新型コロナで「4000%超」の収益を得た覇者の正体 「ブラック・スワン」を制した「カオスの帝王」様記事抜粋<新型コロナ・パンデミックに市場が揺れる2020年3月。投資顧問会社ユニバーサ・インベストメンツは4000%を超えるリターンを叩き出した。多くの投資家が匙を投げ、多額の損失を被るなか、なぜユニバーサは莫大な利益を生み出すことができたのか。『カオスの帝王:惨事から巨万の利益を生み出すウォール街の覇者たち』(7月24日発売、電子書籍版では7月11日から先行配信開始)では、『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙記者の著者スコット・パタースンが、ユニバーサの最高投資責任者マーク・スピッツナーゲルと、ベストセラー本『ブラック・スワン』の著者ナシーム・タレブが確立した投資戦略とその哲学に迫っている。本稿では、同書の一部を抜粋し、お届けする(全3回
市場の混乱で利益を上げるヘッジファンド マーク・スピッツナーゲルは呆然とコンピュータ画面を見つめた。2020年3月16日月曜の早朝。世界中の市場がこれほどまでの機能不全に陥ったことが信じられなかった。 世界市場は死んだも同然だった。何も取引されていなかった。投資家たちは壊滅的な損失を避けるためポジションを解消しようと死に物狂いだったが、株式からコモディティや債券に至るまですべてが急激に下落していたから、売るに売れなかった。トレーダーは世界で最も流動性の高い資産である米財務省長期証券、通称T-Bondすらも売ることができなかった。まるで米国債の価値がゼロになったかのようだった。
2020年初頭に新型コロナのパンデミックが広がると、世界中の金融市場がぐらつき、やがて崩壊した。3月初旬には、ダウ工業株平均が2000ポイント以上という未曽有の急落から2000ポイント再び上げる動きが毎日のように繰り返され、それが常態化したように見えた。市場は今までにない変動の嵐の中にあった。 それはユニバーサ・インベストメンツの創業者スピッツナーゲルにとって好都合だった。ユニバーサは市場の混乱によって利益を上げるユニークな戦略を取るヘッジファンドだ。スピッツナーゲルはミシガン州の半島に位置するノースポート・ポイントの深い森の中に建つ、築100年のログハウスをホームオフィスにしていた。
アメリカ全土がロックダウンになり、彼はここで暮らす家族と合流するために前の週に飛行機で移ってきた。窓の外に目をやると、ミシガン湖のノースポート湾の先に、雪に覆われたアイディル農場のなだらかな起伏が眺められた。この農場で彼と妻はヤギを育て、賞を獲ったチーズを製造している。 1980年代にシカゴ商品先物取引所の立会場の喧噪に魅せられた16歳の頃から、こんなときのために備えてきた。牧師の息子として生まれたスピッツナーゲルは、ジュリアード音楽院への進学が決まり前途有望だった音楽家のキャリアを捨て、コモディティトレーダーになる道を選んだ。
シカゴ商品先物取引所の下っ端から叩き上げてニューヨークの金融機関の上級職になり、やがて1999年にエンピリカ・キャピタルという最先端のヘッジファンドの立ち上げに参画した。スピッツナーゲルはトレーダーになるために生まれてきたような男だった。2020年3月に世界中の市場が大混乱に陥っても、彼はまったく動じなかった。 ■厄災に備える ユニバーサの本社はマイアミのココナッツグローブにある海に面した高層ビルの20階に入っている。そこにいる小所帯のトレーダーチームと社内通話装置で連絡を取り合いながら、スピッツナーゲルは混乱から利益を上げる設計にしてある精密に調整した自社のポジションを監視していた。
彼は崩壊していく市場を畏怖しつつ魅入られるように見ていた。世界中にいる顧客のために43億ドル相当のリスクを管理するユニバーサは、こんな厄災に備えて何年も前から態勢を整えてきたのだ。 やせ型で背が高く、生え際の後退した髪を剃り上げたスピッツナーゲルは、ユニバーサの創業者兼チーフアーキテクトだった。ユニバーサは、スピッツナーゲルが長年の相棒であるナシーム・ニコラス・タレブとともに1990年代後半にエンピリカで考案した戦略を引き継いだトレーディング・マシンだった。
レバノン系アメリカ人の逆張り投資家で数学者のタレブはその後、『ブラック・スワン─不確実性とリスクの本質』(望月衛訳、ダイヤモンド社、2009年)や『反脆弱性─不確実な世界を生き延びる唯一の考え方』(望月衛監訳/千葉敏生訳、ダイヤモンド社、2017年)などの著書がベストセラーリストの1位を飾り、世界的に名を知られる作家になった。 エンピリカを立ち上げた当時、タレブはデリバティブという複雑な金融商品のトレーディング経験を持ちニューヨーク大学で金融工学を教える無名の教授だった。彼は金融市場と金融機関が多くの人が考えるよりもはるかに大きなリスクを抱えていると確信するようになった。
ダウが1日で22.6%下落した1987年10月のブラックマンデーで、彼は大儲けした。スピッツナーゲルと同じように、彼は90年代の金融破綻をすべてまのあたりにしてきた─1994年のカリフォルニア州オレンジ郡の財政破綻、通貨下落に端を発した1997年のアジア通貨危機、(他にもあったが特に)ロシア国債に大きく判断を誤ったポジションを取った大手ヘッジファンド、ロングタームキャピタルマネジメントの1998年の破綻。
こうした危機をタレブはブラック・スワンと呼び始めた。ブラック・スワンとは、(突然の市場暴落のように)誰にも予測できなかった極端な事象を指す。昔ヨーロッパ人はスワンはすべて白いものだと思っていたが、その後オーストラリアで黒いスワンが発見された。ブラック・スワンは従来の枠組みから外れた存在、あらゆる既知のカテゴリーや想定を超えた存在である。 1999年の時点ではこれは理論にすぎなかった。タレブとスピッツナーゲルはこの理論を実地に試すために、暴落から巨額の利益を上げるように設計したヘッジファンド、エンピリカを立ち上げた。
2人は自分たちを危機の狩人と呼んだ。エンピリカは史上初の究極のベア型ファンド〔訳注 下げ相場で利益を出す仕組みのファンド〕だった。他のトレーディング会社がほぼすべてブル市場〔上げ相場〕で利益を出していたのとは異なり、エンピリカは熊が洞穴からうなり声を上げて出てきたときにだけ利益を上げる。同社は毎日、株式が急落したときに巨額の利益を上げるポジションを買った。通常は少額の損が出る取引である。市場が暴落しなければ、この取引は価値を生まないからだ。
しかしいざ市場が暴落したとき、エンピリカのポジションにはとてつもない価値が生じた。 ■タレブはベストセラー作家に タレブとスピッツナーゲルは2004年にエンピリカを畳んだ。タレブがヘッジファンドの運営に神経をすり減らす日々に嫌気がさしたのと、初めて一般読者向けに書いた著書『まぐれ─投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』(望月衛訳、ダイヤモンド社、2008年)の成功で執筆に専念したくなったことが理由の1つだった(タレブは1990年代にトレーディングの専門書『ダイナミック・ヘッジング(Dynamic Hedging)』を書いている)。
トレーダー以外の職業は考えられなかったスピッツナーゲルは、2007年にユニバーサで同じ戦略を再起動させ、改良を重ねた。ユニバーサのシニア・サイエンティフィック・アドバイザーの肩書を持っていたタレブは日々の業務には一切関わらなかった。そのかわり、同社は裕福な投資家の関心を惹きつけるために世界的に著名な作家・思想家としての彼の名声を利用した。 ■顧客をブラック・スワンから守る 2008年の世界金融危機をはじめ、2010年のフラッシュ・クラッシュ、2011年の米国債格下げ、1週間足らずで10億ドル稼いだ2015年の突発的な市場暴落や、2018年のいわゆるボルマゲドンのようにボラティリティが大きく上昇する局面で、ユニバーサは富を築いてきた。この戦略をユニバーサはブラック・スワン・プロテクション・プロトコルと呼んだ。プロトコルの目標は、顧客の投資家をブラック・スワンから守ることである。
2020年3月に市場と世界経済を待ち受けていると思われたのは究極のブラック・スワン─1930年代の大恐慌以来の厄災だった。労働者とその家族が自宅に身を潜めると、各国経済は軋みを上げてストップした。数百万人のアメリカ人が突如として職を失った。3月半ばには株式から債券やコモディティに至るまで、あらゆるものの価値が急落していった。 3月16日、混乱が香港からヨーロッパへ、さらにアメリカへと波及するなか、スピッツナーゲルがノースポイントから市場の破綻を追う一方で、ユニバーサのトレーダーたちは徹夜で同社のポジションのマネジメントを続けた。月曜の朝、午前5時頃に数人のシニアトレーダーがオフィスに到着した。室内には穏やかなバッハのカンタータの調べが流れていた。
他の社員はパンデミックの際の就業規則に従い、自宅で勤務した。16人のプログラマーとトレーダー─博士号取得者、コンピュータの専門家、数学者─で構成されるユニバーサのチームは疲れ切っていた。だが休んでいる暇はなかった。波乱の取引開始を乗り切った後、スピッツナーゲルは自家用機に飛び乗ってミシガン州の自宅に近い草地の滑走路から離陸した。午後にはもう、マイアミ市街とその向こうに広がるビスケーン湾のエメラルドグリーンの海を望む、壁一面の窓のそばにしつらえたデスクについていた。
「忘れるなよ、我々は海賊だ! 海軍じゃない!」。スティーブ・ジョブズのセリフ(「海軍に入るより海賊になるほうがいい」)を借用して、彼は時おりデリバティブ・トレーダーの精鋭チームに発破をかけた。 新型コロナは世界の金融システムを激震させた。ダウ工業株平均はこの日13%と、1987年のブラックマンデー以来2番目に大きい1日の下落幅を記録した。債券市場はまったく動かなかった。マネー・マーケット・ファンドからは史上最多の資金が流出した。個人投資家は大やけどを負った。ウォール街のベテランたちもこれほどの惨状は見たことがなかった――世界金融危機のときでさえ。
シティグループの短期信用部門長アダム・ロロスは『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙にこう語った。「2008年の金融危機が自動車事故をスローモーションで見るようだったとすれば、今回のは『ドカン!』。一瞬でした」。 翌週は、頭を揺さぶられるようなボラティリティに市場が翻弄されるなか、小所帯のユニバーサのトレーダーたちはほとんど眠らなかった。多くの者はオフィスのソファかホームオフィスで2、3時間の仮眠を取るとすぐに起きてコーヒーを流し込み、粛々と多額の利益をかき集めた。
■「こんな収益率はありえない」 スピッツナーゲルとトレーダーチームの目の前で、投資資産はロケットのように垂直上昇していった。3月末までには、ユニバーサのブラック・スワン・プロテクション・プロトコル・ファンドは3カ月の収益率4144%以上という驚くべき数字を叩き出していた。スピッツナーゲルの約5000万ドルの投資は、予想を超える30億ドル弱もの利益を瞬時に生み出した。
収益率があまりに莫大だったため、一部の専門家は懐疑的だった。こんな収益率はありえないと言う者もいた。ウォール街で長年リスクマネージャーをしてきたアーロン・ブラウン――ナシーム・タレブの旧来の友人でもある─―は、ユニバーサが暴落に対して投機的な行動を取っているのではないかと疑った
つまり、スピッツナーゲルが混乱の気配をかぎつけるやユニバーサのポジションに資金を注ぎ込んで膨らませ、収益率を引き上げているのではないか、という意味だ。スピッツナーゲルはユニバーサは絶対に投機はしないと言った。市場で何が起ころうと、ユニバーサは顧客のために常に同じ暴落保護策を維持し、投資戦略をいじり回すことはない。 ブラウンはあまり信じていなかった。 「ユニバーサは否定していますが、開示していないなんらかの予測要素をつかんでいるに違いありません」とブラウンは私に言った。「でなければうまくいくはずがない。あの会社にはもしかしたら秘策があるのかもしれないが、それにしても腑に落ちない。他と比べて成績があまりに良すぎるのですよ」
最後の点はスピッツナーゲルも認めるだろう。 ■顧みられなかったタレブの警告 ナシーム・タレブがブラック・スワンという概念を普及させたのに対して、ユニバーサは完全にスピッツナーゲルの作品だった
エンピリカの幕引き後、タレブはブラック・スワンの概念をトレーディングや金融の領域から拡大し、思想家としてもうるさ型の哲学者としてもちょっとした有名人になった。トレーダーではなく科学者、哲学者として名を知られたいというのが彼の宿願だった(とはいっても、ユニバーサとの関わりはタレブに途方もない富をもたらした。ファンドからの収入はベストセラーとなった自著からの収入をはるかに超えていた)。
とりわけ致命的なブラック・スワンとしてタレブが探求した一つの分野がパンデミックだった。2010年に彼は『エコノミスト』誌で、世界は「グローバル化の副産物として、深刻な生物学的パンデミックとサイバーパンデミック〔訳注 ITセキュリティ上のリスクの拡大〕」に直面するだろうと予言した。 『ブラック・スワン』の続編として2012年に刊行した『反脆弱性』で彼は、グローバル化によって地球規模の感染リスクが高まると書いている。「まるで、世界は出口の狭い巨大な部屋のようになり、人々は同じドアに向かって突進している
「予防原則」と題した2014年の論文で、タレブと共著者らは「緊密につながり合った地球規模のシステムにおいては必然的に、たった一つの逸脱が及ぼす影響がやがて個別の影響の総計を上回る大きさになる。その例がパンデミック、侵略的外来種、金融危機である」と書いた。 言い換えれば、今日のきわめて移動の活発な超ネットワーク化世界においては、パンデミックのような極端な事象のリスクがかつてなく高いということだ。2020年1月に、タレブはその到来を目にして警鐘を鳴らした。しかし彼の警告はほとんど顧みられなかった。
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