JR岐阜駅前に鎮座する黄金の信長公
岐阜市において開催された「ぎふ信長まつり」を見物に出かけ、先ずは信長の足跡を尋ねてみた

ここは崇福寺、永禄10年(1567)9月、信長公美濃に入るや、禁制を出して当寺を菩提所として特別保護をした、天正10年(1582)信長、信忠親子が本能寺の変において明智光秀に討たれ、側室小倉なべ氏が信長公の遺品等を当寺に葬った

本堂裏に信長、信忠父子の廟所があり、石碑に父子の法名を左右に並べて刻んである

長良川を挟んで金華山、山頂には岐阜城がそびえる、永禄10年、齋藤道三の孫である龍興を倒した織田信長公が手に入れ、稲葉山城から岐阜城へと改名し、後に安土城が建設されるまでの約9年間、天下統一の拠点とした

長良川鵜飼船が時を待っている、今月15日が鵜飼舟の今年最終日、つい口ずさむ♪水にきらめくかがり火は誰に想いを燃やすやら~♪

岐阜公園には信長公居館跡があり遺跡は信長の野望に燃えた日々の証として、全容を解明すべく発掘作業が今も行われている

時代行列パレードが始まった、先頭は火縄銃鉄砲隊が火縄銃の一斉実演で爆音が響いた

主役の信長さん、女信長だった、以前テレビドラマで女信長が有ったがそれにあやかったかな?

その後、蘭丸、道三、濃姫、お市の方、一豊夫婦、等など続き、大勢の観客から拍手が湧いて時代絵巻を飾った


駅前に戻ったら信長公像の前でものまねの歌が行われていて、ひと時のタイムスリップも現実に戻ってしまった、他にも沢山の催しがあったが疲れも出て、十分満足して帰途に着いた
岐阜市において開催された「ぎふ信長まつり」を見物に出かけ、先ずは信長の足跡を尋ねてみた

ここは崇福寺、永禄10年(1567)9月、信長公美濃に入るや、禁制を出して当寺を菩提所として特別保護をした、天正10年(1582)信長、信忠親子が本能寺の変において明智光秀に討たれ、側室小倉なべ氏が信長公の遺品等を当寺に葬った

本堂裏に信長、信忠父子の廟所があり、石碑に父子の法名を左右に並べて刻んである

長良川を挟んで金華山、山頂には岐阜城がそびえる、永禄10年、齋藤道三の孫である龍興を倒した織田信長公が手に入れ、稲葉山城から岐阜城へと改名し、後に安土城が建設されるまでの約9年間、天下統一の拠点とした

長良川鵜飼船が時を待っている、今月15日が鵜飼舟の今年最終日、つい口ずさむ♪水にきらめくかがり火は誰に想いを燃やすやら~♪

岐阜公園には信長公居館跡があり遺跡は信長の野望に燃えた日々の証として、全容を解明すべく発掘作業が今も行われている

時代行列パレードが始まった、先頭は火縄銃鉄砲隊が火縄銃の一斉実演で爆音が響いた

主役の信長さん、女信長だった、以前テレビドラマで女信長が有ったがそれにあやかったかな?

その後、蘭丸、道三、濃姫、お市の方、一豊夫婦、等など続き、大勢の観客から拍手が湧いて時代絵巻を飾った


駅前に戻ったら信長公像の前でものまねの歌が行われていて、ひと時のタイムスリップも現実に戻ってしまった、他にも沢山の催しがあったが疲れも出て、十分満足して帰途に着いた