シャオさんのつれづれ思う故に(BLOG版)

私、シャオが日々の移ろいの中で、感じたこと、思ったことを書きためていく所です。

空を見て、空を思う。

2013年08月13日 10時04分52秒 | 日常のつれづれ
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 あの日、幼いながら、僕は目と耳を疑った。

「羽田発伊丹行き日航123便が消息を絶つ」
 テレビのテロップから流れたこの文字。
 帰省ラッシュの初日と言っても過言ではない日、私の8回目の誕生日。
 何も起こらず平和に過ぎていった。
 けれど、このテロップですべてが変わる。

 テレビ局は夜の8時や9時からニュース特番を組み、消息不明の人達の名前を次々と読み上げる。
 救助に向かおうとしても、救助に行くことができない状況でである。

 翌日、朝のワイドショーを見たとき、その現場の凄惨さに言葉を失った。
 焼きただれた機体と遺体、懸命に遺体を捜索するヘリコプター。
 奇跡的に4人が生存されていたものの、それ以外の方は、すべて、亡くなった。

 著名人を含めて多くの方が亡くなっていた。
 坂本九さん、北原瑶子さん、当時阪神の球団社長だった中埜肇さん、ハウス食品の社長だった浦上郁夫さん、医学博士の塚原仲晃さん等々。(Wikiの日航123便墜落事故を参照)
 また、初めての一人旅をする小さいこともがから、帰省客までがいた。

 飛行機には、あまり乗る機会が無い私でもJALと接する機会があった。
 仕事でたまたま、JALの部品の修理ラインのモニタリング装置(と言ってもPCに専用のアプリを入れて様子を見る物なのですが)の担当をしていたとき、JAL職員の中で8.12に怖さ、恐ろしさというのを共有していた時代だったのでしょう。真剣に部品の様子を見る職員の方達の姿を見ました。

 されど、この年から立て続けに起きる不具合で、信用は失墜し、ついには倒産。
 何とか蘇ったけれど、その執念だけは残って欲しいと思っています。

 だから、毎年、僕は祈る。
 あの日、襲った悲劇のために亡くなった人の為に。
 そして、空の安全のために……。


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