「おい、カメラ持ってんぞ・・・」
少年達は互いにひそひそと話し始め、いつまでたってもプレーが再開しない。
自宅の近所を散歩の途中、最近にはちょっとばかり珍しく空き地で草野球をやっている少年達を見かけ、持っていたコンパクトカメラを手にプレーを待っていた。
『けったくそ悪いガキ共だな。ガキのうちから自意識つっぱらかすことばかり覚えてないで、ガキはガキらしくさっさと野球しろよ…』
どうやら現代日本のリアルなガキは、私の思い描く純朴な子供らしさなどとうに持ち合わせなくなっていたようだ。
ガキ共にしてみればこちらが胡散臭いジジイなのかもしれないと頭の片隅では理解しつつも、世知にばかり長けたような、おおらかさのない世の中になってしまった日本に心の中で舌打ちをし、ガキ共に見切りをつけて再び歩き始めた。
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それにひきかえ、南の島・フィジーの子供たちは、思い返すだに実に屈託がなかった。
何よりもまず、皆とても笑顔が良い。
照れや恥じらいも少しあるけれど、男の子も、女の子も、珍しい日本人への好奇心や、呼びかけて答えてもらえた嬉しさには勝てない。大きい子は小さい子を抱いてまで、ぞろぞろと人の後ろを付いて歩く。芯から人懐こいのである。
男の子の方がどちらかといえばシャイで、何をするでもなく付いて歩くけど、あとはちょっとだけ思い切って、時折遠慮がちに質問してみるのが精一杯。
女の子は積極的で、元気いっぱい。
カメラを向けると「イェー!」と大合唱。浜辺を歩けば、棒切れを拾って砂のキャンバスにお絵かき遊び。自分の名前を書いて棒を渡し、こちらの名前を書けとせがむ。
そういえば、木登りしていたのも女の子ばかりだったっけ。
感心するのは、男の子グループも女の子グループも、様々な年齢が交じり合い、皆とても仲が良いこと。そして、年上の子は年下の子を、年下の子は更に年下の子を、全く自然なこととして良く面倒を見ていること。
成長著しい小中学生くらいの年齢では、低学年と高学年では興味も関心もおよそ異なってくる筈だろうに、面倒を見る方も何かを押し付ける風もなく、面倒を見てもらう方も何か反抗する風でもない。
父母や祖父母の話のなかでしか見られなくなっていた子供コミュニティの原風景が、ここではまだしっかりと、日常の一部をなしていた。
ゲームでもなく、ケータイでもなく、遊ぶことの楽しさを人と人との期待と役割の関係性に見出している子供達を見て、安堵するような懐かしさと嬉しさを覚えた。
@Fiji Islands
Nikon Ai Nikkor 35mm f/1.4S (1982), Nikon F4s: #1
Nikon Ai Nikkor 24mm f/2S (1981), Nikon F4s: #2, #3, #4, #5