kira kiraな☆しあわせ ~多発性海綿状血管奇形・心因性非てんかん性発作(PNES)と共に~

病気があるからこそ今いる私。楽しいことも悲しいことも、すべてがkira kiraの思い出になると信じて‥☆

高校3年生の私と病気。

2006-02-19 01:37:57 | 病気と障害と私の生活
ついに3年生。受験生になりました。
クラスは、ほとんど2年生のときとメンバーが変わらないけど新しいクラス 理系のクラスで、やたら女の子が少ない・・。
何でも話せる2年生からの友だちが一緒だったので、それは安心でした
いつもみんなで、お昼ごはんを食べるのに程よいくらいの、少人数も心地よかった☆
けど、別に数学や理科が得意でも好きでもなかったのに、
「看護に行くなら理系にした方がいい」
と言われて決めてしまったので、授業についていくだけでいっぱいいっぱい
数学は3つもあるし、音楽とかそういう楽しい授業を選択する余地もなく、苦痛な授業だけが毎日繰り返されました。

医療系受験専門の予備校にも4月からさっそく通い始め、週4日は学校が終わると予備校へ行っていました。
学校と予備校の予習や復習があっても、その生活は「受験のため」に、なんかがんばれた。
自分の気持ちをいつも「がんばらないと!!」って盛り上げていたし、それに身体もついてきていました。

でも、
「私は看護師を目指していいのかなぁ・・??」
そういう気持ちはいつもあって、それが大きくなると勉強なんてできなくなってしまう。
「大変だからやめた方がいいよー」と心配する友だちもいたり、
親はもちろんずっと反対していました。
私はそれを聞いていて、大変なのはどんな仕事も一緒。私にできないことなんてない。・・あってほしくない
そう思っていたので、頑固になっていました。
「絶対、私は看護師になってみせる☆」と。

病院でも将来の話はしていましたが、私がそう言うので、先生は婦長さん(←当時は)を呼んで話をさせてくれたり、看護師事情を聞かせてくれたり調べてくれていたり・・「協力的」でした。
協力的とは言っても、積極的にそれを勧めるようなことをしていたわけではありません。自分とよく向き合わなければいけないような言葉も付け加えていたし、現実を聞いて、「本当にそれが自分に務まるか?」考えさせられていたように思います。
「大学なら4年間あるから、3年制の学校よりゆとりを持って勉強できるし、病気があるからって入学できないことはない」
という婦長さんの話で、難しい看護系大学に進学するため、がんばろうという気持ちになっていましたが、でも先生に、「看護はとても体力のいる仕事。もし、せっかく学校を卒業して資格をとって就職しても、つらくて続けられないかもしれない。そうしたらもったいないし、調子が悪くなっちゃったら・・って病気をすごく気にするような仕事に就いたら楽しく仕事が出来ないよ」
と言われて、徐々に真剣に考えるようになっていきました。

ただ「やめた方がいい」とか、「諦めなさい」なんて言われていたら・・
そう言う気持ちもわかるけど、口を利くのも嫌になるだろうな。
そんなことを他人が、ぽいって言うのは簡単なこと。
だけど自分で納得して理解して、「あぁそうか。じゃあやめよう、諦めよう」と思わなければ、何の解決にもならないから。
「それはおかしいんじゃない?」「考え直したら??」ということは、本人がそれに気づかないと意味がない。
まさしく、私はその状況から抜けられずにいた。

自分で「何でやめた方がいい」と言われるか理解できないし、そう言われる自分の姿に気づいていなかったし、認めたくなかった・・。
私も、みんながやりたいことや夢を目指しているように、やりたいと思ったことに向かってがんばりたい☆ だってそうすることは当たり前でしょ?
自分で決めたことに、どうして他人から口出しされて諦めるとか、考え直すって、そんなのおかしい! そうするってことは、私は当たり前のようにそうしているみんなと何がちがうの??
と思っていました。


学校の定期試験は、いつの間にかものすごい成績を取るようになりました。
2年生の頃から急降下 でしたが、その勢いが止まることはなく、底まで落ちてしまうような感じ・・。
病気が分かる前、成績上位者を維持したい気持ちでがんばっていた自分はどこへ行ってしまったんだろう??
こんなにも出来なくなった自分が許せない。
そうやって過去の自分を見てしまうと、悲しくて悔しくて仕方なくなります。
だからって、誰を恨むこともできない。誰の責任でもないから・・。

いくらなんでもこんなことは一生に一度きりだと思うけど・・
テストを白紙で出したこともありました。0点 
もうどうしようもなく眠くて、疲れてしまって、身体がついてこなくなってしまって。テストを受ける気力がなくなりました。
すべてがどうでも良く感じた・・。
テストも、学校も、受験も。ノストラダムスの予言が今頃当たって地球が消えてしまえばいいのに!!・・みたいなそんな感じ(笑)

がんばりたい気持ちはあるのに、どうして私の身体はついてきてくれないの 
そうやってどんどん追い詰められて、毎日考えるようになったのは「現実逃避」。
どうやったらこの日常から逃げられるか。
その頃、自分の病気のことも、学校の人間関係も、将来のことも・・
何もかもに疲れ果ててしまい、とにかく消えてしまいたかった。
ただ少しの間何も考えず、誰ともかかわらず、ひたすら眠り続けたい 
と思っていました。

そんな希望は叶わず。ちょっと悪いことをしてしまったけど(でもビビリなので・・ホントにちょっと。)当然ながら普通に朝目覚めてしまい、1日学校を休んだだけで終わりました。
その行為がもたらしたことは、母や友だちを悲しませただけ。
でも、それくらいつらい状況にあったことを分かってほしかった。
それが言えれば、初めからこんなことはしなかった。
言えないから行動を起こしてしまう・・。


その苦しい気持ちは、病院の先生がよく理解してくれていたと思います。
がんばりたい気持ちも、そのとおりにできないことも、そんなことをしてしまうことも・・。
泣きながらいろんな思いをぶつけていました。
話を聴いてくれる看護師さんもいて、院内PHSにすぐつながるようにもしてくれていたので、病院には理解してくれる人がいた。。
だからまだ良かった。誰にも何も話せなかったら苦しくて窒息してしまう


秋になり、推薦入試が始まりました。
底についてしまいそうな成績でも、なんとかチャンスは一度でも多くあった方がいいと思って、ギリギリの成績だったけど、無理やり出願。
看護系大学はとても人気の分野でした。
そんな簡単に入れるところではないし、かなり高倍率。
それを承知で受けるのだから、人一倍の努力が必要です。
にもかかわらず、そんなときなのに、
まだ「これでいいのかなぁ・・??本当に看護の道を選んでしまっていいのかな」
なんてうにゃうにゃ悩んでいて、地に足が着かないまま・・。
勉強してるんだか、何をして時間がすぎているのか分からないような日が続き、
なぜか試験の1週間前になって、ほとんど食欲がなくなった。
笑っていても、本当に笑っていないと言われるようになった。
誰にあっても「大丈夫!?」と言われる。

そのときの私は、無意識に「現実逃避」に走っていたんだと思う。
それを先生は「自分を甘やかしているだけ」と、「自分で解決していくこと」と厳しく言って目覚めさせてくれました。

1週間しかないのに、どうこう言ってる場合じゃない!
私がやらなくちゃいけないことは、目の前の入試に向けて精一杯がんばること

この時期いろいろな人の言葉に励まされました。
大好きな看護師さんが「一人ひとりペースが違うから周りにあわせようとしちゃダメ。どんなに遠回りでも自分の決めた目標に向かってがんばるんだよ」と言ってくれたこと。
同じ病気の方からいただいた手紙に「この難関を乗り越えないと先に進めないよ!!」と書かれていたこと。

チカラが出る言葉とか、嬉しい気持ちになる言葉ほど心に残るものはないくらいに、
出逢った人からもらう言葉というのは宝物です


推薦はボロボロで 受験料を何万円も払ってもらって、すごく申し訳ない気持ちになった。私のもっている力を出し切ったと思えなかったから・・。
不完全燃焼だったと感じていました。

その後、予備校の冬期講習も始まり、ますます受験モードになっていったのですが、そうなるにつれて私の身体はついてこないと感じることが多くなっていきました。
みんながやってるようなことが出来ない。
それくらいやって当たり前、と言われることさえも・・。
予習と復習が追いつかなくなって、焦りました。
でも焦ったところで、どうにもならない・・。
親には「やる気が足りないから眠くもなる。意思の問題だ」
と言われ、必死でした。
夜12時まで起きているなんてとても苦痛だったくらいなので、
けれどそれでは予備校から帰ってやるべきことが終わらず、とにかく眠気が覚めるようなことを狂ったようにしていました。
真冬にもかかわらず部屋の窓を開けるのはまだ序の口、
コルクボードに刺さっていた画鋲で腕や足をひっかき目を覚ます。そして、睡眠はキッチンタイマーをセットして10分だけ。

やる気がない、意思が弱い→だから寝てしまう→受験に失敗する

そうなりたくなかったから・・
みんながしていることを、同じようにしてダメなら仕方ない。
受験は、とにかく競争する相手と同じスタートラインまで行かないと競走させてもらえない!!と思って、本当に必死だった。

一般受験で、看護系学部の大学を4校7回、看護以外の学部を1校受験して、ぜ~んぶ落ちちゃいました
当然の結果だなと思います。学力不足でした。
もっともっと努力が必要だった。
今でも先生に言われるけど、(病気の不利があっても)勉強では負けないように、一生懸命、勉強しなさい。という、人一倍の努力が必要なことを初めて実感したのがこのときでした。
もし奇跡が起こることがあるとしても、受からないな・・と思っていたのに、
受けてみないとわからないから、チャンスを逃すことになるのはいけない、
と全校に受験料を支払ってくれた親の気持ちは本当に嬉しかったし、感謝です 
結果としては、「努力が足りなかったな」だけど、やるだけやった という気持ちはあるから・・。
もう二度と、この頃と同じことは出来ないと思います。こんなに苦しいながらも一生懸命になれたことはないかもしれない


 
1校だけ受けた、看護学校でのこと・・。
2次試験の個人面接で、とてもいい感じに話が進んでいたと思っていたのに、
あれよあれよと病気の話に持っていかれて、ちくちく突っ込まれて、何と言っても言い返されて・・。
本当のことでも、言っちゃいけないときがあるんだな と学びました。自分に不利になることをあえて言うことはないと・・。
もちろん、前もって言わなければいけないことの方が多いのかもしれないけれど、
言うことによって、その上辺だけで伝わる言葉だけが印象に残ってしまって、中身の本当に伝えたい部分が伝わらなくなるという場合。
相手が色めがねを通してしか自分を見てくれなくなってしまうことがあるということ。
それは自分にとって不利になるけど、相手には何も悪いことないと思う。
相手に不利益にならないようにしていかなければいけないけど・・


そんな受験生活1年目を終えて、クラスの女子で唯一の浪人生になってしまった。
「やだなぁ」とかそんな心境ではなかった。
みんなが新しい生活にワクワクしてるのと同じように、私も新たな生活に期待していました 
リベンジ浪人しようか、全く別の分野に変更してしまおうか・・。
1年受験のことだけ考えていいから、もう一度ゆっくり考えられる。
ありがたいことです・・

予備校で慕っていた浪人の先輩(?)に、「浪人は現役と違った成長ができる」と言われ、後にそれを実感するときがくる・・

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