だから京大は「ミスコン」を絶対に開催しない…「女子アナの登竜門」を京大男子が心底嫌がる意外なワケいま求められているのは「京大思考」である_鈴木 洋仁氏、伊藤 滉一郎氏記事抜粋<「変人」が多いといわれる京都大学出身者の実態とはどのようなものか。新著『京大思考』(宝島社新書)を書いた神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「『ミス京大』をめぐる炎上は、京大のカラーを象徴している」という。学歴研究家の「じゅそうけん」こと伊藤滉一郎さんと語り合った
東京一極集中が加速しても「京大ブランド」は健在
【鈴木洋仁(以下鈴木)】じゅそうけんさんは早稲田大学出身ですよね。私の義理の父も早稲田出身なんですが、京大の校風に「シンパシー」を抱いている人が多いように感じます。
一方で京大出身者からすると、そもそも他の大学が目に入らない。偉そうに聞こえますが、本当に社会性がないから「半径5メートルの世界」で完結しちゃっている。わが家もそうですけど、京大同士の結婚も多いんですよ。
【じゅそうけん・伊藤滉一郎(以下じゅそうけん)】関東は国公立も私立もたくさんの同偏差値帯の大学があるわけですが、関西で京大は頭一つ抜けている。国立でも「京都大>大阪大>神戸大」の序列がはっきりしているように感じます。
【鈴木】私の京大の同級生がいま大阪大学の准教授をしてるんですけど、学生が「序列」を意識しているのをめちゃくちゃ感じるそうです。
ちょっとでも京大の時の思い出話をしようものなら、すごい嫌がるそうです。「先生はいいよね」みたいな。
【じゅそうけん】たしかに、京大には他の旧帝国大学とは別格のブランド力があると思っています。東京一極集中が加速する中でもなお、「東大京大」と並び称されている。東大に準ずるのは一橋でも東京科学大(旧・東京工業大)でもなく京大だといまだに言われているじゃないですか。
しかも都内からもかなりの人数が進学するんですよ。都立国立高校や都立西高校などは特に多く、例年20人ぐらい京大に進学します。
よくも悪くも「自意識過剰」な人たち
【鈴木】京都大学という大学自体のブランド力も大きいですが、京都という土地への憧れも東京からの進学者にとってはすごく大きいと思います。
あとは、17、8歳の時点で地元や東京ではなく、あえて京都に行くという判断をする。つまり、よくも悪くも自意識が過剰なのかもしれません。入る時点ではですが。
でも、入っちゃうと別に自分って特別じゃないんだっていう、ある種、去勢されていく感覚があるんですよ。
周りがみんな変わっているから、「変わっている」と指摘するほうが恥ずかしくて、あまり言わなくなってします。そして、どんどん社会性を失っていくという……。
みんな自分のことにしか関心がないから、同級生の就職先とかも本当に知らないんですよね。
就職実績は慶應のほうが良い?
【じゅそうけん】すごく面白いと思うのが、日本トップクラスの学力を入学時点で持っているにもかかわらず、実は就職先はめちゃくちゃ強いというわけではないんですよね。おそらく慶應のほうがちょっといいんですよ。
特にいわゆる「就職難易度」で最高峰といわれる外資系の投資銀行やコンサルティング会社には、京大からあまり行かないと思います
JR西日本とか関西電力など手堅いJTC(伝統的な日本企業)は多いですけど、やっぱり資本主義的な「レース」から遠いところにいるというか。
【鈴木】大阪市役所とか関西の地方公務員も多いです。資本主義を嫌っているムードもあるからなぁ。ガツガツするのがダサいみたいな。
【じゅそうけん】最近、京大界隈で、「鴨川芸」という言葉があるんですよ。
【鈴木】一体なんですか……それは。
【じゅそうけん】世間でイメージされる「いかにもな京大生」を演じている人たちっているじゃないですか。
あえてインターンに行かず就職活動のレールに乗らないとか、留年を重ねていることをネットで自慢するみたいな。さながら「京大芸」ともいえるそれを、京大生がよくたむろしている鴨川にちなんで「鴨川芸」と言って、意識の高い「就活界隈」から揶揄されていたりするんですよ。
私は、Xで「就活界隈」の投稿もチェックしてるんですが、一部の意識が高い「“慶應的な価値観”で生きている京大生」といかにもな「“鴨川系”京大生」が対立しているのが散見されますね。
「ガツガツしている人」は東大を目指す
【鈴木】なるほど、鴨川芸……。それはいい言葉ですね。さすがのネーミングセンス(笑)
昔から鴨川でたむろしている京大生は揶揄される存在でありましたが、いまは「鴨川芸」という言葉がちゃんとあるんですね。
「ニワトリが先か、卵が先か」ですけど、受験勉強自体がすごく好きなガツガツしている人はやっぱり東大を目指すんですよ。
京大に入るのは、東大じゃなくて「あえて」みたいなことを考えるか、関西の学生であれば「東京に行くのが面倒くさい」という人が多いように感じます。
【じゅそうけん】入試問題の性質もあるかもしれません。東大は歴史的に官僚養成機関としての側面があったので、入試でも「処理能力」が求められます。制限時間も厳しいし、それこそ名門塾のサピックス、鉄緑会ルートの人が有利になっている。
一方、京大は「思考力」が求められる側面が強いから、本当に地頭のいい「田舎の神童」みたいな人が受かったりします。
明治時代の文章を出題、途中式のメモ書きも採点対象
【鈴木】東大には「処理能力」は劣るんだけど、京大入試だったら解ける、逆に京大入試しか解けないみたいな人が多いので、すごく独特ですよね。話があんまり通じないというか、自分が心から腹落ちできないと納得しない。
でも、東大型の入試をやっていたら、大学側が求める生徒はとれないのかもしれないですね。
ちょっと前までは、「擬古文」という、明治期の文章を出題していました。あれは典型で、得意不得意が激しい
また、数学では下書きまで採点しているといわれています。「計算用ページ」や「余白ページ」に書いた計算式なども見るから、最終的な答えが間違っていても、考え方が合っていたらプラスもするという採点方法です。
「処理能力」が早い人は東大にいってしまうから、残った人の中からどういう人をとるか、みたいな部分はあると思いますね。
【じゅそうけん】なるほど。すごく納得しました。
外資コンサル「京大生の採用が難しい」の真相
【鈴木】話を戻すと、「競争よりも、のびのびしたい」という人が京大に入るから、就職もそんなに……なんだと思います。
「鴨川芸」も好きでというより、もう仕方がないという感じだと思うんですよね。それしか行き場がないというか。
おそらく早稲田の場合、高田馬場のロータリーでたむろしている学生は、やろうと思えば、「他もゲットできる人」だと思うんですよ。
ちゃんと「就職戦線に行こう」と思えばできるし、それなりに適応できるけど、ある種逆張りみたいな思考の人が多いのではないでしょうか。
一方で京大の場合は、選択肢がなくてやむを得ず「鴨川芸」に行き着いている人がほとんどかと。器用な人は本当にいないですね。
【じゅそうけん】元マッキンゼーで採用マネジャーをされていた伊賀泰代さんの著書『採用基準』(ダイヤモンド社)には、「京都大学からの採用が難しい」という記述がありました。
外資の採用基準にあまりにも京大生が合わなくて、だから知的能力では劣るはずの早慶の学生を沢山とっているのかもしれません。
拙著『受験天才列伝』(星海社新書)に収録している高学歴アイドル「学歴の暴力」との対談でも東大卒メンバーの「なつぴなつ」さんと京大卒の「あろえあろ」さんとでは対照的でした。
「なつぴなつ」さんは東大のブランドを使ってアイドルになるために東大に行っていますが、「あろえあろ」さんはなんとなく京大に行き着いている。
やっぱり東大は「とりに行く」という意識があるんですよね。
東大の文系は民間就活も慶應並みに熱心ですし、「東大ブランド」をウリにした起業も多いです。
「人生のすごろく」が見えていない
【鈴木】「とりに行く」という発想は京大には最もないものですね。ガツガツしているのがダサいという「中二病っぽい感じ」もあるんですけど、それよりもモチベーションがないんですよね。
【じゅそうけん】東京の教育熱心な家庭の子たちは、もう中学受験の塾の段階から、なんとなく東大や医学部を見据えています。
開成に行って、その後、東大に入るといった将来を12歳から見据えてるんですけど、おそらく京大に将来入る子供たちって、そんな具体的に考えていない子が多いですよね。
【鈴木】首都圏で受験競争をしている子は、きっと自分が東大にいけたらこうだし、行けなかったらこう、みたいな「人生のすごろく」が見えていますけど、京大に入る子たちは、そもそも人生に「すごろく」があるということを知らない。大学を卒業して社会人になってから「そうだったんだ!」と気づくんじゃないでしょうか。
【じゅそうけん】東大や早慶出身の人たちから見たら不思議でならないと思います。アピールできる武器を持っているのに、なんでこんなのんびりしてるんだろうと(笑)
バタバタと消息を絶っていく「研究者の卵」たち
【鈴木】きちんと処理をして、こなして、作り上げるという能力が京大生には著しく欠けるかもしれないです。
就職活動なんて、まさにその能力が問われるので。1社1社について企業分析・対策をして、ESを作って、という工程が必要になりますからね。
そもそも、こうした処理が苦手な人が集まっているし、苦手なまま社会に出て行くという。
それが教育・研究機関としていいかどうかは難しいところですね。
大学1年の時からに「こいつはいい研究者になるぞ」とささやかれていた学生でも、早めに挫折しちゃう子が多くて……。
【じゅそうけん】もったいないですね。「ドロップアウト組」はその後どうなっていくんですか。
【鈴木】地元に帰って塾の先生になるというパターンが多いんじゃないですかね。
東大で大学院までいこうと思っている人は、前段階で教職免許とかをちゃんととって、「保険」をかけている。研究者になれなくても中学・高校の先生になるという受け皿があるんですけど、京大はそもそも教職をとるっていう発想がまったくないから。
それこそ30過ぎになって修士号はあるけど、博士号はとれていないみたいな人がバタバタと消息を絶っていきますね。
大学側もドロップアウトした研究者志望の人が、その後どうなっているかは調べたほうがいいと思います。もちろん日本を代表する研究機関ではあるけれど、必ずしもしっかり機能していない側面もあるのではないかと。
【じゅそうけん】良くも悪くも人を選ぶところのある大学なのだと感じました。
なぜ京大は「ミスコン」を開催しないのか
【鈴木】京大の特徴的なカラーといえば、昔からなんですけど、ミスコンをやろうとすると必ず反対運動が起きて潰されるという歴史があります。私が学生の時もあったし、また最近もありました。
京大は基本的には男性が多い大学なんですけど、「女性をそういう目で見るのはけしからん」みたいな男子学生がかなりの割合いて、おそらくミスコンはいまに至るまで1回も開かれてないんじゃないかな。
実行委員会を立ち上げてやろうとしても、結局うまくいかない。
女子学生側が「女性を商品化するな」みたいな反対意見もあるんですけど、それ以上に男側が反対しているんですよね。
【じゅそうけん】たしかに京大とミスコンの相性は悪そうですね。
一方で、やっぱり東大はやるんですよ。ミス東大はキー局の女性アナウンサーを多く輩出していますし、かなりのブランドです。
【鈴木】東大出身の人だと、ある程度ルックスについて言及されることも受け入れるところがあると思います。
京大はそういうカルチャーがなくて、「見た目を言うってことは中身をけなしてるのか」みたいな話になりがちですね。
本当はルックスが気になるのに「アンチ」になって痩せ我慢している人もまあまあいるんですが、心からのルッキズムアンチも多いと思います。
ルッキズムは良くないことだと本気で思ってる。男女問わず、心底。
別に、ポリコレ的に思ってるわけじゃなくて、ポリコレなんて言葉が流行する前からルッキズムを嫌っている人が京大には多いと思います。
石丸伸二氏は京大出身者の「正解」
【じゅそうけん】良くも悪くも、他人からどう見られるかを気にしない人が多いのかもしれませんね。
こうした異質なカラーを持つ京大出身者だからこそ発揮できる強みはあるんでしょうか。
【鈴木】今回、私が書いた『京大思考』の副題は「石丸伸二はなぜ嫌われてしまうのか」ですが、石丸さん(経済学部卒)は京大出身者の強みを発揮した1つの「正解」だと思います。「変人」というカテゴリーで。
彼は「変人」と言われればきっと悪い気はしないけど、「自分自身が変人」という自覚はない典型的な京大出身者だと思います。
京大には、ある程度能力がある人たちが集まっていると思うんですけど、研究者養成以外の部分で京大が東大・早慶に比べてどこまで社会に貢献しているかと言うと、かなりクエスチョンマークです。
わかりやすい例でいえば、歴代首相の中で京大(京都帝国大)出身者は近衛文麿と池田勇人の2人だけです。
そういう意味だと、良くも悪くも政治への関心を高めた石丸さんは、社会に貢献していると思います。研究以外の分野で、世の中への貢献度がすごく低いのは京大の弱点ではないでしょうか。
「そもそも、いまの政治のやり方で良いのだろうか?」
【じゅそうけん】たしかに、去年いちばん世の中に影響を与えた京大卒は石丸さんでしょうね。選挙でネットやSNSの活用が必須という流れを作ったのも絶対彼ですからね。
【鈴木】石丸さんを見ていると、「京大思考」あるいは「京大話法」の活かし方として、こういう解があるのかと驚かされます。
私は本の中で「京大話法」を「相手の話の前提や定義を問うたり、議論の立て方そのものを議論したりする話し方」と定義しました。そもそも論、といえば、聞こえはマシですが、実態は「堂々めぐり」です。
去年の都知事選では、石丸さんの質問に質問で返すなどの「かみ合わない」やりとりが「石丸構文」などと言われSNSで話題になりましたが、まさに典型的な「京大話法」だと思います。
一方で、石丸さんは「そもそも、いまの政治のやり方で良いのだろうか?」「そもそも、選挙の戦い方って、もっといろいろな方法があるんじゃないか?」と「そもそも」を問うたからこそ、いまの政治に漂う「閉塞感」を打ち破る存在として、多くの支持を集めたのではないでしょうか。
ついに、「京大思考」の時代がやって来た
また、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社)が「新書大賞2025」の大賞を受賞し、販売数20万部を超えるベストセラーとなりました。この本の著者、文芸評論家の三宅香帆さん(文学部卒、人間・環境学研究科博士前期課程修了)も京大出身者のロールモデルと言えるかもしれません。
書籍のタイトル「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」もまた「そもそも」を問う「京大思考」だと思います。
「働いていて忙しいんだから、本なんて読めなくて当たり前だろ」と普通なら思ってしまいますが、そこで一歩踏みとどまって、「そもそも、なぜ読めなくなるのか?」と掘り下げて考えられるのは、京大出身者ならではの強みです。
さまざまな価値観が変化しつつある時代だからこそ、「京大思考」のそもそも論が求められているのかもしれませんね。
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