kira kiraな☆しあわせ ~多発性海綿状血管奇形・心因性非てんかん性発作(PNES)と共に~

病気があるからこそ今いる私。楽しいことも悲しいことも、すべてがkira kiraの思い出になると信じて‥☆

「完璧」がもたらしたもの・・

2006-07-11 23:34:18 | 病気と障害と私の生活
先月、「ただ話を聴いてくれるだけでいい」
と思っていた気持ちが届いたのか、たまたま偶然だったのか・・
ちゃんと聴いてくれた
私のあとに、めずらしくお客(?)がいなかったから、
次の人に悪いから早く簡潔に話さなくちゃ!!とか思わなくてよくて、
気がラクだったし、ゆっくり話しができた。

この間の学校で起きたことの検証(笑)をしてみると、
「そんな悪条件が重なればねぇ
とあっさり。
前の日の睡眠時間が3~4時間、直射日光を浴びながら駅まで行き、学校へ行って、この頃すでに「学校に行くだけでぐったり」を感じていた・・。
のが、原因だと。

でも、こんなの別に普通なこと。
睡眠時間なんてもっと少ない人いるし、
「直射日光を浴びる」ことは、陽が出てるんだから当然だと思ってたし、
学校通うの、もう4年目だし何を今さら・・。

だけど、こんなことが起こるとわかれば気をつけなくちゃいけない。
「もしも」を考える必要もある。
・・と言われた。

陽を避けるための日傘、こまめに水分を摂れるように必ず何か持って、
電車は座れるなら座り、
夏休みはしばらく休養が必要・・。
そして、もし、同じようなことが起きたときにひとりだったら危ないな・・と思うところをひとりで歩かない。
・・って、そんなところあまりないと思うけど


こういうことを言われたところで、結局、周りの理解がなければ意味がない。
私ひとりでどうにかなるものなら、ひとりでどうにかしたい。
誰も巻き込まずに済ませたい。
けど、そうはいかない・・。
例えば、家族の理解がなければ「休養」はできないから・・。
何もしないで家にいることは、「怠けている」「やる気がない」
そういうふうに見られてしまう。
「みんな大変なのは同じでしょう!??」

それは、
当たり前にできると思っているようなことでも、私にはできないことがある。
当たり前のように元気にしていても、本当はそうじゃないことがある。
ということを私が言えないからなんだけど

どうして言えないのか、ずっと考えてきて、
これだと思ったこと。
「私は相手に自分のダメなとこを見せられない・・。」

この場合は・・病気だろうがなんだろうが、完璧でありたいに反するのが、私のダメなとこ。
その完璧像というのは、「病気だからできない」はいけない、というもの。
親にそう言われてきたからというのもあるけど、「病気だからできない」をしないために本当はムリだと思ってもその気持ちを隠し続けて「がんばって」いる。
私の完璧像に反することは、相手にどう思われるかわからないと思っているから、相手に見せられない・・。
だから、「病気だからできない」自分を見せてはいけない。がんばっている完璧な姿しか相手に見せてはいけない・・。

完璧像に反するダメなところを見せるなんて、とても怖い。
negativeな病気の部分を受け容れてくれるかどうか?ということだから・・
私自身がよく思ってないことなのに、相手だってよく思うわけない!!
って、相手を初めから信じてないね・・

病気のことに関しては、お医者さんとか特定の人しか、本当に信じることも頼ることもできてないと思う
私が自分を守っているから・・。
「怖い」と思うのはそういうこと。結果的に自分を傷つけることにならないために、あえて信じるとか頼るとかしたくない。
でも、理解してほしい、受け容れてほしいなら、私が相手を信じることが必要。
信じなければ、理解されないし、受け容れてももらえない・・。
言葉ではわかるけど・・。信じるって簡単なことじゃない


もっと家族に病気のことを話さないといけない、自分で言えないといけない、
と、お医者さんから言われ続けているにもかかわらず、言えないしつらくなってよく泣くからか、
「おうちの人連れておいで」と言われてしまった
いくつになったんだ私は。子どもだ・・

誰にでも、どんなダメさをもさらけだす必要ないけど、
とにかく私には、お医者さんじゃなく家族に、このダメさを出す必要がある。
家族を信じることができるようになりたい。
居心地がいいのは家族のいる家でありたい。
もっと頼りたい・・

そのためには、まず私が完璧像を排除しなくちゃ
「病気があって薬を飲んでいたら、そうではない人のようにはいかないよ」
と言われたそのことを、認めないといけない・・。
「病気だからできない」は、逃げじゃないし、いけないことじゃない
もう完璧な姿でいようとするのはやめ!
・・ようと思う








2 Comments

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Unknown (moneharumama)
2006-07-15 00:18:31
頑張ろうと思う気持ちはとても大切だと思います。

でも決して怠けるているんじゃないよ。休むことが必要だからなんだと思うよ。

子供の障害のことで学んだのは、過保護ではなくて配慮をするということ。全ての人にそれぞれ配慮は必要なの。人それぞれ苦手なこと、不得意なことがあるのと、病気を持っていることは変わらないと思います。

手助けを求めることは、甘えを求めているのではなくて配慮をもとめているんだよ。
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moneharumamaさんへ☆ (kira)
2006-07-16 11:34:07
「過保護」ではなく「配慮」・・

moneharuちゃんmamaさんの考え、とてもやさしくてステキ

これを見て、私の望んでいることはそういうことだと思いました。



高校時代、「病気だからって特別なことは何もいりません。」って学校の先生にも言ってた親。

でも、そうは言っても「配慮」がなければ、みんなと一緒に同じことはできませんでした。

普通に学校生活を送ること、体育の授業に参加することも、修学旅行に行くことも・・。

周りの人たちの配慮があったからこそ、高校生活楽しく過ごして卒業できたと思っています



手助けを求めること・・

甘えじゃない、逃げじゃない、と私が思えれば人に素直に頼れそうです

ありがとう

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