あべっちの思いをこめた雑記帳

車内吊りに思う

 車内吊りとは何か。
 車の中から川や沼に糸を垂れて魚を釣ることではない。
 電車の中に吊るされたさまざまな広告のことである。詳しく申せば、電車やバスや地下鉄の車両の中に吊るされた、B4サイズよりははるかに大きい各社の広告のこと。

 先日久しぶりに電車に乗った。在職中は毎日乗っていたその電車も、退職後は月に一度か二度あるかどうかくらいに減り、ここのところはコロナ禍のお陰でとんとご無沙汰が続いている。それでほんとうに久方ぶりに約30分の電車旅を楽しんだということになった。

 目的地の大宮まで眠ってしまうのはもったいないし、帰路は車窓の景色も楽しめず、そうかといってスマホを眺めるのは時間のムダと思い、しばらくは車内をじろじろ見回した。
 するとどうだろう、その車内の中吊りの広告がきわめて少ないのに気がつく。

 思えば40年くらい前の、はるかに若い頃は、大手旅行三社が競って「国鉄特選」と名を打って、各車両の一番目立つドアあたりに、出来たてのホッカホカセット旅行を吊るしたりしたものだ。その頃は、旅に占める旅行会社のウェートが個人団体を問わず今では考えられないくらい大きく占めていたので、旅の車内吊りも花ざかりであった。
 その他にも一般企業の広告がとにかく多く、どの電車も車内吊りは超満員の状態で、空いているスペースなどまったくなかったと記憶している。

 そしてこの車内吊りの様子を40年前と比べると、とんでもないくらいのスペースの空きが目立つ。目立つというより、広告のスペースにはまっている車内吊りはほんの数えるほどである。

 時代が変わったといえばそれまでだが、当時と電車に乗る通勤者の数はさほど変わらない。電車の本数もそれほど極端な差はないだろう。乗る人も、それを動かす電車の数も、昔と大差はないのに、これはいったいどうしたことだろう。

 まあ単純に考えれば企業側が、車内吊りをしてもさほど宣伝効果はないと判断したことなのだろう。他の宣伝方法の種類が極端に多くなり、時代に沿ったメディアに車内吊りはかなわないということだと思う。
 昔、旅行の車内吊りに一喜一憂した一員としては少しばかり淋しいような気がする。単なる時代の流れだけでは済まされない何か侘しさを感じた車内のひと時であった。


                    「つれづれ(51)車内吊りに思う」

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