毎日顔を合わせている人よりも久々に会った人の方が、変わったなと感じることが多い。
街や風景も似たようなもので、そこに住んで毎日目にしている風景は、変化に気づきにくいように思う。
それでもその場に実際に立ってみれば、人の雰囲気や人の数、車の数など、町並みや風景は変わらなくても肌で感じる雰囲気の変化があるが、写真で見ると、かえって変化がわからなくなることもある。
一昨年、22年ぶりに訪れたネパールは、実にそんな感じだった。
人の活気や人の数、人と人との接し方など、ずいぶんと変わった風でもあったが、撮ってきた写真を眺めてみると、建物や生活の道具などの一目でそれとわかるようなものは案外昔と大差なく、それでも目を凝らしていると、時代の変化が些細な部分に写り込んでいるのが見えてきたりして、間違い探しのようでちょっとばかり面白かった。
古都バクタプールのトウマディー広場。
一見昔のままのように見えるが、寺院の塔の基礎の部分に男女が仲良く腰掛けていたり、家族連れがお出かけがてら写真を撮っていたり、手前では腰掛けた女性同士がゆっくりとおしゃべりを楽しんでいたりするあたりに、社会がオープンに、生活にゆとりが生まれている様子が感じられる。
また、このサイズでは読み取り難いが、写真左の中ほどには「ATM」と書かれた看板が見て取れるが、これは現代都市文明からのタイムスリップを求める旅人には、「うわー、こんなところまで…」と些か旅情をそがれる発見かもしれない。
バクタプールの薬屋の店先。
店構えも、薬種を石臼のような物で挽くのも、それを天秤ばかりで量るのも昔と同じ。
ただ、店先の兄ちゃんの風体が、長髪にソバージュにTシャツにジーンズ。
トピー帽(ネパール帽)や民族服は、いつの間にか中高年ファッションになっていた。
同じくバクタプール、ダルバール広場のネワール食堂。
一見、アジアの場末食堂の風景だけれど、昔はこんな屋上のオープンテラスのような店もなかったし、そもそも外食の食堂自体も少なかったように思う。
左側の大きなタンクは、水タンク。
「民主化」の結果、地方に産業も育たないまま、山から都市にどんどん人が集まっている。
が、大都市といってもカトマンズくらいしかなく、都市インフラが全く追いつかず、水も住居も恒常的に不足。
インフレは進み、22年前の1ヶ月分の家族の食費で、今買えるのはビスケット10枚。
豊かさは矛盾を孕むものだし、豊かになりたい気持ちもよくわかるけれど、貧しきことが貧しさであったところから、等しからざることが貧しさであるところに来てしまうことが、皆さんにとって本当に幸せだったのかな…などと問うてみたくなってしまうのは、豊かさに飽いた者の懐古趣味だろうか。
22年前、「政治にも、国にも、生活にも不満はあるけれど、結局は我々はそのなかで満足し、結果として幸福なんだよ」と言っていた現地の知人は、今でもまた同じことを言うだろうか。
残念ながら、聞きそびれた。
@Bhaktapur, Nepal
Leitz Elmar f=3,5cm 1:3,5 (1938), Leica IIIa (1936) : #1
Ricoh GR Lens f=28mm 1:2.8, Ricoh GR1 (1996) : #2, #3