無名のダートトラックライダー、エディ.ローソン
カワサキがAMAスーパーバイクにワークス体制で挑んだのは79年。シーズン前半にZ1R、後半にZ1000MK2をベースとしたレーサーを使用していた。シーズン途中で当時ホボールドウィンの負傷から急遽フレディスペンサーをエースに起用するがシリーズチャンピオンはヨシムラスズキに奪われてしまう。80年にエディローソンが加入。Tカー使用のレギュレーション違反さえなければチャンピオンという僅差のランキング2位に終わる。81年がありよく82年にはZ1000Jベースとした市販レーサー、Z1000S1が生産される。外観は同時期に生産された市販車でるローソンレプリカことZ1000Rに似たイメージだが当然中身は別物。レギュレーション上スペシャルパーツを使用していいブレーキ、サスペンション、ホイールはもちろんワークス仕様エンジンも搭載されている。ノーマルのシルエットが残っていれば良いとされるレギュレーションだったため、テールレンズやリアフェンダーなどは単なる飾り、ボルト止めなのである。なんと最高出力は150~160PSをマークしていたといわれる。
この年ローソンは2年連続チャンピオンに輝き以後世界GPへ活躍の場を移していく。82年を最後にレギュレーションは750㏄に変更。スーパーバイクの第一次黄金時代に幕が下りる。無名のダートトラックライダー、エディローソンを世界的ライダーに押し上げ、タイトルも獲得した。カワサキの狙いは大成功に終わったといっていい、間違いなく歴史に残る貴重はレーシングマシンである。
飾り?
シルエットが純正風だったらOKのレギュレーションだったため2バルブラバーマウント。
KERKERレーシングマフラー
UPタイプに変更済み。純正を加工したものか当時の社外品なのは不明。
ただ間違いなく当時物で希少なマフラーであることに間違いはない。
続く