我々自身が
地球上いっぱいに
光となって
ひろがってゆくわけ
宇宙
とおもえば
宇宙全体
銀河系だけじゃない
もう無限の宇宙ですよね
そこまで
ひろがっちゃう
そういう
とてつもなく
すごいひろがりを
持っているのが
人間なんです
それで
神様って
よぶと
あるいは
神様って
おもうとですね
神様ってのは
我々の親ですよ
ふるさとですからね
すっと
ふるさとへ帰って
何ともいい心持ちに
なってくるという
こういうわけなんです
で
神の似姿である人間にはね
そのまま
宇宙も
神様も
永遠のいのちのながれも
みんなみんな
内蔵されてるわけですよ
小宇宙
小天地ですよね
人間ってのは
この肉体の
奥の奥に
神界につながる
神様につながる
天地を
持っているわけです
ところが
これをはばむものがある
それが
さっきいいました
想念ですよね
肉体人間の我
とかね
で
この想念が
このままあったんじゃあ
なかなか
神様にスッキリと
いのちが
とどいてゆかない
そこでですね
こら想念
お前そこどけなんて
五井先生は
そんな乱暴な
口はきかないのね
そうかそうか
お前の気持ちもよくわかる
ってやるんですよ
何でやるかというと
消えてゆく姿で
世界平和の祈り
これでやるんです
想念が
人間のなかで
あばれ出した
苦しい
先生どうしましょう
ああそうだ
消えてゆく姿だ
これで又
浄まるんだ
守護霊様
守護神様
神様ありがとうございます
世界人類が平和でありますように
ってやるとですね
あばれてた想念もみんな
幽界まで浄めるんです
世界平和の祈りは
幽界幽体を
きよめて
すっかりきれいにして
それでもって
スッキリと神様につなぐ
小宇宙と大宇宙を握手させる
って
こういうお祈りなんです
ですから
まず
私は宇宙なんだと
うんと自分をひろがらせて
神様ありがとうございますって
やってればですね
じねんほうにに
すべてのいのちと
とけあって
ゆくんですよ
よございますか
それでは
どうも
ありがとうございました
昭和62年2月14日 朝
私の教えは
余分なもの
余計なものを
みんなとっちゃって
とにかく
神様の愛につないでゆく
人間の真実のすがた
光そのものの
すがたを
しらせて
すっきりと
神様のいのちにつないでゆく
そういう教えです
理くつじゃあ
ないんです
神様が
我々を
愛して下さっていることも
守護霊さんが
不眠不休で
みなさん
一人一人を
守って下さってることも
みんな
これは事実なんです
五井昌久って人は
この事実を
そのままに
つたえにきた
人なんです
祈って
祈って
祈り抜いて
ゆくと
ただ
朗らかになって
自分の
いのちと
対面することができます
世界平和の祈りは
人間が
朗らかに
なるための
エレベーターなんです
昭和62年2月14日 朝
祈ってゆく内に
自分がなくなるって
ことがありますが
これは
無我になって
神様と一体になることであって
決して
その人がその人らしさを失った
ということではないんです
よく
世間では
法悦境っていいますよね
こういう言葉をきくと
何かしら
浮世ばなれした
世界のように
感じちゃう人が
いるんだけれど
そうじゃないんです
たしかに
そのときは
何ともいえない
いい気持ちになりますが
それは
ぱーっと
こう
我々のいのちを
あたらしくされる
光を
神様からいただいてる
こういうことでしてね
何のために
いただくかっていえば
それぞれの
職場で
学校で
家庭で
生き生きと
はたらくためなんですね
だから
決して
浮世ばなれじゃない
浮世ひっつきなんです
神様と一体になって
ああ
自分のいのちは
こころは
おもいは
自分のすべては
神様から
いただいてるんだな
神様からきてるんだな
神様ありがとうございます
守護霊様
守護神様
ありがとうございます
っておもうのは
おもえるのは
これはいのちの充実ですよね
第一巻(神のこころ)でもいったけれど
だから
無ってのは
虚無ってことじゃない
いのちが充実して
いのちがよろこんでいる
状態を
指すんです
それで
さあ頑張ろう
ですよ
みんなを
現実生活に返してゆくわけ
私は絶対に
みんなを
神がかりにはしないんです
生活ってものが
ちゃんとやってゆけなきゃね
話にならないもの
けれど
そのままに
神様の言葉が
きける人
受けられる人
こういう人が沢山
でてこないと
これからの地球は
大変なんです
そういう人を一人でも
多くふやしたいわけ
何も
特別なことじゃないんです
みんなが
スッキリと
自分のいのちに
目覚めたら
一人のこらず
こうなるんですよ
そうでしょう
どうぞ一人でも多くの人が
人間の真性に深く目覚めて下さい
世界人類が平和でありますように
昭和62年2月14日 朝
自分の心を
明るくしてゆく
というのが
一番です
自分が
明るくなれば
まわりも
明るくなって
ゆくのです
光が
それだけ
みなさんの
なかに
入りやすいのです
光というものは
いつもいつも
みなさんのまわりを
とびかって
よろこびだとか
楽しさだとか
をつくり
明るくしよう
明るくしようと
精一杯の
努力を
しているのですが
本体の
みなさんの方が
明るくなって
くれないと
もう一つ調子が
出ないのです
私達の本体というものは
大光明
不夜城のように
ともしびが消えることがありません
私達は
このあかりを
求めて歩いてゆく者同士なのです
それには
まず
自分をきりかえること
おもい
というチャンネルから
神様の愛という
チャンネルにきりかえて
明るい自分を
精一杯
呼吸することです
世界平和の祈りを
祈りながら
アンテナを
神様にむけて
明るい
私達になって参りましょう
昭和62年2月14日 朝
私は
宇宙なんだ
神様の愛が
私を生かして下さって
いるんだ
とおもうことが
大切ですね
想念というものに
支配されて
それは
人間が
勝手につくっちゃったものですけれど
我々は
何でもかんでも
ちっちゃくちっちゃく
物をこじんまりとまとめてみる
そういうくせがついちゃった
全部
こう枠に入れてね
ところが
人間というものは
いつも
私がいうように
神様の
分生命
分霊だから
神様からずっと
分かれてきた生命で
天が神様ですからね
そんなにちっちゃく
まとまってはいられない
存在なんです
この地球上の
とおもえば
我々が意識する
しないにかかわらず
我々自身が
地球上いっぱいに
光となって
ひろがってゆくわけ
宇宙
とおもえば
宇宙全体
銀河系だけじゃない
もう無限の宇宙ですよね
そこまで
ひろがっちゃう
そういう
とてつもなく
すごいひろがりを
持っているのが
人間なんです
それで
神様って
よぶと
あるいは
神様って
おもうとですね
神様ってのは
我々の親ですよ
ふるさとですからね
すっと
ふるさとへ帰って
何ともいい心持ちに
なってくるという
こういうわけなんです
で
神の似姿である人間にはね
そのまま
宇宙も
神様も
永遠のいのちのながれも
みんなみんな
内蔵されてるわけですよ
小宇宙
小天地ですよね
人間ってのは
この肉体の
奥の奥に
神界につながる
神様につながる
天地を
持っているわけです
ところが
これをはばむものがある
それが
さっきいいました
想念ですよね
肉体人間の我
とかね
で
この想念が
このままあったんじゃあ
なかなか
神様にスッキリと
いのちが
とどいてゆかない
そこでですね
こら想念
お前そこどけなんて
五井先生は
そんな乱暴な
口はきかないのね
そうかそうか
お前の気持ちもよくわかる
ってやるんですよ
何でやるかというと
消えてゆく姿で
世界平和の祈り
これでやるんです
想念が
人間のなかで
あばれ出した
苦しい
先生どうしましょう
ああそうだ
消えてゆく姿だ
これで又
浄まるんだ
守護霊様
守護神様
神様ありがとうございます
世界人類が平和でありますように
ってやるとですね
あばれてた想念もみんな
幽界まで浄めるんです
世界平和の祈りは
幽界幽体を
きよめて
すっかりきれいにして
それでもって
スッキリと神様につなぐ
小宇宙と大宇宙を握手させる
って
こういうお祈りなんです
ですから
まず
私は宇宙なんだと
うんと自分をひろがらせて
神様ありがとうございますって
やってればですね
じねんほうにに
すべてのいのちと
とけあって
ゆくんですよ
よございますか
それでは
どうも
ありがとうございました
昭和62年2月14日 朝
私の教えは
余分なもの
余計なものを
みんなとっちゃって
とにかく
神様の愛につないでゆく
人間の真実のすがた
光そのものの
すがたを
しらせて
すっきりと
神様のいのちにつないでゆく
そういう教えです
理くつじゃあ
ないんです
神様が
我々を
愛して下さっていることも
守護霊さんが
不眠不休で
みなさん
一人一人を
守って下さってることも
みんな
これは事実なんです
五井昌久って人は
この事実を
そのままに
つたえにきた
人なんです
祈って
祈って
祈り抜いて
ゆくと
ただ
朗らかになって
自分の
いのちと
対面することができます
世界平和の祈りは
人間が
朗らかに
なるための
エレベーターなんです
昭和62年2月14日 朝
祈ってゆく内に
自分がなくなるって
ことがありますが
これは
無我になって
神様と一体になることであって
決して
その人がその人らしさを失った
ということではないんです
よく
世間では
法悦境っていいますよね
こういう言葉をきくと
何かしら
浮世ばなれした
世界のように
感じちゃう人が
いるんだけれど
そうじゃないんです
たしかに
そのときは
何ともいえない
いい気持ちになりますが
それは
ぱーっと
こう
我々のいのちを
あたらしくされる
光を
神様からいただいてる
こういうことでしてね
何のために
いただくかっていえば
それぞれの
職場で
学校で
家庭で
生き生きと
はたらくためなんですね
だから
決して
浮世ばなれじゃない
浮世ひっつきなんです
神様と一体になって
ああ
自分のいのちは
こころは
おもいは
自分のすべては
神様から
いただいてるんだな
神様からきてるんだな
神様ありがとうございます
守護霊様
守護神様
ありがとうございます
っておもうのは
おもえるのは
これはいのちの充実ですよね
第一巻(神のこころ)でもいったけれど
だから
無ってのは
虚無ってことじゃない
いのちが充実して
いのちがよろこんでいる
状態を
指すんです
それで
さあ頑張ろう
ですよ
みんなを
現実生活に返してゆくわけ
私は絶対に
みんなを
神がかりにはしないんです
生活ってものが
ちゃんとやってゆけなきゃね
話にならないもの
けれど
そのままに
神様の言葉が
きける人
受けられる人
こういう人が沢山
でてこないと
これからの地球は
大変なんです
そういう人を一人でも
多くふやしたいわけ
何も
特別なことじゃないんです
みんなが
スッキリと
自分のいのちに
目覚めたら
一人のこらず
こうなるんですよ
そうでしょう
どうぞ一人でも多くの人が
人間の真性に深く目覚めて下さい
世界人類が平和でありますように
昭和62年2月14日 朝