whitebleach's diary

旅と写真に憧れつつ

日の出の海岸

2012-11-26 01:08:35 | 旅行

ソウルから特急セマウル号の夜行に乗り、日本海(かの地では「東海」か)側の日の出を見に行った。
真東に進めば2~3時間で着きそうな距離を、路線の関係で韓国中部まで一旦大きく南下し、東進して海岸に出た後に、海岸線を北上する。
このため、海岸から一番近い目的の駅には、日の出の直前に着くことができるのだが、韓国ではKTXの開通と相前後して寝台列車が全廃されており、通常の特急車両のリクライニングを目いっぱい倒して眠るしかない。
寝台料金を節約する旅客が昔から多かったのか、普通車でも日本のものより背もたれを深めに倒せるシートに身を委ね、車内アナウンスで唯一聞き取らなければならない駅名(唯一聴解できる単語でもあるが)を聞き漏らさないよう、眠りの浅い車中泊を過ごした。

幸いにして、目的の駅を寝過ごすことにはならなかった。
車内にまばらに眠っていた他の旅客の、目見当で9割方がこの駅で降り、私も彼らとともにプラットフォームに足を下ろし、ひとしきり伸びをしてからプラットフォーム直結の階段を下りて、そのまま波打ち際まで歩いていった。

乗り合っていた人々は、一足先に砂浜で思い思いに日の出を待っていた。
やはり、酔狂をするのはどこの国でも若者が多く、大宗を占めるのは10代とおぼしき韓国人のカップル。
「健康ウォーキング」のような格好をした単独行のおばさんがいるのも、「やりたいことをやって何が悪い?」的な、この国のおばさんパワーを感じさせて新鮮である。
そして、韓国ドラマにはまった中高年の日本人夫婦も一組。
やがて日の出が、このうえなく平穏な一日の始まりを告げた。


湘南海岸沿いを走る江ノ電でさえ、海岸と町にはもう少し距離がある。
しかしここでは、海岸と線路は全くの隣り合わせで走っており、浜から上がればすぐに線路、線路を越えればもう何の変哲もない田舎町の駅前の風景があった。
しばし日の出を鑑賞し、朝の空気を満喫した人々は、やがて三々五々記念撮影などをしながら、駅舎を抜け町の方角へと消えて行った。


街が起き出すには未だ早く、ソウルに戻るにもそうおいそれとは電車が来そうにない。
列車の来ない線路でお互いを撮り合っていた最後のカップルとともに駅舎を抜け、駅前のセブンイレブンで、インスタントコーヒーとパンの朝食を取った。
韓国のファストフードは、都市部では近年劇的に進歩しており、香りの高いコーヒーも焼き立てベーカリーのパンも、ある程度までの都市ではそれなりに見かけるようになっている。が、そこからさらに足を踏み出すと、いまだ甘いインスタントコーヒーが幅を利かせていた。


朝食後、タクシーを拾って訪れた公園に、捕獲された南侵潜水艦が展示されていた。
潜水艦の内部は狭く、素人目にも旧式な計器がところ狭しと並んでいた。
北朝鮮の工作員達は、本気でこんな潜水艦に乗り組み、さっき通り過ぎたような浜の沖合いから、潜入工作を試みていたのだろうか。
交戦中ならまだしも、いまどきこれでどれだけのことが出来ると考えていたのだろう。

分断国家の現実を見た…などという感覚の遥か以前に、「あほらしい…」というのが正直なところであった。




@Jeongdongjin, Korea

Leitz Elmar f=5cm 1:3,5 (1939), Leica IIIa (1936)

都市の水場

2012-11-09 14:43:47 | 旅行

「もっと水の整備をしろと、政府には何度も言っているんだ。」

20年ぶりに会った知人は、ネパール国民会議派の秘書になっていた。

ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)は武装闘争の末に政権を奪取したものの、闘争中の自らの発電所破壊工作の結果である恒常的な停電や、農村部からの移住促進による都市人口の急速な膨張と都市水資源の不足など、インフラ面での多くの課題を生み出していた。

都市計画が無いに等しいまま、経済が自由化され、人口が膨張した結果、溢れた車で道路は大渋滞、昔ながらの細い路地は車が入れれば良い方で、すれ違うことなど適うべくもない。
その一方で、かつては街の要所要所にあった共同の水場や貯水池が潰されており、火災が一旦発生したら、消防車は入れないわ(そもそもろくな台数も配備されていないが)、近くから消火用水は取れないわで、都市防災上危険極まりない。

カトマンズから隣町バクタプールへの道すがら、彼は何度もそう語気を強めていた。

カトマンズとバクタプールは、そもそもは別の都市国家であったが、統一国家になってからはカトマンズが首都として発展し、そのぶん、バクタプールには昔ながらの街並みがより残ることとなった。

カトマンズにもバクタプールにも、街の所々に公共の水場が設けられ、壁面に並ぶ美しい彫刻が施された吐水口からは、掛け流しの水が絶えることなく流れ出ている。


人々は、通りを歩いて喉が渇けばちょっと喉を潤しに立ち寄り、あるいは水道の引かれていない家の住人であれば、ポリ容器などを片手にちょっと水を汲みに来る。

飲料水としてだけではない。家庭で家事を担う者は、食事が終われば食器を洗いに、汚れ物があれば洗濯をしにやって来る。
昔はカースト制度の下で先祖代々の洗濯屋が一日中大量の洗濯物を洗う光景も見られたが、社会が多少は変わったのか、たまたまだったのかはわからないが、職業的に洗濯をするらしき人は今回は見かけることがなかった。


飲み水であり、日常用水でもあるあたりは、何となく日本の昔の井戸端のようである。
だが、ここではもう一役担っていて、人々は水を浴びにもやってくる。
水浴している姿を見るのは何故か女性が多いのだが、彼女達はちょうど湯上りのバスタオルのように身体にサリーを巻いたまま、水を浴びて身体を洗い、黒く長い髪を洗っている。

なるほど水場は往年の都市インフラの要であり、歴代の為政者がその構築に力を注ぎ、またその維持に腐心したことも頷ける。
水場には往々にして神像がある。
人々は神を通して水の有難さを常に認識し、神のいる場として大切にしてきたのだろう。
そしてその神様には、今でも子供たちが学校帰りに水を掛けて差しあげていた。


井戸端であり共同浴場でもある、そんな場所には、自然と気の置けない会話が飛び交う。
近年は農村から流入した、元来の地域コミュニティと交わりえない人々も増えているようだが、それでもやはり会話があり、笑顔がある場所というのは、良いものである。




@Bhaktapur, Nepal


Leitz Elmar f=3,5cm 1:3,5 (1938), Leica IIIa (1936) : #2, #3
Ricoh GR Lens f=28mm 1:2.8, Ricoh GR1 (1996) : #1, #4