whitebleach's diary

旅と写真に憧れつつ

記憶が彷徨う道

2013-05-26 10:25:04 | 散歩

駅の南北を繋ぐ地下道。

路面はタイル、壁面は化粧板に覆われた小ぎれいな姿で、道行く人々もきっとそれが当たり前と思っているだろう。

子供の頃、左側の壁際にはいつも白装束の傷痍軍人が二人座って、一人はアコーディオンを弾き、一人はハーモニカを吹いていた。

いつの間にか、傷痍軍人はいなくなり、その前を通る私の手を引いていた祖母も他界し、駅向こうのデパートからは大食堂や屋上遊園地が消え、駅のこちら側のスロープには手すりが取り付けられていた。

時は倦まずに流れ、人の記憶はいよいよ刹那的・属人的になる。

現在の前に、現在に繋がるどのような時代があり、それがどのような光景であったか、それを記憶しているのはもう、人よりも街でしかないのかもしれない。



<写真をクリックすると拡大します>


@Fujisawa, Japan

Ricoh GR Lens f=5.9mm 1:2.4, Ricoh GR Digital II (2007)

ペットに逝かれるということ

2013-05-21 03:00:39 | 日記
今日、友達の子供が家族ぐるみで愛していたハムスターが急逝した。

享年は、人間にすると113歳くらい。
歳をとって伸びが速くなってきた前歯のカットに通っていた病院の先生もカルテの生年月日を見てビックリの長寿、願わくは、幸せに天寿を全うしたのだと思いたい。

人間の感情移入であろうことなど百も承知で表現をすると、私は彼ほど人を信頼し、人を愛し、人からも愛されたハムスターを見たことがない。
生後1ヶ月で引き取られてから亡くなるまで、甘咬みを含めても人間を一度たりとも咬んだことがなく、ケージから出たければ飼い主が部屋にいることを見計らい、後足で立って両手でケージのドアをつかみ、「開けてー」と言わんばかりにカタカタとドアを鳴らして意思表示。人間にキスをせがむことが日課で、朝夕飼い主の姿を見ると気配を察して走り寄り、気が向くと100回でも200回でも、飼い主が遅刻しようがお構いなしにペロペロと唇を舐め続けていた。
彼が人間をどこまで認識できていたのか、人間の身にはもちろん判りようもないのではあるが、エキゾチック専門の獣医にも「君の爪の垢を煎じて飲ませたい子がいっぱいいるよ」と半ば呆れられるほど、人に愛され人を愛するように見える親密なコミュニケーションが、彼と飼い主一家との間にはあった。

亡くなる前日もいつもと変わらぬ元気さで、飼い主や家族のの身体によじ登って「肩乗りハムちゃん」になり、横を向いた人間の唇を両手で押さえてペロペロと何度もキスをする習慣を続けていたとのことだし、亡くなった日の朝に与えたおやつもケージのどこにも残っておらず、食欲も最後まで旺盛であったらしい。

若い頃心配だった緩めのウンチも顕微鏡で腸内バランスを確認しながら治し、歳を取り始めてきてからは、ハムスターの弱点になりがちな腸内環境を整えようとビオフェルミン末を舐めさせたり、消化吸収の衰えを補おうと生ローヤルゼリーを舐めさせたりと食事に+αも+βも工夫をし、また運動不足からストレスや体力低下にならないよう、遊びたいとせがまれれば3時間でも5時間でも、自分から戻るまでケージの外で遊ばせたり、歯のカットと定期健診を兼ねてエキゾチック専門の病院に隔週で連れて行ったりと、おそらく通常の家庭でできることはほぼ全て、してやることはできていたのだろうと思う。

それでもなお、人間の都合で本来の生息環境とは異なる環境に居てもらっているという後ろめたさからか、できることはすべてやれたのか、人間と暮らしてこの子はより幸せになれたのか、楽しかった思い出とともに悔やみ切れぬ悔恨の念が、近親の人間を見送る時をも凌ぐ強さで、走馬灯のように回っています。



時代の変化の微妙な反映

2013-05-12 23:38:16 | 旅行

毎日顔を合わせている人よりも久々に会った人の方が、変わったなと感じることが多い。

街や風景も似たようなもので、そこに住んで毎日目にしている風景は、変化に気づきにくいように思う。

それでもその場に実際に立ってみれば、人の雰囲気や人の数、車の数など、町並みや風景は変わらなくても肌で感じる雰囲気の変化があるが、写真で見ると、かえって変化がわからなくなることもある。

一昨年、22年ぶりに訪れたネパールは、実にそんな感じだった。

人の活気や人の数、人と人との接し方など、ずいぶんと変わった風でもあったが、撮ってきた写真を眺めてみると、建物や生活の道具などの一目でそれとわかるようなものは案外昔と大差なく、それでも目を凝らしていると、時代の変化が些細な部分に写り込んでいるのが見えてきたりして、間違い探しのようでちょっとばかり面白かった。



古都バクタプールのトウマディー広場。
一見昔のままのように見えるが、寺院の塔の基礎の部分に男女が仲良く腰掛けていたり、家族連れがお出かけがてら写真を撮っていたり、手前では腰掛けた女性同士がゆっくりとおしゃべりを楽しんでいたりするあたりに、社会がオープンに、生活にゆとりが生まれている様子が感じられる。
また、このサイズでは読み取り難いが、写真左の中ほどには「ATM」と書かれた看板が見て取れるが、これは現代都市文明からのタイムスリップを求める旅人には、「うわー、こんなところまで…」と些か旅情をそがれる発見かもしれない。



バクタプールの薬屋の店先。
店構えも、薬種を石臼のような物で挽くのも、それを天秤ばかりで量るのも昔と同じ。
ただ、店先の兄ちゃんの風体が、長髪にソバージュにTシャツにジーンズ。
トピー帽(ネパール帽)や民族服は、いつの間にか中高年ファッションになっていた。



同じくバクタプール、ダルバール広場のネワール食堂。
一見、アジアの場末食堂の風景だけれど、昔はこんな屋上のオープンテラスのような店もなかったし、そもそも外食の食堂自体も少なかったように思う。
左側の大きなタンクは、水タンク。
「民主化」の結果、地方に産業も育たないまま、山から都市にどんどん人が集まっている。
が、大都市といってもカトマンズくらいしかなく、都市インフラが全く追いつかず、水も住居も恒常的に不足。
インフレは進み、22年前の1ヶ月分の家族の食費で、今買えるのはビスケット10枚。

豊かさは矛盾を孕むものだし、豊かになりたい気持ちもよくわかるけれど、貧しきことが貧しさであったところから、等しからざることが貧しさであるところに来てしまうことが、皆さんにとって本当に幸せだったのかな…などと問うてみたくなってしまうのは、豊かさに飽いた者の懐古趣味だろうか。

22年前、「政治にも、国にも、生活にも不満はあるけれど、結局は我々はそのなかで満足し、結果として幸福なんだよ」と言っていた現地の知人は、今でもまた同じことを言うだろうか。

残念ながら、聞きそびれた。


@Bhaktapur, Nepal


Leitz Elmar f=3,5cm 1:3,5 (1938), Leica IIIa (1936) : #1
Ricoh GR Lens f=28mm 1:2.8, Ricoh GR1 (1996) : #2, #3