whitebleach's diary

旅と写真に憧れつつ

時代の変化の微妙な反映

2013-05-12 23:38:16 | 旅行

毎日顔を合わせている人よりも久々に会った人の方が、変わったなと感じることが多い。

街や風景も似たようなもので、そこに住んで毎日目にしている風景は、変化に気づきにくいように思う。

それでもその場に実際に立ってみれば、人の雰囲気や人の数、車の数など、町並みや風景は変わらなくても肌で感じる雰囲気の変化があるが、写真で見ると、かえって変化がわからなくなることもある。

一昨年、22年ぶりに訪れたネパールは、実にそんな感じだった。

人の活気や人の数、人と人との接し方など、ずいぶんと変わった風でもあったが、撮ってきた写真を眺めてみると、建物や生活の道具などの一目でそれとわかるようなものは案外昔と大差なく、それでも目を凝らしていると、時代の変化が些細な部分に写り込んでいるのが見えてきたりして、間違い探しのようでちょっとばかり面白かった。



古都バクタプールのトウマディー広場。
一見昔のままのように見えるが、寺院の塔の基礎の部分に男女が仲良く腰掛けていたり、家族連れがお出かけがてら写真を撮っていたり、手前では腰掛けた女性同士がゆっくりとおしゃべりを楽しんでいたりするあたりに、社会がオープンに、生活にゆとりが生まれている様子が感じられる。
また、このサイズでは読み取り難いが、写真左の中ほどには「ATM」と書かれた看板が見て取れるが、これは現代都市文明からのタイムスリップを求める旅人には、「うわー、こんなところまで…」と些か旅情をそがれる発見かもしれない。



バクタプールの薬屋の店先。
店構えも、薬種を石臼のような物で挽くのも、それを天秤ばかりで量るのも昔と同じ。
ただ、店先の兄ちゃんの風体が、長髪にソバージュにTシャツにジーンズ。
トピー帽(ネパール帽)や民族服は、いつの間にか中高年ファッションになっていた。



同じくバクタプール、ダルバール広場のネワール食堂。
一見、アジアの場末食堂の風景だけれど、昔はこんな屋上のオープンテラスのような店もなかったし、そもそも外食の食堂自体も少なかったように思う。
左側の大きなタンクは、水タンク。
「民主化」の結果、地方に産業も育たないまま、山から都市にどんどん人が集まっている。
が、大都市といってもカトマンズくらいしかなく、都市インフラが全く追いつかず、水も住居も恒常的に不足。
インフレは進み、22年前の1ヶ月分の家族の食費で、今買えるのはビスケット10枚。

豊かさは矛盾を孕むものだし、豊かになりたい気持ちもよくわかるけれど、貧しきことが貧しさであったところから、等しからざることが貧しさであるところに来てしまうことが、皆さんにとって本当に幸せだったのかな…などと問うてみたくなってしまうのは、豊かさに飽いた者の懐古趣味だろうか。

22年前、「政治にも、国にも、生活にも不満はあるけれど、結局は我々はそのなかで満足し、結果として幸福なんだよ」と言っていた現地の知人は、今でもまた同じことを言うだろうか。

残念ながら、聞きそびれた。


@Bhaktapur, Nepal


Leitz Elmar f=3,5cm 1:3,5 (1938), Leica IIIa (1936) : #1
Ricoh GR Lens f=28mm 1:2.8, Ricoh GR1 (1996) : #2, #3

営みのスケール

2013-04-21 14:48:57 | 旅行


人の営みの、何と小さいことか。

土地がどうの、島がどうの、聖なる岩やら山やらがどうの。

先人が血を流して引いた線が、この風景のどこかに残っているとでも言うのか。


@Petra, Jordan

Mamiya G 1:4 f=50mmL (1989), New Mamiya 6 MF

現代は常に現代

2013-04-21 13:08:21 | 旅行


息を切らせて登った崖の上に、民族服の男性がいた。

断崖の踊り場のように作られた磨崖墓を見ようとここまで登ってくる観光客を相手に、彼は地面に布一枚を広げ、小さな土産物を並べていた。

崖の下の土産物屋の連中と異なり客引きらしいこともせず、雄大な見晴らしのなか、暇そうに、つまらなそうに、きっと今日も昨日と変わらない時間を潰し、明日もまた今日と変わらない時間を潰すのであろうと思われるような動きで、踊り場のこちらからあちらへ行って佇み、またあちらからこちらに戻っては佇んでいた。

ひとしきり往還を繰り返し、動物園の熊あたりであれば退屈して寝に入るであろう頃、彼は断崖の縁に移動し、やおら携帯電話で話し始めた。

悠久の時を超えた風景であっても、それもまた現代の風景なのであった。


@Petra, Jordan

Mamiya G 1:4 f=50mmL (1989), New Mamiya 6 MF

旧市街の光景

2013-04-20 21:37:45 | 旅行


エルサレム旧市街・ムスリム地区のメインストリート。
軍が警察活動を行っているのだろうか、2人のイスラエル軍人が、脇に立ち通りを眺めていた。
通行規制用のフェンスで小さく自らを囲うのは、アラブ世界との間に感覚的な「結界」を設け、不必要に存在感を意識させないようにするためだろうか。

旧市街を含む東エルサレムは、イスラエルが「実効支配」しているに過ぎないのであり、不安定な安定下にあることを感じた。


@Jerusalem, Israel/Palestine

Mamiya G 1:4 f=50mmL (1989), New Mamiya 6 MF

陰鬱な男達

2013-04-20 20:30:41 | 旅行


旧市街の路地にあったマクハー(=カフェ)で休んだ。

入る時にちょっと逡巡したのだが、とにかく暗い。
採光のこともあるけれど、人がどうにも明るくない。

知り合い同士で話している様子もあまりなく、どちらかというと、やることながくて手持ち無沙汰のあまり来てしまった、うらぶれた男達の溜り場という感じ。

これまでに訪ねたよその街、よその国では、開けたところではカップルや女性同士でシーシャ(水タバコ)とお茶と会話を楽しんでいたり、田舎では男性客オンリーになることが多くても、そこは地域の社交場のように会話がなされ、通りがかりの旅行者にも話しかけてきたりすることが多かった。
百歩譲って、水タバコを加えたまま微動だにせず、生きているのか死んでいるのと眺めていると、しばらく経って煙を吐いて、やっと生きていることが証明されるような、そんなお年寄りの日中の居場所のようになっている場所でも、その表情は些か哲学的な趣こそあれ、暗さを感じさせるようなものではなかった。

ミントティーとともに出てきた水タバコも、「タンバック」などと呼ばれる素のままのキツいタバコの葉に炭火を直接乗せたもので、普段喫煙しない身には、水を通してもクラクラする。
周囲の客を見回しても皆同じものを吸っており、どうやら他のカフェでは普通置いている、フレーバーのついた葉はないらしい。

顔をしかめてすぐに席を立つのも癪なので、我慢して他人並みのところまで吸ったら、店を出る頃にはフラフラと足取りがおぼつかなくなっており、どこかでフレッシュジュースでも飲んで休みたいと思っても既にミントティーでお腹はタポタポ、明るさに欠ける街を明るさに欠ける表情で、ゆっくりと歩くしかなかった。


@Jerusalem, Israel/Palestine

Mamiya G 1:4 f=50mmL (1989), New Mamiya 6 MF