政府が支援したい企業はひと握り
これまで日本の企業分類は「大企業」と「中小企業」だったが、今回新たに従業員数2000人超を「大企業」、2000人以下を「中堅企業」とした。調べてみると、これくらいの規模の企業が成長しているので、ここを政府としても手厚く支援をすることで経済活性化や賃上げにつながるのではという期待から新設したのだ。
そう聞くと、先ほどの大企業の初任給アップが中堅企業の初任給アップを促し、それが中堅企業の賃上げにもつながっていくのではないかと思うだろう。筆者もそう思う。ただ、やはりそれでも日本経済全体で見ればインパクトは小さい。
経産省の資料によれば、新たに定義された大企業は約1300社で、中堅企業は約9000社だ。つまり、足しても1万300社しかない。一方、中小企業(会社以外の法人、農林義業を除く)は336万社だ。
先ほどの繰り返しになってしまうが、わずか1万社の中で熾烈な「人材獲得競争」が繰り広げられその結果、高水準の賃上げが達成されたとしても、336万社への影響などたかが知れている。
つまり、「大企業の初任給アップ」や「春闘」というのはどういう理屈をつけたところで、「日本企業の上位0.3%の競争を活性化させるだけ」にしかならず、日本人の7割にはほとんど関係がないのである。
■結局、最低賃金を引き上げるしかない
さて、そこで気になるのは「日本企業の下位99.7%の競争を活性化させる」ためにはどうすべきかということだが、これは中小企業経営者団体がこぞって反対をする「物価上昇にともなう最低賃金の引き上げ」を継続していくしかない。つまり、ボトムアップである。
最低賃金引き上げという話を聞くと、マスコミは脊髄反射で「給料が払えない会社が潰れる」的なネガティブな話ばかりを報じるので誤解をしている人も多いが、「中小企業の競争が活性化する」という良い面もたくさんさる。
当たり前の話だが、中小企業は336万もあるので最低賃金を軽く上回る給料を払っている「成長企業」も少なくない。そして、「もっとたくさん人がいればまだまだ成長できるのにな」という「人手不足企業」もたくさんある。
「最低賃金が80円上がったのでもう従業員を雇う給料がない」という中小企業は確かに気の毒だ。しかし、「成長企業」や「人手不足企業」の立場になると、これはチャンスになる。
日本経済に不足しているのは「新陳代謝」
例えば、事業としてはポテンシャルがあるけれど、社長の経営センスがないがゆえ、賃上げの波を乗り越えられなかったような会社を買収・合併することができる。また、賃上げできない会社で、働いていた人々が中小企業の労働市場にたくさんやってくる。
この人たちはこれまで最低賃金スレスレで働いていたということなので、それなりの賃金を払える「成長企業」からすればかなり有利に人材を獲得できる。
つまり、「賃上げで倒産します」という弱者だけにフォーカスを当てず、336万社という膨大な数の中小企業全体のことを俯瞰してみると、最低賃金の引き上げというのは、中小企業に「新陳代謝」を促すプラスの面もあるのだ。
実はこれが日本経済で一番足りていないところだ。経済というものは、新しい企業が生まれて成長して、市場や時代のニーズに合わない企業は退場していくという「新陳代謝」があってはじめて成長をする。これは「弱肉強食」など大仰な話ではなく、時代が変われば消費者や市場のニーズも変わっていくという経済社会の当たり前の営みだ。
しかし、「一度できた会社は税金で支えてでも潰してはならぬ」という思想の強い日本では、そういう「経済の常識」から頑なに背を向けてきた。
■時代遅れの企業が生き永らえる代償
それがわかるのは、内閣府の「日本経済2020-2021 −感染症の危機から立ち上がる日本経済−」(令和3年3月)だ。米国、英国、フランス、ドイツとの開業率・廃業率が比較されておりこう結論付けられている。
「廃業率は、英国が11%程度、アメリカが8%程度と、開業率と同程度の廃業率となっているなかで、我が国の廃業率は1.5%程度と圧倒的に低い」
つまり、よその国であれば市場や時代のニーズに合わない企業は退場するのだが、日本はそういう企業が「潰れることもなく成長することもなく、ただ存続している」のだ。
なぜそんなことが可能なのか。生活保護のようの手厚い補助金、中小企業の大多数が「赤字決算」で法人税を免除されているなどさまざまな事情はあるが、大きいのは「低賃金」だ。
ご存じのように、日本は先進国の中では「異常」なほど賃金が低く、平均給与は韓国にも抜かれた。なぜここまで低いのかというと、「中小企業が倒産してしまう」という理由で、最低賃金の引き上げが抑制されてきたからだ。
海外ではぐんぐん最低賃金が上がっている
こういう国は珍しい。世界では「企業経営者よりも労働者の生活を守ったほうが消費を活性化させる」「最低賃金を引き上げることは中小企業の競争を活性化させる」という考えに基づいて、物価上昇に伴った形で最低賃金を引き上げていくことの方が多い。
例えば、マレーシアでは最低賃金が月1500リンギ(約5万2500円、1リンギ=約35円で換算)だが、今年2月に1700リンギ(約5万9500円)と約13%引き上げる。また、トルコ労働社会保障省によれば今年1月に1日当たり最低賃金は866.85リラ(約3901円)とした。これは昨年の最低賃金から30%増となる。
しかし、日本の最低賃金はなかなかそういう話にならない。その代わりに大騒ぎになっているのが、「ユニクロが初任給30万円突破!」みたいな「大企業の賃上げ」だ。
■「大企業のおかげで成長できた」神話
では、なぜ日本人は自分たちの生活や賃金にほとんど影響のない「大企業」が、日本経済復活のカギだと思い込んでいるのか。いろいろなご意見があるだろうが、「神話」のせいだと個人的には思っている。
学校の教科書などでも掲載されているが、戦後日本が奇跡の復興を果たしたのは、ソニーやホンダというものづくり企業が世界で支持されたことなど、大企業が牽引したと言われている。しかし、これは「デマ」だ。
学校ではあまり教えないが、日本は戦前から欧米社会に警戒されるほどの「世界有数の経済大国」だった。それがあの無謀な戦争のせいで「貧しい国」へと転落しただけだ。
もともと先進国なので国民の教育レベルは高いし、基本的な社会インフラは整備されているところに、戦後のベビーブームで一気に人口が急増した。そこに復興特需や朝鮮・ベトナム戦争特需も追い風となって、再び戦前のような経済大国に戻った。
つまり、衰退した先進国が「人口増」を武器に復活をしただけで、「奇跡」でもなんでもない。事実、日本が世界第2位のGDPになったのは、世界第3位のイギリスの人口を追い抜いたタイミングだ。
大企業依存が現実逃避を加速させる
しかし、そういう事実を学校で教えず「ホンダやソニーが日本の経済成長を牽引した」という神話を刷り込んだ。だから、われわれは心のどこかで「大企業が元気になれば高度経済成長期のように日本全体も元気になる」と期待してしまっているのだ。
この悲劇的な勘違いこそが、日本経済低迷の原因のひとつだと思っている。自分たちで身を切るような努力をせず、わずか0.3%の企業に助けてもらおうなんてあまりにムシが良すぎる。日本経済を本当に支えている「中小企業」からも目を背けさせる。つまり、日本人の「現実逃避」を加速させてしまっている。
日本経済の7割は「内需」でしかもサービス業だ。経済や雇用を牽引していると錯覚されている大企業の多くは、自動車、アパレル、食品、そして外食まで海外進出に踏み出し、そちらを稼ぎ頭にしようとしている。つまり、多くの日本人が信じている「トリクルダウン」はさらに期待できない。
ちょうどこれからまたマスコミが「春闘で賃上げムード」「過去最大のベア」とか大騒ぎをする季節がやってくる。いい加減そろそろ意味のない「大企業神話」を捨てて、他国のように「賃金のボトムアップ」に手をつける時ではないのか。
窪田 順生(くぼた・まさき)氏 ノンフィクションライター
1974年生。テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者等を経て現職。報道対策アドバイザーとしても活動。数多くの広報コンサルティングや取材対応トレーニングを行っている。著書に『スピンドクター“モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)、『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)、『潜入旧統一教会 「解散命令請求」取材NG最深部の全貌』(徳間書店)
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